第46話 六月三週(⑦)

「……」

「……」

「……!」


 南が応答してから、お互いでしばらく固まってしまった。


「こ、こんばんは!」

「……こんばんは」


 まずは挨拶、これはコミュニケーションの基本になる。

 さて、ここからが問題だ。

 少し会話をしてみるか、それともいきなり呼び出すか。


 南は挨拶を返してくれたが、雰囲気が重い。

 まずは場の空気を和ませるため、会話をしてみよう。


「や、山岸だけど……」

「うん……」

「……」

「……」


 何も出てこない。

 会話は難しい。

 切り替えていこう。


「い、今、南の家の前にいるんだ」

「え……」


 話してから気付いた。

 これ、怪談のフレーズに似てる。

 

「こんな時間に迷惑だと思うけど、ちょっと外、出てこれないかな……」


 返事を待つこと数秒。


「分かった」と南は言った。


――


「ちょっと待ってて」と言われてから数分経って、南は外に出てきた。

 部屋着だろうか、少しだけラフな格好をしている。


「……まずは、こんな時間にゴメン。それと、いきなり呼び出してゴメン、どうしても話したいことがあって」

「……うん」

「えっと、うん。ここじゃなんだから、その辺りを歩きながら話さないか」


 俺はそう言って、南の家の敷地から出る。

『俺一人だけ歩き出してたらどうしよう』と思ったが、南も後ろから付いて来てくれた。


 少しずつ速度を落として、南の歩幅に合わせる。 

 一緒に帰っていたこの二か月弱で、南の歩く速さは大体分かる。

 

 昨日の話は切り出しにくかったが、俺はそのためにここまで来た。

 南もその話になることは解かっているはずだ。

 俺は自分の心のブレーキを壊し、アクセルを踏み込んだ。


「……昨日のことなんだけど」

「……うん」

「『付き合えない』って言われた時点で、頭では『諦めた方が良い』って解かってる。でも、凄く苦しい。心が諦めてくれない」

「……」

「昨日は、本当に、何も聞かずに帰ってゴメン。言い訳だけど、その時はそれ以外何もできないくらいショックだった」


 完全に無策ではあるが、自分の気持ちを、ただただ正直に話す。

 何が正解かは解らない。

 だから、一言一言、誠意を持って伝える。


「でも、一晩経ってみても、俺、やっぱり南のことが好きだ」


 俺がそう言うと、南ははらりと一筋の涙を流した。 

 それを見た俺は、言葉を止めようかとも思った。

 しかし、ここで止めてしまうと昨日の繰り返しになると考え、俺は続けた。


「……返事は。昨日もらってる。俺の心は納得してないけど、頭では理解している。ただ、理由を……。南の気持ちを、知りたい」 

「…………」


 数秒の沈黙の後、南は口を開いた。


「私も、遼太郎のこと、好きだよ……」


 俺はその言葉を聞いて、『やはり』と思った。

 ただ、手放しで喜ぶことは全くできなかった。


 その言葉よりも多くの涙が、南の頬を流れ落ちていたからだ。


「でもっ……付き合うのは……駄目なの……」


 俺は何も言わず、南の次の言葉を待った。


「私……もうすぐ、引っ越すの」


――


 それから南が語ってくれた内容は、こうだった。


 ――元々父親は転勤族で、数年単位で勤務地が変わっていた。

 母親は父親との結婚を機に退職しており、異動の際は父親が単身赴任することなく、家族で引っ越しをしていた。

 南が生まれてから、四回は住所が変わっていたらしい。

 それでも、南がまだ小さかった頃は大きな問題はなかった。


 きっかけは、南が小学校に入った後だ。


 まず、小学校の入学と同時期に父親の異動があった。

 知らない土地で、初めて出会う同級生達。

 もう引っ越しの意味も理解できる年頃だ、南は当然のように緊張する。


 ただ、その時はタイミングが良かった。


 引っ越しが、小学校の入学式に間に合ったのだ。

 周りも様々な保育園や幼稚園から入学しており、つまりはお互いを知らない児童が多い状況だった。

 南はすんなりとその環境に馴染めた。

 仲の良い友人もできた。


 だが数年後、またしても父親の異動の時期はやってくる。

 このタイミングで問題が起きたのだ。


 南は、『引っ越しをしたくない、友達と別れたくない』と、大いに泣いたらしい。

 普段は優等生で親の言うことを良く聞く娘。

 その娘の嘆きに、父親は大変焦ったそうだ。  


 勿論、そんな事情で会社は待ってはくれない。

 

 そこで、父親は考えた。

 ある程度異動になっても、通勤できる位置に自宅を構えておけば良い、と。

 そうすれば、自分の通勤が多少大変になっても、娘が友達と離れてしまうこともなくなる。

 長い単身赴任で、家族の顔を見ずに過ごすこともない。


 そこで急遽、どの拠点からもそこそこ離れているが、どの拠点にも通勤できる地域に目途をつけた。

 それが今俺たちが住んでいる、この街だ。

 最寄り駅自体は乗降者客が少ないが、新幹線の停車駅には近い。

 生家からは離れているものの、父親の出身県でもあった。

 地価も安かったため、住宅の購入に至ったそうだ。

 

 更に、父親は会社の制度を利用して、転居を回避する手続きを取った。

 詳しくは分からないが、子供が小さい場合はそういったことが可能だったらしい。

 その結果、父親の異動はあっても一家が引っ越しをすることはなく、南家は過ごすことができた。


 しかし、高校受験の頃に状況は変わる。

 南の成績であれば、比較的近くにある進学校を受験するのが定番コースになる。

 当初は南もその学校を志望校としていたが、直前に周囲とのトラブルが起きた。


 周りの同級生達に不信感を抱いた南は、遠方の高校を志望校に変更した。


 驚いたのは父親だ。

 娘の友人関係を考え、転居を回避していたにも関わらず、近隣の高校には進学しないと言う。


 とは言え、非常にデリケートな話だ。

 父親は踏み込まず、『友達は良いのか?』といった趣旨のこと南にを聞いた。

 南は事情を詳しく語っていないが、『知り合いのいない高校に行きたい』という内容で答えた。


 その答えで父親は何かを察したのか、それとも他の理由があったのか、なんと転居の回避に関する申請を取り下げてしまったのだ。


 そして、それを待っていたかのように会社も動いた。

 六月に内示が出て、七月に異動することが決定したという。

 母親曰く、『栄転』とのことだ。


 南はそれを伝えられていなかったらしい。

 だが、来週の三者面談に向けて、先日その話を聞かされたそうだ。


 当然南は、自分だけでも残ることを主張したが、それは認められなかった。

 父親の異動先は激務であり、勤務中以外の母親のサポートは必須。

 まだ高校生である南をこちらに一人残して、異動先に向かうという選択肢はなかったらしい。


 そして、南の引っ越し先は、この街から数百キロ離れた所にあった。

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