第196話 鎮魂歌+瑠璃唐草(2)

 光の持つ最大限の愛おしさが込められた笑み。それと先程のオレンジ色の光りによって、冬の夜風が二人に触れることは無く、可憐が寒さを感じる事は無かった。



「光……」



 足元の小さな花に触れながら、目の前の天使の名を呟く可憐。生花独特の肌触りは、花に触れる機会が少ない可憐には馴染みのないものだった。



「この花は、ネモフィラって名前なんだ。本当は、春に咲く花なんだけど、今、ぼくが作っている魔力で暖かいから、顔を見せてくれたようだね」



 青い小さな花に視線を移しながら、口を開く光。彼の言葉に可憐もつられるようにネモフィラへ視線を移す。小さなその花は、目の前で力強く生きているように見えた。



「とても、可愛らしい花ね」



 正直な感想を口にする可憐。ネモフィラに向かって慈悲深い笑みを向ける。


 自分の想い人と小さな花を同時に見ると、光は指先に魔力を灯した。淡いオレンジ色の光りがそのまま光線へと変わり、数秒後にはネモフィラの花びらへと変化し、宙に舞った。



「可憐の誕生日プレゼントに、この花を見せてあげたいなって思ってね。嫌だった?」



 視線を光の周りを舞うネモフィラの花びらから、可憐へと向ける。光と視線が重なり合った可憐はそれを誤魔化すように視線を逸らすと、ネモフィラにそっと指先を触れさせた。



「いいえ。凄く……気に入ったわ。初めて見た花なのに、どこかで見たような気がするの……」



 青い小さな花を愛おしそうに見つめる可憐。しかし、数秒後に何かを思い出したかのように視線を再度光へと向けた。



「あ、こんな事をしている場合じゃないわ。弘孝はどうなったの? 光は私を追ってくれたけど、弘孝は一色君たちと戦っているのかしら……」



 突然彼女の口から出た仲間だった少年の名前。恋敵でもある彼の名前を聞いた時、光は一瞬だけ表情を凍らせたが、直ぐに可憐に向けていた儚い笑みへと表情を戻した。



「ぼくの予想では、弘孝君も可憐を助けるために追ったと思うよ。だけど、ぼくの魔力で数分間だけ、契約者に存在を知られないようにしているんだ。本当は、直ぐに戦いに戻らないといけないって、分かっているけれど、君の誕生日はどうしてもお祝いしたくてね」



 黙っていてごめんね、と付け足し、光は視線をネモフィラが現れたオレンジ色の光りへと向ける。光の生み出した魔力は、戦いの現実から一時的に切り離すように、二人を優しく包み込んでいた。



「そう……。あなたと過ごす、つかの間の休息って感じかしら」



 可憐もまた、視線を二人を包み込むように光りを放つ魔力に向ける。一時的に現実から引き離してくれているその光りは、二人に安堵の息をゆっくりと吐かせた。



「そうだね。ぼくが可憐にあげられるプレゼントは、この二つくらいだからね。魔力の効果が切れた瞬間、恐らく弘孝君がぼくたちの魔力を感知して、戦うことになると思う……。出来れば、これは避けたいけど、ぼくたちが天使と悪魔である以上、抗う事は出来ないからね」



 自嘲するような笑みを浮かべる光。その笑みと、ネモフィラの花は、対のような存在だと可憐は一人脳内で理解した。光の見慣れない笑みを見た可憐は、視線をネモフィラから動かすことは無く、何度も触れ慣れていない生花の肌触りを確かめる。


 既に二人を包み込むオレンジ色の魔力は、小さなヒビが入り、この隔離された時間が短い事を表していたが、それに気付いていたのは光だけだった。



「……。どうしてこの花を私に?」



 ふと、思いついた素朴な疑問を無意識に口にする可憐。それを聞いた光は、儚い笑みを浮かべると、ネモフィラの花びらにそっと触れた。



「単純に、ぼくの記憶の中にあるもので、可憐に一番似合うものだと思ったんだよ」



 視線を可憐に移し、ネモフィラと交互に見つめる光。小さく可愛らしいその花は、光の中で可憐と瓜二つであった。



「光の記憶……?」



 光の言葉を繰り返しながら、ネモフィラから光へと顔を向け、首を傾げる可憐。彼女のその態度に、光は小さく笑い、ネモフィラから手を離し、右膝を簡単に曲げると、冬の夜空を見上げた。



「Eランクでぼくと踊った事は、覚えているかい? あの時、皇帝円舞曲は、ぼくの唯一の記憶だって言ったよね? あれと同じで、Sランクに行った時くらいに、ぼくの記憶に戻ってきたんだ」



 光の言葉に可憐は目を丸くした。目の前の少年と一度限りの舞踏を一瞬思い出したが、それ以前に契約者としての禁忌に触れたと判断した可憐は、未だに身体から消えていない舞踏の感覚を、無理矢理振り払った。



「それじゃあ、光は契約違反を……?」



 ふと思い出した、契約者としての縛り。天界で見た、記憶を取り戻す事により、契約者として神から愛されることは無く、神の慈悲から外され、腐敗する肉体の光景が、可憐の脳裏を過ぎった。


 そんな可憐を見ながら、光はゆっくりと首を横に振った。



「嫌、違うよ。ぼくはこの花を思い出しただけで、それがぼくの何を意味するのかは、全く分からないんだ。あの曲と、ネモフィラの花が、ぼくにとって、凄く大切なものだった気がするなってくらいの認識だよ」



 もちろん、これも猛君には内緒だけどね、と付け足し、小さく笑う光。それを見た可憐は、相変わらずの無表情に近い表情で光の言葉に対して頷いた。



「そう。このふたつに共通点が見当たらないから、私にも分からないわ。それに、光が何年生きているかも想像つかないし」



 可憐の記憶に残る、皇帝円舞曲を思い出しながら、目の前に咲くネモフィラの花を見つめる。中世の貴族を想像させるようなワルツと、目の前の小さな花は、あまりにもミスマッチだったが、可憐の中では不思議とこのふたつに何か惹かれ合うものがあるかのように見えた。


 ネモフィラの花を見つめる可憐を見ていた光は、儚い笑みを浮かべると、指先に魔力を集中させ、ネモフィラの花びらを数枚生み出した。彼の行動に、自然と可憐の視線が移動する。



「そうだね。ぼくもそれには同意だよ。この花の名前や見た目をしっかりと思い出したのは、アスタロトと解毒剤を賭けて戦っている時だったんだ。多分、魔力の根源である、大きな感情の動きがあればあるほど、使える魔力は大きくなるし、新しい力も手に入るのかもしれない。この一時的な悪魔への誤魔化しもそのひとつだしね。だけど、強い魔力を使う事によって、断片的だけど、記憶を思い出す……。これ以上強い魔力を求めたら、契約違反に達するまでの記憶を思い出しちゃうかもね」



 小さく頷きながら、宙を舞うネモフィラの花びらを見つめる光。可憐もまた、彼が生み出した花びらを無言で見つめていた。数秒後、花びらがゆっくりと氷の地面に着地すると、光はもう一度花びらを魔力で作り出し、宙を舞わせていた。



「そんな……。神の為に記憶を失ってでも、天使として戦っているのに、強くなろうとしたら、記憶を取り戻す可能性があるなんて……理不尽すぎるわ……」



 光の言葉に目を見開きながらネモフィラの花びらを見つめる可憐。無意識にマフラーを強く握り締め、下唇を軽く噛んでいた。それを見た光は、話題を変えようと、一輪の花を魔力で生み出し、可憐のマフラーを握りしめている手にそっと乗せた。



「この花を可憐に見せたいと思った理由はね、ぼくの記憶にあるだけではなくて、ちゃんと理由があるんだ」



 不意の光の行動と言葉に、可憐は思わずマフラーから手を離した。視線を光の黒い瞳にそっと移動させる。



「ちゃんとした理由……?」



 首を傾げながら小さく呟く可憐。それを見た光は、儚い笑みを浮かべると、自身の手のひらにもネモフィラの花を一輪生み出した。



「ネモフィラの花言葉は、可憐……。そして、今日がネモフィラの誕生花の日なんだ。可憐、君に相応しい花だと思わないかい?」

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