第43話 六月三週(④)

 その言葉はやけにハッキリ聞こえたのに、俺は反応することができなかった。

 勢いに任せた告白ではあったが、俺は自分の想いが実るものだと思い込んでいた。


『ありがとう』って、『嬉しい』って言われたよな。

 中学の時の話もようやくできたし、誤解も解けてたって分かった。


 ここ最近は、仲良くやってたじゃないか。

 なんでだろうか。

 分からない。


 ああ、そう考えると本当に茂田は凄い。


 とてもこの後、『諦めない』とか、言えないぜ。


――


 南の返事を聞いた後、俺は、「そ、そっか」とだけ言った。

 頭の中がグワングワンとして、目が回っているような感覚になった。

 こんな状態は初めてだ。

 とにかく早く帰ろう。


 既に自宅の近くまで来ていたため、俺は努めて明るく、「う、うん、じゃあ、今までありがとう!」と言った。

 期せずして、別れの挨拶のようになってしまった。

 自分が何を言ったか気付いたのは、後になってからだった。


 南の話を聞かないまま、俺は自宅へと逃げ帰った。


 ほとんど南の顔を見れなかったが、最後に見た南の頬は、濡れて光っていたような気がした。


――


 俺は抜け殻になっていた。


 悲しみが限界を超えると、眠れなくなることを知った。

 食事がのどを通らなくなることを知った。

『辛い』とはこういう気持ちなのだと知った。


 他人の話を聞いていると、『振られたぐらいで』と思うことは多々あったが、なるほど、これは色々無理だ。


『振られる』よりも『振る』方が辛いなんて話もあるが、それは本当だろうか。


 そうだとしたら、今日一日で俺と茂田の二人を振った、南はどんな思いをしているのだろうか。

 

 今、俺のことを考えているのだろうか。


 同じように、眠れない夜を過ごしているのだろうか。


 そんなことを考え始めると、胸の辺りが疼くので、考えるのをやめた。


 気が付いたらもう、朝になっていた。


 俺は母親に断りを入れて、学校を休むことにした。

 まごうことなき体調不良だ。

  

 そして、ふと、南にメッセージを入れようかと思った。


『今日は一緒に帰れない』『風邪ひいたから休む』『昨日のことは気にしないで』


 握ったスマホにいくつもメッセージを打ちかけては、やめた。

 どんな言葉もふわしくない気がしたので、スマホを放り投げて俺は横になった。


――


 何もしなくても、時間は過ぎる。

 時刻は夕方になっていた。


 それまでには何度か細切れの睡眠を取っており、その度に少しずつ俺は回復していったようだ。

 食欲が戻った訳でもなかったが、昼過ぎに食べ物を腹に入れた。

 万全とは言えないが、この時間になると、なんとか自分でも『一番辛い時間は乗り越えた』と思える状態になった。


 俺はスマホを開くと、日置からメッセージが届いていたので、返信ついでに昨日の出来事を伝えることにした。


『サボりか』

『おい、大丈夫か?』


 一通目は普段通りのメッセージ、時間をおいての二通目は、俺から返信がなかったことによる心配のメッセージだろう。


『すまん、寝てた』

『いいご身分じゃねーか』

『昨日、南に振られた笑』


 まったく笑えなかったが、少しでも元気がアピールできるよう、『笑』を付けてみた。

 今日になってからこの瞬間まで、一度も笑ってなどいないが。


『マジ?』

『マジ! ゴメンなさいだってさ! おかげで今まで寝込んじまったぜ笑』


 二通連続で『笑』を付ける。

 寝込んでいたのも真実だが、冗談めかす余裕はあった。

 と言うか、冗談として受け取ってほしい。


 すると、日置は何かを察したのか、メッセージには返信せずに電話を掛けてきた。

 すぐには応答しなかったが、着信が途切れないので、結局は電話に出た。


「……もしもし」

「よぉ」


 あの会話の流れで掛けてきた電話だ。

 俺は当然慰められるものだと思った。


「え、なに、せいらちゃんに振られたの?」


 開口一番、ストレートに聞いてくる日置。

 ……自分でその事実を口に出すのは嫌だったが。


「……ああ」

「うお、マジ! 『フラレ』じゃん! ドンマイ!」


 日置が嬉しそうな声で言ったので、俺はスマホをへし折りたくなった。

 あと『フラレ』ってなんだよ、振られたってことは分かるが。


「……殴りてぇ」

「まぁ待て、まぁ待て」

「……もう切るぞ」

「落ち着けって。何、今、家にいるのか?」

「……ああ」

「えっと、お前の家、せいらちゃんの家に近いんだっけ?」

「……近いよ」

「歩きで行ける距離か?」

「…………」

「……」

 

 関係のない話が続く。


『話したくもない』と思っていた話だったが、こうまで別の話が続くと、逆に昨日の出来事を話したくなってくる。

 痺れを切らした俺が、「それで、昨日のことなんだが」と言うと、「あ、悪い、掛け直すわ」と電話を切られた。

 

 畜生。

 

 何なんだよ。


 しかし、日置への怒りにより昨日のことの悲しみが薄れたのか、電話を切った後に猛烈に腹が減ってきた。


 俺はキッチンに向かい、冷凍してあった、ちょっと良い牛肉を焼いた。

 解凍の仕方も良く分からなかったので、中までしっかり火を通した。

 そして、炊飯器に大量に残る冷えたご飯を丼に盛り付ける。

 朝飯を食わず、弁当の用意もしなかったためか、三合近く残っていたので、その半分の量だ。


 レアでもなんでもないステーキをご飯の上に乗せ、ステーキソースをじゃぶじゃぶとかけて、かっ込んだ。

 飯に染み込んだ脂で米が進む。

 今日はお菓子を少しつまんだだけだった。

 三十時間ぶりの米は、止まらなくなる美味さだった。


 一気に食べ尽くした後、カップになみなみと注いだ牛乳を飲み干して、一息つく。


 はぁ……。


 そうすると、抜け殻だった自分に、『俺』が戻ってきた気がした。 

 悲しみがなくなった訳ではないが、先程までよりは冷静に考えられるようになった。

 自分の部屋に戻ると、日置から着信があった。


「悪い悪い」

「なんなんだよ」

「ちょっと、な」

「大体バスの時間は大丈夫なのかよ?」

「今日はもう大丈夫だ」

「なんだ、一本早いやつに乗ったのか?」

「…………」

「……」


 話を始めると、すぐに話題は昨日のことに移った。

 俺は、話し出すと止まらなかった。


 茂田が告白したらしいこと。

 俺がそれを嫌だと言ったこと。

 俺が告白したら、『ありがとう』と言われたこと。

 中学の時のことをちゃんと話せたこと。

 告白は上手くいったと思ったこと。

 だけど、最後に『ゴメン』と言われたこと。

 今日は飯を食えなかったこと。

 でもさっき飯を食ったら元気が出てきたこと。


 悲しみを吐き出すかのように、俺は話し続けた。

 一時間以上そんな話をしていると、唐突に日置は言った。


「おっ、ここか」 

「え?」 

「お前ん家ってさ、自分の部屋から入口の方見える?」

「見えるけど……」

「ちょっと見てみろ」


 俺は部屋のカーテンを開けて入口の方を見た。


 我が家の街灯が、近付いた人物に反応して点灯している。


 予想外の訪問者に、俺は呆気にとられた。


 そこには、スマホを片手にニヤニヤとした日置が突っ立っていた。

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