Breidablik-08



 * * * * * * * * *




「なあバルドル」


「なんだい、シーク」


「なんだか……久しぶりに1人と1本だね」


「そう言えばそうだね。ようやく『鍔をのばせる』よ」


「鍔って伸びるんだっけ。まあ、人間も羽もないのに羽を伸ばすって言うけどさ」


 宿についた後、シークは白い半袖シャツを着て灰色の短パンを履き、バルドルを抱えて大浴場に向かった。とにかく一度さっぱりとしたかったのだ。


 シークはまず洗い場の台にバルドルを置き、椅子に座ってお湯を頭から掛けた。時々バルドルにも掛けてやり、油や汚れを浮かせる。


「ハァー、気持ちいい。バルドル、湯加減どうだい」


「シークの即席露天風呂も悪くなかったけれど、ゆっくりできると刀身に沁みるね」


 ザラザラ感を残したまま平らに揃えられた石の床と、巨石をくり抜いて作られた浴槽。お湯の匂いは特にない。そんな1カ月前は何とも思わなかったお風呂が、今はとても幸せな空間に感じる。


「良かった。明日、ナイトカモシカの皮を売りに行って、新しい革布を買おうか。予備で買っていた分もだいぶくたびれちゃったよ」


「そうして貰えると僕は嬉しい。僕が望むものを先回りして用意してくれるなんて、剣心をくすぐるよ」


「どういたしまして。あんな壮大な話の後で聖剣に認められると誇らしいね。他に欲しいものは?」


「え? 贅沢を言っていいのかい?」


 シークの申し出に、バルドルはご機嫌で何がいいかを考える。本来ならばシークもグレー等級のまま更新していない魔術書を買いたい、などと言うべき所だ。バルドルは自分を優先させてくれるシークの事をとても気に入っていた。


「管理所の裏路地の武器屋にはなかったけれど、グリムホース革クロス、それと天鳥の羽毛マットがあれば喉から手が出るほど欲しい」


「喉……手? ん~どこに売ってるんだろう、首都のヴィエスならあるかな。天鳥の羽毛マットって、確か凄い高級品だよね、貴族が使うような」


「もし手に入る事があればでいいんだ。あの上にそっと置かれた時の心地良さが忘れられなくてね。あぁ、あれは至福のひとときだった……」


 バルドルは声だけでもうっとりしている事が分かる。


「ちょっと、訊いていい?」


「ん? なんだい」


「喉から手が……なんて慣用句を時々使うけど、どういう状態か意味分かってて言ってるんだよね?」


「人間のように実際に喉から手を出せる訳じゃないから、あくまでも見聞きした表現を使っているに過ぎないかな」


「いや、人間も喉から手は出せないけど」


「え? 僕は口に入れた食べ物を、喉にある手で胃袋に入れると聞いたけれど、違うのかい?」


「誰だよ、それ言ったの」


 久しぶりに戦闘から離れて1人と1本になると、どうでもいい会話を気兼ねなくすることができる。シークとバルドルの会話は、旅立った時と然程変わらないように見える。けれどシークの表情はすっかり親友との会話のそれだ。


 シークは全身を泡だらけにしながら体を洗い、そのままバルドルを丁寧に拭き始める。


「拭いて貰ってばかりで悪いね。いつか僕が君を拭いてあげる事が出来ればいいのだけど」


「いつも俺の不慣れを尻拭いしてもらってるからいいよ、バルドル」


「尻拭い? 僕は流石に君のお尻を拭いてあげる気はない」


「バルドル、それは分かってて言ってるだろ」


「うん」


 シークは300年前の真実を知っても態度を変えない。それどころかバルドルに対しての感情が全く悪い方に動かなかった。バルドルはそう見えないだけで本当に嬉しく思っていた。


 バルドルは、自分が「思っている事が態度に出ないタイプ」で良かった、と思っている。バルドルが素直に喜び、刀身をくねらせでもしたら、シークの気遣いは度を超え、しまいにはきっと義務だと感じてしまうと分かっていたからだ。


 優しいシークの事を、利用しているとは思われたくない。常に対等か、もしくは55対45くらい(つまり自分が若干有利な形で)でシークに譲ろうと考えている。


「お背中……えっと、おフラーお流ししましょうか」


「うん、有難う。お風呂に入れて貰える剣なんて、僕くらいじゃないかな」


 バルドルが「満面の笑み」風に嬉しそうな声でシークへと喋りかける。その時、大浴場の木製の引き戸が、ゴトゴトと音を鳴らしながら左に寄せられた。


 入ってきたのはゼスタと、そして両手に握られたケルベロスだ。


「シークも来てたのか」


「うん、ベトベトしたままでいたくないから」


「おーう、バルドルも連れて来てもらってたんだな! 聞いてくれよ、ゼスタのやつ、当たり前のように部屋の洗面台で洗い出すんだぜ? 俺っちも連れて行けって話だろ」


「ふーん。その点、僕の主は僕の扱い方については名人だからね、ほら、ナイトカモシカ革クロスにアシッド液、おまけにお湯! 高級ホテルの浴槽に沈めて貰ったこともある」


 持ち主と風呂に入る剣なんて他にいないと言ってすぐ、ケルベロスがゼスタに連れられて来られた。一瞬ガッカリしたバルドルだが、改めてシークから大事にされていると実感し、つい自慢話をしてしまう。


「ちょっと、恥ずかしいからその訳の分からない自慢やめてよ」


「バルドルお前大事にされてんだなあ。ところでゼスタ、まさか俺っちをその腰に巻いてたタオルで拭こうとしてねえよな」


「え? あー駄目か?」


「当たり前だろ、それで俺っちの刀身を拭かれるのはどうもなあ」


「持ち主と一緒のタオル使って仲良しでいいじゃないかよ」


「やっぱり俺っちは俺っち用のが欲しいね!」


 ゼスタとケルベロスも仲が良いようで、内容はともかく会話は楽しそうだ。


「バルドル。明日新しいのを買ってあげるから革布を使わせてあげてよ」


「仕方がない、恩はしっかり着せるとするよ」


 シークはバルドルの意向を無視せず、断りを入れてくれる。そんな気遣いも心地が良い。


 ああだこうだと拭き方に注文をつけるケルベロスと、少し黙れないのかと言い返すゼスタ。シークとバルドルはその様子を「愉快だね」と、自分達を棚に上げて眺めていた。


『あれ~? もしかしてゼスタ達も来てるの?』


「あ? ビアンカか。おう、今ケルベロスを洗ってやってるとこ」


 ふとその隣の女湯から声がした。ビアンカだ。


『ふーん。あっ、痛た……』


「どうした?」


『筋肉痛で、腕から腹筋にかけて全部痛いの。筋肉だけじゃなくてどうせなら……』


 シークとゼスタはポロリとこぼれたビアンカの本音に苦笑いする。ビアンカはハッと気が付き、慌てて自分の発言にフォローを入れた。


『あ、えっと、今よりもっとって意味だから! 私、意外とあるから!』


「何がだよ。そんなこと聞いてねえよ。お前は女として見られたいのか、仲間として見られたいのかハッキリしろよ」


『可愛くて魅力的で、手が届かないけどそっと想われるような仲間として見られたい』


「めんどくせえよ」


 ゼスタとビアンカが風呂場の壁越しに言い合いをしている。そしてシーク苦笑いし「また始まった……」と呟く。ケルベロスは「こいつら面白いな」と傍観して止める気がない。


 そんな皆を鎮めようと、バルドルはゆっくりと話に割って入った。


「あのー。僕は人間の求愛行動はあまり理解していないのだけれど」


「バルドル、言い方」


『え? バルドルも連れて来てるの?』


「その通り。こんな僕と仲良しなシークとゼスタが、仮にビアンカを取り合って喧嘩したらどうするんだい」


「え、その仮定……いる?」


「いいかい? 喧嘩の果てにパーティーが解散してしまったら世界が終わるんだ。ここはビアンカが自身を控えめに言う必要があると思うのだけれど」


 バルドルのどこかズレた提案から数分。いつしか話題は旅を振り返るものになり、シーク達は真っ赤に火照った体で大浴場を後にした。

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