第28話 六月一週(⑤)

 自分のクラスの教室までの道のりを歩いていたが、南と会うことはなかった。

 本当に忘れ物をして、取りに戻っただけなのだろうか。

 さすがにすれ違っても良い気がするが。


 結局教室の前まで来てしまったので、中を覗いてみると、南とクラスメートの男子が話していた。

 俺では何をどうやってもセットできないような、たっぷりと整髪料を使って整えられた髪型を持つ痩身のクラスメート。

 その特徴のおかげで、後ろ姿でも誰か分かる。

 

「茂田か……」


 入口付近で立ち止まって様子を伺うと、既視感のある光景が広がっていた。

 一人ベラベラとしゃべっている茂田と、若干引き気味の南。


 そうだ、先程の自習室での光景だ。


 日置に代わり、俺が入口で覗いているところまで再現している。


 ……違う、休み時間の光景だ。

 自惚れではないが、先程の南は今浮かべているような、迷惑そうな表情をしていなかった。

 多分、南は早く立ち去りたいのに、茂田が引き留めてしまって教室から動けないのだろう。

 

 これは……行くか。


 俺は思い切り教室のドアを開けた。


 バァンッ!!


 力を入れ過ぎて、物凄い音がした。

 

「うぉ、ビックリした……。あ、オイ、オイ、オイ~ッス」


 自分でも本当にビックリしてしまい、言葉に出してしまった。

 おかげで、事前に考えていた後半の言葉は尻すぼみだ。

 先程の日置の登場をイメージしてみたが、俺のような常識人では彼の再現はできないらしい。


 そんな俺以上に南と茂田は驚いたようで、二人揃って俺の方を見ていた。


「な、なんだよ……」

「あ、遼太郎」


 二人はほぼ同時に口を開くが、南は茂田を置いて俺の方にやってきた。


「ビックリした~。学校のものは大切に使わないと!」

「あ、うん、スマン」


 先程は机にもダイブしてしまいました。

 物は大事に使う、当たり前の話だ。

 

「ありがとう、先に自習室戻ってるね……。あ、茂田君、これで私帰るから! 二人ともバイバイ」

 

 前半は俺にだけ聞こえるように、後半は茂田にも聞こえるように南は言った。

 そして、茂田の返事を待たずに南が立ち去ると、俺と茂田だけがその場に残された。

 当然と言うか、茂田は不機嫌を隠さずに俺に言った。


「……お前、うるせーよ」

「あ、うん、何かゴメン」


 確かにうるさかった。

 そこについては素直に謝罪する。

 だが、その謝り方が気に食わなかったのか、茂田が近付いてくる。


「はぁ……。マジうぜぇわ。何、お前、せいらに名前で呼ばれてんの?」


 これは彼なりに威圧をしているのだろう。


 おいおい、スクールカーストの上位の茂田が、底辺の俺をいじめるなよ。

 ビビッてしゃべれなくなるぞ。


 俺でなければな。


「中学一緒だから」

「は? 初めて知ったわ」


 こっちこそ、初めて言ったわ。

 むしろお前が何で南を下の名前で呼んでるんだよ。


 そしてこれ以上ないくらい距離を詰めてきた茂田は、俺を無言で睨みつける。

 一方で俺は、平常心で見返す。


 茂田……。ちょっと良い匂い。香水かな。

 顔は……。うん、俺の方が若干カッコいい。はず。

 そんなことを考える余裕もあった。


 コミュニケーションスキルに自信はないが、こういう場面では一切緊張しない。

 むしろ、その鶏がらのような身体で他人に絡む茂田の度胸を、少し尊敬した。


 俺が怯まないのが面白くなかったのか、茂田は俺の肩を『ドンッ』と押して、「お前、やっちまうからな」と言った。


 ……何を?


 と言うか、今小突いたよな。


 ここで茂田をボコボコにしても良かったが、今それをやってしまうと俺が一方的に悪者になるだろう。

 理由が弱すぎて、まだ正当防衛にはならない。

 ここは学校だ。


 もっと来い、もっと。


 しかし、茂田はそれ以上何も言わずに、教室から立ち去って行った。

 

――


 自習室に戻ると、南と日置が話していた。

 南の顔には、茂田と話していた時の様な表情は浮かんでいない。


「お~、おかえり」

「おう」


 俺は元々座っていた、南の隣の席に座った。

 それを見計らって、南が声を掛けてきた。


「遼太郎、ゴメン。本当に助かった」

「別に……。茂田に捕まってたんだろ?」 

「うん……。教室戻った時には何人かいて、ちょっとだけ声掛けられた感じだったんだけど、みんな帰ったのに茂田君だけそのまましゃべり続けててさ」


 予想通りだったようだ。

 茂田は空気が読めないのだろうか。 


「うわ~」

「大変だったな」

「別に良いんだけど、全然抜け出せなくて。ゴメンね?」

「いや、全然」

「南さんはしょうがない」

「遼太郎もちょっと遅かったよな?」

「ん……。ああ、茂田と少し話してた」

「へぇ~、茂田とお前が話すなんて珍しいな」

「初めて話した」

「まぁ、そりゃそうか。何話したの?」

「別に……。俺からは南と同じ中学出身だって言ったくらい。茂田に聞かれて」

「茂田君、そんなこと聞いてきたんだ……」


 茂田のことを悪くは言わないものの、どこか迷惑そうな顔をする南。

 自分がいないところで自分の話をされると、あまり気分は良くないのだろう。

 

「あ~、茂田、南さんのとこ狙ってる感じするもんな」

 

 日置が踏み込んだ質問をした。


「あはは……」


 南も自覚はあるのか、苦笑いで応える。

 日置はちらっと俺を見た後に、続ける。

 別に俺の方を見る必要はない。


「南さん的には、茂田はどうなの?」

「う~ん……。モテそうな、人だよね。ああいう人がタイプだって言う女の子も多いんじゃないかな」


 歯切れ悪く、一般論を述べる南。

 そして、南もちらっと俺を見た後に続ける。

 俺を見る必要はない。


「ただ、私はモテそうな人がちょっと苦手って言うか……。これからも良いお友達でいてくれれば、私はそれで良いかな」


 果たして茂田が『友達』のカテゴリに入っているのか、真意の程は分からなかった。

 ……俺も一応『友達』なのだろうか、連絡先すら知らないが。


「マジか~、茂田残念! じゃあ俺俺、俺は?」

「え~っと、日置君もモテるでしょ」


 なんと、日置は南の目から見るとモテるとのことだ。

 視力検査をお勧めしたい。

 俺は少しだけ、少しだけだが悔しい気持ちになった。


「うお~、振られたのに嬉しい!」


 日置は南に乗せられていた。

『苦手』って言われてるんだぞ、多分。


「あはは」


 南も笑っており、先程の教室の雰囲気とは打って変わって和やかな雰囲気だ。

 三人で話すのは初めてだが、何だか良い感じだな。


「じゃあ、遼太郎は?」

「……!」

「……!」


 そんな穏やかな空間に、平気で爆弾を投下する日置。

 やめれ。

 

「え、えっと……」

「こ、答え辛いこと聞くなよ! 南も何も言わなくていいぞ!」

「いや、南さん、モテないやつの方が好きなんだと思って」

「何だよ、それ! あ、お前、俺がモテないって言ってんのか?」

「俺の方がモテるんじゃないかな、南さんのお墨付きだし」

「馬鹿、俺の方がどう見てもカッコいいだろうが!」


 しょうもないやりとりを続ける俺と日置。

 それを見て笑う南。

 やり取りされる言葉は乱暴だが、その場にいる全員が楽しんでいた。


「どうなの、南さん」

「えっと、そうだね、モテるかどうかは分からないけど」

「おい!」


 南が笑いながら言う。

 日置は大爆笑だ。


「人が見てないところでも優しいし」

「え~」

「そうそう、もっと言ってくれ」

「見返りを求めて何か言ってくることはないし」

「うん……」

「おう……」

「デリカシーはあんまりないかもしれないけど、他人の悪口は言わないし」

「……」

「……」

「たま~にカッコいいとこある、って感じかな」

「…………」

「…………」

「……あれっ? えっ? あれっ?」


 ニヤついて何も言わない日置。

 動揺して何も言えない俺。

 言った後で、自分の発言に何かを感じたのか、どんどんと顔を赤くする南。


 悪くはない。

 全く悪くはないが、その後は何だか変な空気になった。

 

 俺と南は、顔を上げていられなくなって、下を向いた。


 机の上には、今日ほとんど使われていない教科書が、寂しく置かれているのであった。

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