emergency-15
シークが解除を始め、封印はめりめりと裂けていく。
幾つもの亀裂が入った灰色の球体は、熱湯を掛けられた氷の如く、上部から溶けて紫色の蒸気となって消えていく。中からはアークドラゴンの頭部が当時のまま現れた。
それから数秒もしないうちに、背中に乗っていたシークも体を起こした。その顔はゆっくりと目を開き、バルドルの方へと向けられる。
「シーク!」
「うっ……やっぱり体、ギリギリって感じだ」
「ああ、本当にシークだ。この瞬間をどれ程……どれ程待ちわびた、ことか」
目覚めたのはシークだけではない。シークがアークドラゴンから転げ落ちた頃、心臓まで封印が消えたアークドラゴンもまた、息を吹き返した。
アークドラゴンは苦しそうに血を吐きながら唸りを上げる。
「バルドル! くっそ、体が思うように……」
シークはよろけながらもなんとか台座に手を掛け、バルドルの柄を握った。鞘はそのままにして、ゆっくりとバルドルの刀身を引き抜く。それと同時に、シークにはバルドルが長年蓄えた気力と魔力が流れ込んでくる。
「どうだい」
「……うん。毒で気分悪い事以外はいい調子」
封印の中では時が完全に止まる。アークドラゴンは致命傷を負ったまま封印されたため、腹部にはまだポッカリと穴が開いている。その腹部の穴からは大量に血が噴き出していた。
「グ……ルルル」
アークドラゴンは首をもたげる事すら叶わない。翼も失い、もはや魔王と呼ばれた面影など何処にもない。血とともに吐かれた火は弱々しく、フッと吹き消す事さえ出来そうだ。
「魔王討伐……いくよ、バルドル」
「積年の思いを果たす技は君に任せるよ、シーク」
シークは共鳴し、バルドル本体と力を共有する。真正面に構えた刀身が輝き始めると、アークドラゴンの頭上めがけて高く跳んだ。
込められた魔法はライトボールだった。ライトボールは攻撃魔法ではない。それは聖剣バルドルに最もふさわしい「光」によって、聖裁するという意味が込められていた。
バルドルの峰が背中に付くほど大きく振りかぶって反動をつけ、光の残像がいつ現れたのかも分からぬ速さで大きく弧を描く。
その瞬間、振り下ろされた一撃がアークドラゴンを簡単に斬り裂いた。
「セイント・ブルクラッシュ!」
相手が弱っているかどうかなど関係ない。シークは全力で頭から首、ポッカリ穴の開いた腹までをぶった斬った後、もうひとつ技を畳みかける。
「火炎・風車!」
強過ぎるモンスターは心臓があれば再生する。ヒュドラ戦で思い知った事だ。シークは魔力でバルドルを燃え上がらせ、心臓を抉るように深く斬りつけた。
「グゥゥッ……プ」
「……やった、かな」
シークがバルドルを引き抜く。アークドラゴンは頭と首をまるで開きのように左右に倒し、そのまま絶命した。
たったこれだけの事が出来ずに、封印を使わざるを得なかった。そう考えると1人と1本には悔しさが込み上げてくる。
しかし、それ以上に清々しい気分でもあった。それは平原に吹く風にも勝るものだった。もうアークドラゴンは動かない。
「うん、これで終わりだ。僕の聖剣としての役目はようやく終わった……」
「お疲れ様、なんだか……倒してみるとあっけなかったな」
「終わったから言える事だね。さあ倒したのだから最後に写真を撮って、いつものように燃やそう。魔王教徒はいないとしても、このままにしておけば腐臭でモンスターが寄って来る」
「そうだね。じゃあその前に毒を消したい。マジックポーションとか……って、あれ? ここどこ?」
シークは共鳴を解き、鞄を探そうと辺りを見渡す。今更ここが封印される前にいた場所ではない事に気が付いたようだ。
「お供えが確かそこの立て看板の横、台座の前に」
「お供え……」
「鞄もそのまま鞘の下の箱にあるよ。ここはアスタ村の北東だね」
「どうりで見たことあるような気がしていた……え? バルドル、俺どれくらい封印されてたんだ?」
「300年くらいかな」
「えっ!? そんなに経ってるの!? どうしよう、俺完全におじいちゃんだ」
「歳のわりには随分若く見えるよ、まだ20代でいけそうだね」
シークには時間の感覚がない。飄々と言ってのけるバルドルの言葉に絶句し、呆然と立ち尽くす。気持ちを封印の中に置き忘れたかのように、無表情のままバルドルを鞘に納めようとした。
「わっ! ちょっと待ったシーク! 本当の事を言うから、こんなにも汚れた状態で鞘にしまうのはやめておくれ!」
「って事は300年は経ってない? 100年? 50年? 早く言って、手が滑りそう」
「ちゃんと持っておくれよ! ああもう、5年だよ! あれからおおよそ5年経っているんだ。今回はちゃんと確認しているから間違いない」
「5年……? 俺は25歳? ゼスタやビアンカは? シャルナクとイヴァンはまだこっちに? 俺の家族は……そうだ、5年も経っているならチッキーも随分と大きくなってるはず」
「近況はそれぞれに聞いておくれよ、とりあえず皆元気さ。先週からケルベロスとゼスタとアレスとイヴァンが村にいる。ギリングにはビアンカとシャルナクがいるはずだ」
5年という歳月は、人にとって決して短いものではない。
ゼスタとビアンカはベテランの風貌になり、チッキーは見た目の年齢も背丈も殆どシークと変わらない。シャルナクは元々年上だったが、イヴァンでさえシークの背をとっくに追い越している。
「嘆いても仕方がない、覚悟なら出来ていたんだ。それにしてもこんな所に5年も……封印された姿を晒していたなんて恥ずかしい。ひっそりと隠していてくれたら良かったのに」
「『家があったら帰りたい』ってやつかい? だったらすぐそばだ、良かったね」
「えっ? ……まあ、穴に入るよりマシかな」
シークは肩を落とし、台座の下にある木箱を開けた。そこには見慣れた茶色い鞄があり、供物として置かれたポーションとマジックポーションも並んでいる。
シークは腰に掛けていた魔術書を鞄にしまい、肩に掛ける。それからバルドルと共にアークドラゴンの死骸を証拠として写真に収めた。
マジックポーションを1つ飲み干し、ファイアーボールを連続で唱えたなら、アークドラゴンの死骸は炎に包まれ、煙となって消えていく。
「こんなもんかな。この調子なら夕方には全部灰になる。周りに燃え移る物もないし……煙が臭いから移動しようか」
「ボアでも斬って暇をつぶすのはどうだい」
「やっと封印から出られたんだよ。今日はゆっくりさせてよ」
「君は暇があればすぐゆっくりしようとするんだから、まったく。……これで旅を終えるなんて言うんじゃないだろうね」
シークはフッと笑みを浮かべ、バルドルの汚れをグリムホース革のクロスで拭き取った後で鞘へと戻す。
「ミノタウロス10体の約束は果たさなきゃね」
「おかわり自由かを伺っても?」
「お好きなだけどうぞ」
「じゃ、じゃあ天鳥の羽毛クッションは?」
「それは『お1つ様』1個までとなっております」
残念と呟きながらも、バルドルはとても満足していた。5年の空白があったとは思えない会話のやり取りに、1日や2日、モンスター退治が出来なくても構わないと思ったくらいだ。
シークはそんなバルドルに追い打ちを掛ける。それはいかにもシークらしさ溢れる優しい言葉だった。
「ところで君がこれから行きたい場所はどこ?」
「シロ村に報告に行きたいね、是非とも」
「そっか。……奇遇だね、俺もちょうど用事が出来たところなんだ。君だけで行くより、俺と一緒の方が退屈しないと思わないかい、バルドル」
「ふうん。悪くないね、シーク。乗ったよ」
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