【chit-chat】
【chit-chat】嘘をついても許される日……正直者は疑われる。
シークとバルドル。彼らが共に旅を始めて随分と年月が経った。1人と1本は数々の偉業を成し遂げ、世界中を旅してまわった。
仲間ともよく会っていて、行動を共にすることもある。だがそれぞれの状況も歳を重ねるにつれて変わっていく。
生きていれば優先すべきことは他にも増えていく。恋人だったり、家族だったり……指導者の道であったり、故郷の発展であったり。シークはバスターとして旅をする事を選んだ、それだけだ。
ところで1人と1本は今、寒さが和らぎ、暑さが襲い掛かって来るまでの間の期限付きで、初めて訪れる大陸にいた。
旅するバスターにとって、未踏の地は胸躍るものだ。けれど1人の方も、1本の方も、あまりウキウキしては見えない。
「さて、出来れば今日は町に寄りたくなかったけど、仕方が無い」
「僕を拭くグリムホース革クロスを失くすだなんて、まったくシークともあろうお方が情けない」
「だからこうして渋々町に寄ろうとしてるんじゃないか」
太陽に照らされ、緑が芽吹いた草原にひんやりとした風がそよりと吹く。そんな爽やかな天気におよそ似つかわしくない会話には理由がある。
バルドルの手入れをした後、シークはバルドルを拭き上げるためのグリムホース革クロスを置き忘れてしまった。草原のどの辺りで休憩したのかはもう覚えていない。
最後の1枚ではないが、失くした事へのバルドルの恨み節に根負けし、シークは新品を買う為に町へと向かっていた。
つまりは、そういう事だ。
* * * * * * * * *
「おやおや、今日はバスターのお客さんは食べ放題だよ! さあ入った入った!」
「装備の胸に赤い
「噴水広場の水路で足を浸せば、疲れが一瞬で消えますよ。旅の方はご存じないかしら、是非とも試してみて」
南半球に位置するライカ大陸。緯度が高いためやや肌寒さを感じるも、4月は天気が良い。木々にはこの大陸にしかない黄色い花が満開に咲き、絶好の観光シーズンだ。
他所からの観光客はとても多く、温泉地としても有名だが、工業も盛んだ。世界で唯一の機械車(バイクの事)が製造される工場がある事でも知られる。ここでは馬の代わりに機械車が客車を引く。それもまた観光の目玉となっている。
しかしこの大陸をよく知る人なら、どんなに過ごしやすくとも今日ばかりは避けたいと口を揃えて言うはずだ。
「シーク、今日はお買い得だそうだよ。手入れ用品を買うなら今日だね」
「バルドルはこの大陸に来た事ないんだっけ」
「300年前は、もっと世界は旅しにくかったんだ。残念ながら1度も連れてきてもらった事はないよ」
「だったら知らないか。この大陸の信仰において、今日は嘘が許される日なんだ」
「どういうことだい?」
このライカ大陸では、4月1日は神様の休日とされている。人間のやる事を神様が見ていないから、今日は嘘をついても神様から罰を受けない、というわけだ。
強盗など、法律に反する行為は勿論許されない。けれど嘘をつく事はセーフ。とんでもない日だ。
「バルドル。今日、この大陸は嘘をめいっぱいつく日なんだ。神様がいない間、ちょっぴり悪い事をしてもいいってこと」
「えっと、その言葉がすでに嘘である可能性をうかがっても?」
「俺はこの大陸の人間じゃないから、嘘をつくなんてイベントはパス。本当だよ」
「ああ、僕は今、信じるべきものを見失ったようだ。何を見ても聞いても疑わしい」
シークがちょっと企むように笑顔を作ると、バルドルはそっとシークの心の中を読んだ。
そこにあったのは、いつこの話を切り上げて武器防具屋に向かい、グリムホース革クロスを買うかというシークの考えだった。
「ああ、訂正。僕は信じるべき事だけ信じるとするよ。君はこの嘘つき共に混じって1人か……1本くらい騙そうとは思わないのかい」
「バルドル。考えてもごらんよ。嘘をついていい場面が仮にあるとする」
「まさに今だね」
「そんな時、ここぞとばかりに嘘をつく人を君は信用できるかい?」
シークは話をしながら歩き始めた。黒く硬い舗装を装備の踵が打ち、奏でる音が軽く響く。向かい始めたその先が武器防具屋である事を、バルドルは知っている。
「そうだね。機会さえあれば嘘をつくというのなら、心の中では嘘をつく気があるってことだ」
「そんな時こそ正直でいたいと思わないかい? 本当つきのバルドルだったら分かると思うけど」
「本性が見えるってことだね。なるほど、なんともお人好しの君らしい」
つきたい嘘もない。あったとしても、周囲は毎年この1日のために、とっておきの嘘を考えてきたベテラン嘘つきばかり。その場の思い付きの嘘で騙せる相手などいない。
「シークってば、お人好しが過ぎるよ」
「そうかな。俺だって別に優しい訳じゃないし、我慢ばっかりしてる訳でもない」
「君は難癖をつけられても、悪者を捕まえても許しちゃうんだから。少しは斬ったらどうなんだい」
「斬ったら殺人だよ……」
「じゃあ、譲れる所まで譲って峰打ちだ。君は強盗に刃物を向けられた時も僕を抜きもしないんだから」
シークは有名人だが、会った全員が全員、シーク・イグニスタだと認識できるわけではない。以前管理所からの要請で追っていた盗賊一派を捕えた時も、彼らは最後まで「シーク・イグニスタ」だと気づいていなかった。
シークは基本的にお人好しだ。それはバルドルの言う通りだし、復讐をするなどというエネルギーを持ち合わせているタイプでもない。何か使命でもなければただののんびり屋だ。
「バルドル、俺って一応はバスターなんだよ。しかも最近は勇者だの英雄だのって扱いをされてる」
「うん、伝説の聖剣を持つ勇者シーク・イグニスタだね。存分に誇るといい。少し斬ったってそれもまた伝説の1ページだ」
「いや、本当にそうなりそうなのが怖いんだ。俺が個人的な恨みを晴らしても、許されてしまいそうな風潮があるだろ。でも嘘をついたとか、誰かを苛めたなんてページは要らない」
「まあ、そうだろうね」
立場を見せびらかすように使い、シークが自分の正義で動いてしまえば、他人の正義は置き去りになってしまう。法よりもシークを支持するような風潮が広まれば、それはただの反乱分子だ。
皆が憧れているのはシーク自身ではなく、その振る舞いである。シークはそれをいつも考えていた。だから、こんな時でも嘘をついて遊ぼうとは思わない。
「とにかく、あいつは嘘をつく人間だ! と思われるのも嫌だから、今日もいつも通りでいくとするよ」
「そうだね。嘘つきだと1度思われたら、その人の心を変えるのは難しい。倒す方が簡単だから倒すことになっちゃうかな」
「んー、何か違う」
「今日は嘘をつくぞって宣言されているような状況だし、騙される人なんているのかい」
「そうだね。宣言されて嘘をつかれても、信じないって分かっているからこそ、嘘をついているのかもね」
シークはバルドルと何気ない会話をしつつ、とても高価なグリムホース革クロスを買った。嬉しがるバルドルをきちんと手入れしてやろうと、シークは少し早い時間だが宿屋へと向かう。
「いらっしゃい」
「こんにちは。明日の朝まで、1晩お願いします」
「はいよ、こっちに記帳を」
シークは前金の4000ゴールドを支払い、宿泊台帳に名前、出身、年齢、バスター等級を記していく。とそこで、宿の主人が豪快に笑い始めた。
主人はやや薄くなりだした頭頂部を手でペチッと叩き、茶色いエプロンから包みに入った飴を取り出して台帳の上に転がした。シークへくれるつもりだろうか。
「はっはっは! なかなかやるね兄ちゃん。けど、流石にその嘘は大きすぎるぜ。今日いちばん秀逸で大胆な嘘だよ!」
シークは何のことか分からず、きょとんとした目で店主の顔を見上げる。シークは記帳しているだけで、何も嘘を付いた覚えはない。
「えっと……何がですか?」
「いくら今日は嘘が許されるとしても、あの有名な『シーク・イグニスタ』の名を騙るとはね。嘘もここまで来ると大したもんだ」
【chit-chat】嘘をついても許される日……正直者は疑われる。
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