第26話 六月一週(③)

「え、凄い。 ほとんど解けてる」

「家でも勉強したからな」

 

 放課後になり、自習室で南と合流した俺は、再度試験問題を解いていた。


 昨日、帰宅後にも勉強を続けた俺は、試験と同じ問題であれば七割近く解けるようになっていた。

 勿論、答えの丸暗記ではない。

 最初の躓きを解消すると、面白いように理解が進み、気付いたら日付が変わる頃まで夢中で勉強してしまった。

 朝も早起きし、問題集に手を付けてしまったくらいだ。


 二か月分の遅れを一日で完全に取り戻すことは当然できなかったが、数学だけは何とか格好が付くところまで持ってこれたかもしれない。


「やっぱり遼太郎、頭良いんだ。……ううん、相当頑張ったんだね」

「南のおかげだよ」


 俺としては、こんなに集中して勉強できるとは思っていなかった。

 勿論南の教え方が上手だったのもあるし、『せっかく教えてもらったんだから、成果を出したい』という気持ちが俺を強く突き動かしたというのもある。


 今なら一晩で法隆寺も建てられてしまうかもしれない。


「これならもう、追試もクリアできそうだね」

「え」


 えっ。

 

 初日から勉強しすぎてしまったせいだろうか、南が早くも俺から手を引く気配を見せた。

 正直、ここで南に手を引かれたら、良い感じに張り詰めていた気持ちが途切れてしまう。

 それでも、もう追試は何とかなるかもしれないし、南の負担はなくなる。

 

 しかし、俺の追試の行方や南への気遣いより何よりも、『この時間がもう終わってしまうのが嫌だ』という気持ちが、俺の口を動かした。


「明日からは……」

「いやっ!」


『もう終わりにしようか』『一人で大丈夫?』……そんな風に続きそうな言葉を、俺は強引に遮った。


「全然ダメだ。このままだと再追試もある」

「え、この調子ならもう大丈夫だと思うけど」


 ――大丈夫。

 

 追試の合格だけなら確かに大丈夫だ。

 

 だが、たった一日だけだったが、南とのこの時間がなくなるのは、俺が大丈夫じゃない。ような気がする。

 いや、大丈夫じゃない。確信だ。


 これはもう、完全に俺のわがままだが、全力で説得するしかない。 


「南が協力してくれたから、何とかできるようになったんだって」

「私なんか別に」

「いやいやいやいや、南はすげー賢いし、教え方も上手だし、頭も良いし」

「え、えっと」

「話も丁寧だし、インテリがあるし、論理的だし、勉強はできるし」

「わ、分かった。も、もういいから」


 同じようなことしか言っていないが、勢いで話しまくる俺。

 褒め殺して褒め殺して褒め殺す。


 効果はいまひとつのようだ!


 それでも俺は諦めず、必死で言葉を探す。


「俺、マジで一人じゃ無理だから」


 南が先に折れて、聞くモードに入ったようだ。

 ここで少しトーンを落ち着けて、気持ちが伝わるように、真剣に話す。

 

「これからも一緒にいてほしい」


 南がその言葉を聞いて、息を呑んだ。


 まだまだ勉強を教えてもらうぜ……。 


 最後の決め台詞を言い放つ。


「俺、南がいないと駄目だ」


 真顔で南の目を見据え、頼み込む。


「…………」

「…………」


 ……会話が止まり、何か変な空気が流れ出す。


 ……あれ?


 南の顔が赤くなっている。

 少しだけ目も潤んできているように見える。

 

 いや、そんな顔するところじゃなくて、『明日も一緒に勉強しよう』って話なんですが……。


 俺は今更目を逸らせず、変な汗が流れ始める。

 冷たい、冷たい汗が背中や額から流れ落ちる。


 かと思えば、耳が燃えるように熱い。

 うん、俺の顔も相当赤くなってきている。


 ちょっと、ちょっとだけ南との距離が近いかな……。

 

 だが、今更距離を取れない。

 信じられないが、身体の動かし方が良く分からなくなっている。

 唾すら飲み込めない。


 南は何も話さない。

 一度大きく息を吐く音が聞こえたが、それ以降は音沙汰がない。


 ――これは、俺からの言葉を待っている。


 しかし、俺からも次の言葉なんてものは出てこない。

 ただの勉強の話だったはずだ。


 なんて、緊張感だ……。

 

 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか、その空気に耐えかねたかのようにほぼ同じタイミングで口を開く。


「あのっ……」

「えっと……」

「あ……」

「……」


 そして口を閉じる。

 やっちまった。


 もう一生、この時間が続いてしまうんじゃないか、そんな風に思った瞬間――。


「オイ、オイ、オイ~ッス!! 学生の本分は勉強勉強~!!」


 ガラっと大きな音を立ててドアが開き、日置が自習室に乱入してきた。


 大げさでも何でもなく、『人生で一番』というくらい大いに驚いた俺は、言葉にならない奇声を上げながら、後ろの机へとダイブしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る