第195話 鎮魂歌+瑠璃唐草(1)
「可憐!」
垂直に落下する可憐に右手を伸ばす光。六枚の白い翼を使い、可憐以上の落下スピードを生み出す。右手が可憐に届いた瞬間、彼女を掴み、抱きしめるように共に落下する。
可憐を自分の胸元に包み込むように抱きしめると、六枚の白い翼を大きく羽ばたかせ、落下スピードを落とす。しかし、氷の地上から数十メートルである距離では、完全にスピードを緩めることは不可能であった。
それを瞬時に判断した光は、自身の背中を氷の地面に向け、着地した時に可憐が地面に激突する事を防ぐ。翼を大きく羽ばたかせる事により、普通の人間が落下するスピードよりかは緩やかだったが、地面に触れた時は、光の翼と背中が激しく強打する音が可憐の耳を支配していた。
「ぐはっ!」
想像以上の痛みに思わず声を上げる光。彼の声で、可憐は完全に全てを把握した。慌てて光から離れるように起き上がり、彼の怪我の状態を確認する。
出血のような目立つ傷はなかったが、光の痛がる声や、背中から直接受けた衝撃を想像すると、外傷よりも体内の骨折や内蔵の傷などが数多く存在する事は、素人の可憐にも簡単に理解出来た。
「光! 光!」
自分を身を呈して守った契約者の名前を何度も叫ぶ可憐。しかし、光は自分の声に応えることは無く、背中と翼から感じる痛みに、苦痛の表情を浮かべていた。
「待って……! 今、治療をするわ」
可憐は魔力を両手に込め、光の背中にそっと触れた。エメラルドグリーンの魔力が光を包み込み、彼の傷を癒す。数秒後、光の痛みを訴えるような声は治まり、ゆっくりと視線を向けられていた。
「ありがとう……可憐。ぼくは、何度も君に助けられている気がするよ」
可憐の治療により、背中のダメージを完全に回復した光は、立ち上がり、身体ごと可憐に向ける。
既に日没はとうの昔に過ぎており、月明かりだけが二人を照らしていた。
「これが……私の使命よ……」
私はラファエルの器だから。そう口にしようとしていたが、可憐はそれを無理やり飲み込み、自分の中だけの言葉として消化する。マフラーを強く握りしめ、光を見つめると、光は儚い笑みを可憐に向けていた。
「君がこうやって、ぼくの傍にいてくれるから、ぼくは何度も立ち上がれるし、何度も剣を握る事が出来るんだ。可憐のおかげで、ぼくは……戦えるんだよ」
黒い瞳に儚い笑み。それは、何度も見る光明光としての表情だった。それを見る度に、可憐の心臓は苦しめられ、無意識にマフラーを強く握りしめていた。
「私が……早くあなたと契約をしていれば……少しは未来が変わったのかしら……」
無意識に口にした可憐の本音。それを聞いた光は、一度彼女から視線を逸らし、可憐の隣に並ぶように腰掛けた。六枚の白い翼を簡単に折りたたみ、可憐と数センチでも近くに居ようと距離を縮める。
二人の距離と光の翼のおかげで、氷の地面に座っていたが、寒さを和らげることは出来ていた。
「それは分からないかな。ぼくたちがどう足掻いても、最終的な運命は変わらない。それを決めるのは神だからね」
光の口調、光の声。しかし、その言葉はどこか他人の言葉のように可憐は感じていた。数回
「そう」
短い返事をすると、訪れたのは沈黙。夜風と氷によって冷やされた空気は、二人の頬を容赦なく撫でていた。
寒さで可憐が数回マフラーに触れた頃、光が顔を可憐に向け、ゆっくりと口を開いた。
「もう、夜になってかなり時間が経ったから、日を跨いでいそうだね」
予想外の言葉に、可憐も思わず顔を光に向け、彼の黒い瞳を覗く。その後、一度空を見上げると、そこには冬の澄んだ空気に輝く星空が可憐の視界を支配していた。
「そうね。目覚めて直ぐに、この戦いが始まっていたようなものだから、時間の感覚なんて、とっくに無くなっていたわ」
視線を夜空から、Sランクで渡された腕時計型の機械へと移す可憐。しかし、それは悪魔との戦いでいつのまにか損傷し、機械としての性能を果たさないでいた。正確な時間は把握出来なかったが、凍えるような寒さと煌びやかな星空により、日付が変わっている事は、可憐でも容易に想像出来た。
まるで世界を俯瞰的に考えているような表情をしている可憐を見た光は、一度夜空を見ると、その前可憐の顔を覗き込んだ。黒い瞳にはエメラルドグリーンの魔力を持つ少女の姿。
「ねぇ、今日が何の日か覚えてる? 二月二十一日」
先程よりも更に予想外の光の言葉。それは、可憐の目を丸くさせた。夜風が可憐の頬を撫で、最低限の冷静さを保たせる。
「……。もうそんな日なのね。私の誕生日だわ」
今までで一番騒がしい誕生日だわ、と付け足し、小さく笑う可憐。自嘲を込めたその笑みは、光の動いていない心臓を苦しめた。
その苦しみを誤魔化すように、光は儚い笑みを浮かべると、一度ネクタイに触れ、氷の地面に指先を接した。氷の冷たさが、光の身体の冷たさと同化し、苦しみを紛らわせる。
「こんな状況なのにって、言われたら何も言い返せない。って最初に言っておくね。可憐、君に渡したいものがあるんだ」
氷の地面に触れていた手をゆっくりと胸元に移動させ、光は両手を水をすくうような仕草をする。そのまま、意識を両手に集中させると、オレンジ色の魔力が彼の両手に集まり、優しい光りを放つ。
「私に渡したいもの……?」
一度胸元のネックレスを優しく触れながら、首を傾げる可憐。天界での騒動以降、肌身離さず身につけていたネックレスは、可憐の人間らしい体温を吸収し、金属らしくない温もりを持っていた。
「触ってごらん」
両手に持つ光りのかたまりをそっと差し出す光。可憐はネックレスに触れていた手をそっと離すと、光に言われた通りにオレンジ色の光りに指先を触れさせた。
すると、その光りが一気に広がり、氷の地面を光と可憐を中心に数メートルほど包み込んだ。
「えっ……? 何……これ……」
光りに触れていた手を思わず引っ込めると、可憐は辺りを見渡した。すると、オレンジ色の光りから小さな青い花が現れ、二人の周りのみ、小さな花畑を生み出した。
一輪が指先程の小さな花は、中心部分は白く、外側になるほど花びらは鮮やかな青色となっていた。そんな花が全て咲いているのを見ると、光は可憐に向かって儚い笑みを浮かべた。
「十八歳、誕生日おめでとう、可憐」
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