第215話 鎮魂歌+過誤(2)

 傷ついた想い人を強く抱き締めながら叫ぶ光。それを見た弘孝は光をゴミを見るような目で見ていた。



「想い人を傷つけるだと? 馬鹿馬鹿しい。これは可憐が目を覚ます為の手段だ」



 弘孝はそう言うと、可憐に向かって再度魔力を放つ。それは、先程可憐を傷付けた場所に当たった。闇と毒を混ぜたような色をした魔力は可憐の背中を傷つけた時と同じように付着していた。



「可憐!」



 闇と毒を混ぜたような色をしたそれだったが、可憐の背中に当たっても傷を付けることは無かった。



「あれ?……痛くない……?」



 弘孝の悪魔の魔力は可憐の背中を優しく包み込む。数秒後、魔力が消えたと同時に可憐の背中にあった傷は綺麗に消えていた。



「これが魔力だ。傷付けるのも癒すのも自由自在。その制度を上げるのは、地獄長の地位のみだ。可憐、これが何を意味するのか、賢いお前なら理解出来るだろ」



 可憐に向かって儚い笑みを浮かべる弘孝。しかし、可憐はそんな弘孝を睨みつけていた。




「私は……悪魔にはならないわ。自分の欲望の為に、他の人を犠牲にするなんて……最低よ」


「そうか。それがお前の返事か。サタンの器である以上、可憐は悪魔こちら側にいないといけない。このように、自分のやりたい事を自由に出来ると分からせても、断るというなら……」




 弘孝はそこまで言うと、再度バイオリンを構える。そして、弘孝の思い出の曲である皇帝円舞曲を演奏始めた。それは、魔力の込められた演奏ではなく、ただ、バイオリンで奏でられたものだった。



「弘孝君……」



 唯一、生前の記憶にある曲を目の前の恋敵でもある少年が演奏しているのを光は無言で聞いていた。その演奏に殺意が無いのは、直感的に理解していたのだ。



「……。純粋な気持ちで僕の演奏を褒めてくれたのも可憐だけだった……」



 演奏しながら、一人呟く弘孝。視線は恋敵と想い人を交互に見ていた。



「ぼくは、確かに契約者だよ。生前の記憶も無いし、ガブリエルとして、ラファエルの器である可憐を愛している。だけど、それは器であるぼくじゃなくて、ガブリエルとしての気持ちなんだ」



 演奏をしている弘孝にむかって光が声を上げる。それを聞いた弘孝は殺意の無い皇帝円舞曲の演奏を止めた。



「今、磯崎可憐という一人の女の子へ向けている感情は、光明光としての感情だよ。弘孝君が信じるかどうかは分からないけど、これは紛れもない事実なんだ」



 嘘や偽りの無い黒い瞳で弘孝を見る光。彼のその視線に弘孝は自身の唇を噛み締めた。



「ちっ……。まだ戯言たわごとを……。記憶も何も失っている状態の元人間がそのような事を言っても、誰が信じると言うんだ。僕からしたら、それは単に契約へいざなう為の甘い言葉にしか聞こえないな」



 弘孝が再度バイオリンを構え、演奏を再開する。しかし、それは演奏をする直前にジンの剣によって遮られた。




「なーにムズカシイ事言ってんだよ。ガブリエルアイツはこの人間にホれてる。それだけじゃないか。契約者がウソつけねぇのはオマエも知ってんだろ」


「今はガブリエルと会話をしている。ジン、確かに契約者は人間では無いから嘘をつく事が許されていない。だが、嘘では無いが勘違いされてもおかしくない言葉は言える。これがどういう意味か分かるか?」




 攻撃対象を光からジンへと変える弘孝。殺意と悪意で出来上がったバイオリンを使い、ジンの攻撃を受け止める。剣が重なった部分に弘孝は魔力を集中させ、剣を伝いながらジンへ魔力を流し込んだ。



「くっ……! メンドクセェな!」



 六枚の白い翼を使い、一度弘孝から距離をとるジン。両手に弘孝の魔力が伝い、ジンの身体を痛めつけていた。



「安心しろ。僕は可憐そのものを失いたいとは思っていない。ただ、可憐が記憶を失い、別人として生きていくのを見たくないだけだ。契約すると、命が五年以内に消えるのが許せないだけだ」



 視線をジンから可憐へと移動する弘孝。一瞬だけ儚い笑みを浮かべると、弘孝はバイオリンを剣へと変え、剣先をジンへと向けた。



「契約した瞬間にシンゾーが止まる悪魔に言われても、セットクリョクねぇけどな!」



 弘孝が武器をバイオリンから剣に変えたことにより、ジンは咄嗟に剣を受け止める行動を取る。弘孝は剣を振り下ろし、ジンはその剣を自身の剣を使い受け止めていた。


 そんな二人を見ていた可憐は握られている光の冷たい手を強く握りしめていた。



「……。本当に私は狡いわね。ここまで契約者としての制約を知った上で、あなた達と時間を共にしている……。普通は有り得ない状況だわ」



 光が可憐を守るように握られていた手を握り返された事により、光は視線を戦っている二人から可憐へと向ける。先程の言葉を聞いた光は、可憐に儚い笑みを向けた。



「それは違うよ。むしろ、契約者ぼく達がその事を聞かれないと答えない所が狡いんだ。だって、これを聞いたら、契約を躊躇ためらう可能性だってあるからね。天使としては、一秒でも早く仲間を作りたいというのが本音だからね」



 儚い笑みを浮かべながら光は可憐の手を強く握る。生きている人間としての温もりのある彼女の手は、死体である光の手を温めていた。



「……。それでも、私との契約をここまで延ばしてくれた光は優しいわね」



 可憐もまた光に向かって儚い笑みを向ける。しかし、戦いの中それが視界に入った弘孝が魔力を放ち、重なっている二人の手を無理やり引き離した。




「いい加減に目を覚ませ。可憐は僕と共に地獄を統べるべきだ。記憶を失う事も無く、人間の輪廻や制約から解放される。そして、最高の魔力を手に入れる……。断る理由が無いだろ」


「その考えが間違っているのよ。弘孝。あなたは道を間違えてしまったわ。それを正すのが、幼なじみである私の仕事だと思うの」




 引き離された手を強く握りしめ、拳を作りながら弘孝に叫ぶ可憐。それを聞いた弘孝は剣先をジンから可憐へと向けた。



「ここまで意見が平行線になるとはな。ならば僕が可憐を正すしかない」



 弘孝はそう言うと、剣を消す。それを好機と思ったジンが弘孝に向かって剣を振り下ろしたが、その前に弘孝が六枚の黒い翼を使い自身を包み込んだ。それと同時に闇と毒を混ぜたような色をした魔力が放たれ、ジンの攻撃を妨げる。



「ガブリエル! ラファエル! 逃げろ!」



 本能的に二人を攻撃すると察したジンが光たちに向かって叫ぶ、しかし、その前に弘孝は六枚の黒い翼を広げ、可憐に向かって右手を差し出した。



「可憐。これが本当に最後のチャンスだ。僕の手を取れ。そして、二人で第一地獄の地獄長として生きよう」



 儚い笑みを浮かべながら話す弘孝。しかし、可憐は弘孝の手を取ることは無かった。先程、弘孝の攻撃で離された光が戻り、可憐の手を握る。



「……。それが答えなら仕方ない。もう一度お前を傷付けてしまうのは辛いが……」



 弘孝はそう言うと、差し出していた右手に魔力を込める。闇と毒を混ぜた魔力が彼の手の上で禍々しい輝きを放っていた。



「可憐!」



 弘孝の魔力から想い人を守るように光が可憐を抱きしめる。生きていない冷たい身体が可憐を優しく包み込んだ。


 それを見た弘孝は一瞬だけ光を睨みつけると、可憐に向かって再度儚い笑みを浮かべながらゆっくりと口を開いた。



「安心しろ。僕は可憐を失う事が一番避けたい事だ。命を奪うような事はしない。僕にはもう……可憐しか居ないからな……」



 一度視線をジンに向ける弘孝。その行動の意味を理解出来ていないジンは弘孝を敵として、攻撃的に睨みつけていた。それを見た弘孝は小さく舌打ちをすると、再度視線を可憐に向ける。そして右手の魔力を自身の武器であるバイオリンに変化させた。演奏の構えをし、可憐に致命傷を負わせない程度の魔力を放つように力を込める。


 その時だった。弘孝の魔力が更なる大きさへと変化した。そして、彼の脳内に一人の男が直接話しかける。



「殺せ」

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