第49話 六月三週(⑩)

 俺は言いたいことだけを言い切って、南の父親を見つめる。

 南の父親も、険しい眼差しを俺に浴びせる。

 睨み合いになったが、俺は一歩も引く気がなかった。


「……」

「……」


 沈黙を破ったのは、南だった。


「……お父さん」


 その声を合図に、俺と南の父親は視線を外して、南の方を見た。


「ゴメンなさい、今、遼太郎が言ってくれたこと。

 本当は、私の口からもっとちゃんと言うべきだった。


 最初に『四国に引っ越す』って言われて、私は『嫌だ』って言って。

『私だけでも残る』って。

 それでも、いつも私の話を聞いてくれるお父さんが『今回は無理だ』って。


 その話を聞いて、私諦めちゃった。

 私が良い子になれば、全部済むんだって。

 だって、分かるもの、私の言ってることなんて、ただのワガママだって。


 ……でも、そんなの、嫌だ。

 お父さんがお母さんと一緒にいたいように、私も遼太郎といたい。

 ううん、遼太郎だけじゃない、大切な友達もいる。

 やりたいことだっていっぱいある」


 南は今日何度目か分からない、しかし父親の前では初めて見せる、涙を流した。


「お願いします。私を、この街に、残らせてください……」

「僕からも……お願いします!!」

「……」


 再び、沈黙が流れる。

 そんな空気の中、お茶を用意し終えた南の母親が言った。


「あなた、二人がこう言ってるんだから、なんとか……」

「……いや」


 その場をとりなそうとした南の母親の言葉を、南の父親は遮った。


「今日はもう遅い。君はもう帰りなさい。この後は家族で話す」

「お父さん!」


 南は俺の手をギュッと握り、声を上げる。


「今すぐに結論を出せるような話でもない。私と君も、冷静になる時間が必要なように思う」


 南の言葉には反応せず、南の父親は俺を見ながらゆっくりと言った。


「もしこの場での返事ということであれば、それは『ノー』と言う他ない。君が取れる責任など……ない」


 正論に耳が痛い。


「……二週間後だ。


 二週間後、もう一度時間を作ろう。その間、自分の言った言葉の意味を考えて、私が納得できるよう、示してみなさい。

 もし、その時に私が納得できなかったら、せいらは四国に連れていく。

 ましてや、二人の交際など……絶対に認めん」


――


 南の父親は、とても心の籠った言葉を残し、リビングから立ち去った。

 俺はしばらくその場から動くことができなかったが、南の呼びかけで我に返った。


「遼太郎……」

「ゴメン、勝手に言いたいこと言っちゃった」

「ううん、嬉しかった」

「南」

「……『せいら』」

「え?」

「『せいら』って呼んで。さっき、そう呼んでたでしょ? お父さんと同じ呼び方じゃ、嫌だ」

「……せいら」

「……うん」


 一気に緊張感も緩み、二人の世界に入りかけたその時。

『ゴホンゴホン』とわざとらしい咳払いが聞こえ、慌てて振り向くと、そこには南の――せいらの母親がいた。


「……『付き合ってない』って、言ったじゃない」

「い、いや、これは違くてですね……」


 南(俺は、やはり呼び慣れている『南』と頭の中では呼ぶことにした)の母親が真顔だったので、俺はしどろもどろになって応える。

 父親に立ち向かう覚悟はできていたが、母親に立ち向かうことになるとは思っていなかった。


「……私、娘の相手は男らしい人がいいわ」

「いや! せいらさんとはまだお付き合いしていませんが、愛しています!」

「さっきは男らしかったのにね」

「僕に任せてください!」


『愛しています!』ってなんだよ……。

 俺はまさか今日、こんな台詞を吐くことになるとは思わなかった。

 しかも、南の自宅で。


「……だってさ、せいら、良かったわね」

「お母さん!」

 

 そんな会話で、先程とは違う、和やかな雰囲気が流れた。

 本心は分からないが、南の母親は俺達を応援してくれているように感じた。


――


 南の母親曰く、『ここでずっと話してると、お父さんの機嫌が悪くなっちゃうから』とのことで、すぐに立ち去った。

 すでにこれ以上ないくらい、南の父親の機嫌は悪いと思うのだが、それは俺の気のせいだろうか。

 名残惜しかったが南と繋いだ手を離すと、南は「そこまで一緒に行こう」と言って、玄関の外まで見送りに来てくれた。


 別れ際、南の顔を見ると、目の周りが真っ赤になっていた。

 俺も泣いたせいで同じようなものだったのだろう、それに思い至った南は「恥ずかしいから、あんまり見ないで」と顔を逸らした。


 最後に、「遼太郎……本当に男らしかったよ。私も、頑張るね」と言われた。


 俺はその言葉と、南の父親の『納得できるよう、示せ』の言葉を交互に考えながら帰った。


 思えば、本当に長い一日だった。

 俺の人生の中でも間違いなく一番長かった。

 寝不足で身体が疲れていたことと、緊張からの解放により、もう道路に寝転がってしまいたくなるくらいに眠気が襲ってきた。


 そんな状態だったが、俺は、何かが変わったと感じていた。


 南にもう一度、想いを伝えた。 

 南の想いも、聞くことができた。

 そして、南の家族にも二人の考えを伝えた。

 何もしなければ終わってしまう話に、『待った』をかけることができた。


 南の父親に何を示せば納得してもらえるかは、まだ分からない。

 しかし、今日の行動で、確実に未来は変わったはずだ。

 南の最後の言葉が、俺のそんな考えを後押しする。


 まだまだ、これから。

 まだまだ、頑張ることはある。

 まだまだ、結果は見えていない。


 だが、俺は間違っていない。

 絶対に、いける。


 俺は、『やってやった』という充実感を感じながら、自宅に戻った。


 日置に頼まれていたポテチとコーラのことは、すっかり忘れていた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る