第199話 鎮魂歌+混血と運命(2)

 舌打ちをしながら大声をあげた弘孝は、左手に持ったバイオリンにゆっくりと弓を引く。無作為に選んだ音階を力任せに奏でると、その音色は弘孝の魔力と混ざり、光に向かって飛んできた。



「光!」



 可憐の叫び声に反応した光は翼を使い、弘孝の攻撃を受け止める。先程の威嚇程度の魔力ではなく、本気の殺意が込められた魔力は、光の翼の一部を一瞬にして使い物にならないものにした。



「うぐっ……」



 翼を伝い、まるで四肢が欠損したかのような激痛が光を襲う。苦痛の表情を浮かべながらも、残りの翼を広げ、可憐に攻撃が当たらないようにしていた。


 それを見ていた弘孝は、大きなため息をつく。その間も、バイオリンを使い、絶え間ない攻撃を続けていた。



「可憐をこのような争いに巻き込むのは、僕としては好ましくない」



 可憐からは少しだけ離れた場所に攻撃を繰り返す弘孝。光はそれをひたすら翼で受け止めていた。



「それはぼくだって、同じ意見だよ」



 弘孝の攻撃を全て自分から受けることにより、可憐に当たらないようにしている光。それが、彼なりの愛情表現であることは、弘孝だけが知っていた。


 光の態度に何度目かの舌打ちをすると、弘孝は一度バイオリンの構えを解き、光を見つめる。魔力と同じ紫色の瞳は、殺意と狂気で満ち溢れていた。



「馬鹿馬鹿しい。お前の感情は、お前自身のものではなく、ガブリエルのものだろ。他者に感情を食われている事を自覚していない、愚かな死体め」



 光を最大限に侮辱する言葉。それを聞いた光の動いていない心臓は、鉛の塊を受けたような感覚に襲われた。唇を血が滲むほど噛み、無理やり冷静さを取り戻す。



「君がそう思うなら、そう思っていても構わないよ。ただ、ぼくは、ぼくとしての感情を失っただなんて、一回も思った事は無いよ」



 挑発的な笑みを浮かべながら弘孝を睨みつける光。先程自身で噛んだ唇からは、僅かに血が流れていた。


 そんな二人を見ていた可憐が、慌てて光の魔力で負傷した翼を治療する。エメラルドグリーンの魔力が翼を慈悲深く包み込み、一瞬にして完治させた。



「ありがとう……可憐」



 振り返り、可憐に向かって儚い笑みを浮かべる光。しかし、直ぐにまた視線を弘孝に移していた。



「私には……これくらいしか出来ないのよ……」



 光の儚い笑みを見た可憐の心臓が大きな音を立てる。咄嗟に口から出た言葉は、自身の心臓の音で可憐には曖昧に聞こえていた。


 弘孝の光に向けた言葉と共に思い出した、好きだという光の気持ち。それが、ガブリエルではなく、光明光としての感情である事は、可憐は理解していた。そのまま視線を弘孝に向けると、友人としては度を超えた怒りが込められた顔で睨みつける。



「弘孝! さっきの言葉を撤回しなさい! あなたは……そんな人では無いはずよ!」



 可憐の言葉を聞いた弘孝は、可憐を一度だけ狂気を込めて睨みつけると、下ろしていたバイオリンを構え、一度深呼吸をする。



「お前もラファエルに騙されて感情を食われたか。可憐、僕が……お前を連れ戻す!」



 言葉と共に弓を引く。今度は無作為に選んだ音ではなく、弘孝が最も好きなクラシックを演奏していた。


 盛大なワルツと共に殺意の込められた魔力が音色に混ざり込み、光に目掛けて飛ばされる。それを察した光は、オレンジ色の魔力を使い、剣に纏わせる。剣で襲ってきた弘孝の魔力を斬ろうとするが、光の目の前で魔力が急旋回した。



「くっ……!」



 予想外の攻撃に、光の反応が遅れる。その間に、弘孝の魔力は、光の上空へと飛んだ。すると、数秒後に、吹雪が作り上げた氷の世界から氷の一部が現れ、光と可憐の間を裂くように落下してきた。



「可憐!」



 光が魔力を纏わせた剣を使い、氷を斬ろうと試みる。しかし、弘孝がそれを阻止するように、演奏を続け、今度は魔力の量をかなり減らして可憐に向かって魔力を放った。


 氷に気を取られていた二人は、弘孝の攻撃に気付かず、可憐に魔力が直撃した。



「きゃっ!」



 殺意の込められていない魔力は、可憐を数歩後ろに下がらせる程度の力で突き飛ばす。光と可憐の距離が開いたその瞬間、弘孝は氷の壁に意識を集中させ、一部を砕いた。それが落下し、可憐をまるで牢屋に閉じ込めるように囲っていた。



「可憐! 可憐!」



 剣を使い、氷を斬ろうとする光だが、オレンジ色の魔力では、サタンとモロクの魔力で作られた氷に傷を付けることは不可能だった。何度も剣を振りかざし、氷を壊そうとする光。彼の黒い瞳に朱色が僅かに混ざり始める。



「安心しろ。可憐が危険な目に遭う事は無い。悪魔としては、ラファエルの治癒力が戦いに不利になる。それでガブリエルと離した。ただ、椋川弘孝としては、可憐に怪我をさせたくない。そして、一番醜い僕を……見られたくない……。それだけだ」



 弘孝の言葉を聞いた光の瞳が黒へと戻る。剣を下ろし、振り返り、弘孝を見つめる。悪魔としての道を選んだ目の前の少年は、氷の奥にいる想い人を儚い笑みを浮かべながら見つめていた。



「ウリエルである事を放棄した時点で、こうなる事は予想出来ていたんじゃないかな? ぼくを倒して、可憐を無理やり悪魔にするつもりかい」



 弘孝の浮かべる儚い笑みの意味を理解している光は、軽く弘孝を睨みつける。剣に纏わせていたオレンジ色の魔力を消し、魔力の消耗を抑える。


 光の言葉を聞いた弘孝は、儚い笑みが消え、呆れ顔でため息をついた。



「はぁ……。まるで、僕を完全な悪役に仕立てるような言い方だな。可憐がこの先、どのような道を選ぶかを決めるのは、可憐の自由だ。それは否定しない。ただ、その決心が、可憐自身のものなのか、ラファエルによって操作されているのか……。それを僕は見極め、ラファエルの運命と可憐を引き離す!」

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