第45話 六月三週(⑥)
「今から?」と問う俺を、日置は「時間がもったいないから」と言って風呂場に向かわせた。
『ここ、俺の家なのに……』と思ったが、有無を言わさぬ雰囲気で指示を飛ばしてきたので、俺はそれに従った。
熱いシャワーを浴びて、身体を洗った後に歯を磨き、十五分で部屋に戻る。
日置は俺のベッドに寝転がってスマホをいじっていた。
まるで自分の部屋かの如く振舞っている。
「じゃあ、行ってこい」
「……今更だけど、行かなきゃ駄目か? まず電話とか、メッセージとか……」
「お前な。さっき諦めないって言ってたよな」
いざ身だしなみを整えても、俺はまだ大きな不安を抱えていた。
日置は怖い感じで言う。
「まぁ別に行かなくてもいいよ? あ、でも茂田は上手くやるだろうな。せいらちゃんが傷付いてるとこ慰めて、話すうちに、二人の距離は近付いてって、最後は……」
「……」
「そんでもって、お前はカッコつけて距離を取って、フォローはしない、と……」
「……」
「昨日までだったら、間違いなくお前の方がリードしてただろうな。せいらちゃんがお前を見る目は特別だった。正直、俺は断られた理由が分からないし。……あ、今は分かるけど」
俺は最後の言葉だけは聞かなかったことにした。
『やまぎしい』なんてふざけた造語はこの世から葬り去る。
そして、俺は日置の言葉を都合良く解釈して、勇気をもらう。
『せいらちゃんがお前を見る目は特別だった』
わざわざこの場でいう冗談や慰めではない。はずだ。おそらく。きっと。
この期に及んでだが、俺は南との今までの関係に客観的な『上手くいっていた』という根拠を求めた。
多分、俺の『上手くいっていた』という感覚は間違っていない。
南は俺のことを『嫌いだから』という理由で振った訳じゃない。
だからこそ、俺はあの時しっかりと話をするべきだった。
南を気遣う振りして、突き放して帰ったのは、俺だ。
……いや、気遣う振りさえしてないか、その場をすぐに離れようとしただけだ。
「……いや。認めるよ。確かに昨日の俺の別れ際の態度は最低だった」
「お」
「南に謝って、もう一度気持ちを伝えて、それで、駄目なら駄目で、ちゃんと話を聞く」
正直怖い。
今更ながら思うが、話すべきだったのは、昨日の告白の後だ。
遅すぎるかもしれないし、また傷付くかもしれない。
ただ、もう、腹を括って正面から向き合うのが最善だと思った。
俺の所には日置が来たが、南は今独りで過ごしている。
そう思うと、たまらない気持ちになった。
……それでも、最後の最後、ちょっとヘタレた。
俺の常識的な部分が顔を出したのだ。
「……いきなり家まで行ったら迷惑じゃないかな」
「迷惑だろ」
――日置、お前が言うのか。
俺の家に乗り込み、俺を煽ったお前が――。
そんな俺の思いを知ってか知らずか、「リスクを取れ」と日置は言った。
――
「骨は拾ってやるから。あ、帰りにポテチ買ってきて」
そう言って日置は俺を送り出した。
付いてくるという発想はないらしい。
いや、一緒に来てもらっても困るが。
知ってる人間のいない、他人の家に遠慮なく居座れる彼は、やはり異常者なのではないだろうか。
そんなことを考えていると、スマホが震えた。
確認すると、日置からのメッセージが入っていた。
激励かと思い画面を開くと、『コーラも頼む』という文字が見えたので、俺はそっと閉じた。
確信した。
彼は異常者だ。
山から出してはいけない。
もしかしたら街と常識が違うのかもしれない。
そのおかげか、あまり南のことを考える間もなく、南の家の前に到着した。
これから南に出てきてもらう。
……チャイムは、最後の手段にしたい。
そう考えた俺は南に電話を掛けた。
勿論、電話で用件を済ますのではなく、呼び出すためだ。
思えば、連絡先を聞いてから、これが初めての電話だ。
少し長めに鳴らしてみたものの、南は電話に出ない。
待っていても折り返しは来ない。
……チャイムか。
いや。
勢いで来てしまったが、南が家にいない可能性もある。
まぁ、多分いるのだろうが、学校を休んでいる南を家族経由呼び出すことになるのは、さすがに、な。
もう一度、もう一度だけ電話だ。
これで駄目だったらチャイムだ。
自分の中でルールを作り、もう一度電話を掛けてみる。
さっき電話したことで気が楽になっていた。
『多分出ないだろうな』と思い込んでいたので、俺は油断していた。
「……もしもし?」
数コールもしない間に、南は応答した。
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