第198話 鎮魂歌+混血と運命(1)
儚い笑みと同時に可憐に向けられた光としての言葉。今まで愛の大天使ガブリエルとして、可憐に向けていたその態度や行動を、全て覆す彼の一言は、可憐の胸を締め付けた。ラファエルが自分の身体を使って何かを伝えようとしている時の違和感ではなく、可憐自身から感じているその胸の苦しみは、今までに経験の無い事だった。
魔力によって、冬の夜風が一時的に遮断されているとはいえど、完全に春の陽気ではない気温だったが、それ以上に全身が火照るような感覚。原因不明の胸の苦しみと熱は、何度も可憐の脳内に光の言葉を再生させていた。
その言葉の意味を可憐が理解した時、既に魔力で作られた空間は、ガラスが割れたような音を立てながら砕け散っていた。
冬の夜風が二人の頬を撫でるのと同時に、闇と毒を混ぜたような魔力が二人の間に飛んできた。光は、それを瞬時に察し、思考が停止している可憐を庇うように抱きしめ、六枚の翼で悪魔の攻撃を受け止めていた。
「やっと姿を現したか」
魔力で二人を攻撃した悪魔が口を開く。声の聞こえる方向へ光は振り向いた。
悪魔の魔力と同じ色の瞳。腰の位置よりも長い黒髪。聞きなれた声色。本来ならば、戦いの大天使ウリエルとして、共にサタンを倒す仲間だったその悪魔は、嫉妬の混じった殺意を光に向けていた。
「弘孝君……」
魔力を受けた六枚の翼に簡単に魔力を流し、相殺すると、光はかつての仲間の名を小さく呟く。威嚇として放たれていた魔力は、ガブリエルである光の魔力でも簡単に相殺できた。
光に残っていた僅かな悪魔の魔力を、二人を見ていた可憐が光の背後から魔力を流し込み、完治させる。
「弘孝……。あなた、本当にその選択を後悔していないの……?」
光の翼を軽く退けると、可憐は弘孝を見つめる。冬の風が唯一人間である可憐の体温を冷やし、冷静さを取り戻させた。しかし、弘孝は可憐が自分に出会う前に光と何かあったのかは、彼女の僅かに赤みが残る頬で察していた。
間髪を入れずに光の傷を治癒した可憐と、その表情は、弘孝の心臓を苦しめる。それと同時に、彼女を守ろうと自分に敵意を向ける、茶髪の少年に今まで以上の殺意を覚えた。
「可憐……。お前こそ、お前の意思ではない、神や天使が勝手に決めた運命に流され、感情までも奪われたのか。あんな奴らのエゴに振り回されるな」
一度ため息を混じえながら、二人に心情を悟られないように光を睨みつける弘孝。視界に嫌でも入り込む想い人の瞳は、僅かに潤んでいた。その瞳と、自分が可憐に想いを伝えた時に見えた表情を重ねる。
困惑が込められた当時の可憐の表情が何度も脳裏を過ぎ去り、弘孝は自身の舌を軽く噛む。未だに胸に残る可憐のごめんなさいという言葉は、弘孝の両手に負の魔力を纏わせ、バイオリンと弓を生み出す。
「可憐、今日はお前の誕生日だろ。こんな事をやっている場合ではない。はやくそのペテン師から離れ、僕のところへ来い」
可憐の回答によっては、攻撃をするという態度を取りながら、バイオリンと弓を片手で持つと、弘孝は空いた右手を可憐に向かって差し伸ばす。それを見た可憐は、光の翼にそっと触れる事で拒否を伝える。
「あなたはもう、私の知っている弘孝ではないわ……。悪魔の誘惑に負け、魂と人としての生を失った……。それを正すのも、幼なじみである、私の仕事だと思うの」
幼なじみ。その言葉を聞いた時、弘孝は一瞬だけ目を見開かせた。あくまでも親しい友人の一人であり、それ以上を求めていないと解釈した弘孝は、小さく舌打ちをした。
「では、僕もこう言わせてもらう。神や天使といった存在の運命に、無関係の幼なじみが巻き込まれているのを救うのも、僕の仕事だ」
「違う! それは弘孝の勝手な解釈よ! だって光は——」
「黙れ!」
可憐の言葉をこれ以上聞きたくない弘孝は、否定の言葉を大声で重ねる。あまり大声を出さない弘孝の態度に、可憐は一瞬怯み、視線を逸らす。
冬の風と弘孝の視線が可憐の頬を突き刺す。それを誤魔化すかのように、可憐は光の白い翼にそっと触れた。
そんな可憐の行動に、今まで二人の会話を聞いていた光が、弘孝を軽く睨みつけながらゆっくりと口を開いた。
「随分変わったね、弘孝君。可憐が怖がっているのが分からないのかい?」
瞳を僅かに朱色に染めながら、弘孝を見る光。そんな彼に弘孝は左手に持っていた弓を右手に移し、演奏の構えをとる。
「お前が可憐にとって、都合のいい言葉を並べ、偽りの関係を求めたんだろ。ガブリエルとラファエルとしては何度目かの出会いか知らないが、光明光と磯崎可憐としてはそこ数ヶ月だ。可憐が好きな物はもちろん、誕生日も把握していないだろ」
最大限の殺意を込めて光を睨みつける弘孝。誕生日という言葉を弘孝の口から聞いた時、光と可憐は一瞬だけ彼から目を逸らした。二人の脳裏に浮かぶのは、ネモフィラの花と互いの顔。そして、想いを伝えた、受け止めた状況を思い出し、同時に小さな吐息を漏らす。
「ちゃんと知っていたよ。そして、こんな状況って分かっていたけど、ぼくは可憐にプレゼントを渡した。ラファエルを守るガブリエルとして、可憐を
光の予想外の答えに、弘孝は一瞬だけ目を見開き、そのまま視線を可憐に移す。光の言葉の真意を問いただすような視線を送ると、それを察した可憐は光の前に移動し、弘孝を見つめる。
見慣れた黒髪と紫色の瞳だったが、数時間前に関係が一気に崩壊している可憐にとって、どこか他人のように見えた。
「光から、時間とネモフィラの花を……もらったわ。どちらも、とても素敵なものだったわよ」
数分前の出来事を簡単に伝える可憐。しかし、その後の光から受け止めた想いの言葉は、弘孝には伝えなかった。単に二人の問題をわざわざ第三者に伝える理由が無いものだったが、可憐はそれ以上にこれは誰にも伝えてはいけない。そんな気がしていた。
「時間、か。恐らく、魔力を一時的に察知されないようなものだろう。」
ネモフィラの花と聞いた弘孝は、Cランクで見た事のある瑠璃色の小さな花を思い出す。その花の名前と意味を、以前客引きで出会った男に訊ねると、それが可憐を連想させるものだと知った。
いつか可憐と再会して、ネモフィラが咲いていたら、必ずそれを渡すと意気込んでいたが、冬に再会し、機会を逃していた。それを光は魔力を使い、簡単に実行していた。これに敗北感を覚えた弘孝は、自身の唇から血が滲むほど、強く噛んでいた。
「アスタロトのような隠密な魔力を使うようになったな。あまり魔力を解放しすぎると、契約違反になるぞ」
弘孝の紫色の瞳が光を捉える。答えによっては、攻撃をすると言ってもおかしくないほどの、禍々しい魔力が弘孝から溢れ出ていた。
その魔力に屈せず、光は弘孝を見つめる。光の前に出ていた可憐を右手と翼を使い、そっと背に隠すように誘導させた。
「それくらい、ぼくだって分かっているよ。でも、それ以上に守りたい人がいる。それは弘孝君も同じ気持ちだったと思うよ」
弘孝から溢れ出る殺意の込められた魔力に意識を集中しながら、可憐を守るように翼を広げる光。一瞬だけ浮かべた彼の儚い笑みを見た弘孝は、舌打ちをした。
「所詮、お前の感情はガブリエルとラファエルの運命に惑わされているだけだ! 僕がその運命を……壊す!」
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