第194話 鎮魂歌+蝿の王(4)
普段の気だるげな口調ではなく、蝿の王としての威厳の込められた言葉。その言葉には、皐月としての吹雪に対する忠誠心も込められていた。
「随分とサタンにゾッコンだな」
皐月の言葉に対し、猛は冷静な口調で返事をした。弘孝と同じ紫色の瞳には、殺意が込められた状態で猛を映していた。猛の翼を傷めた悪魔の魔力を、意識を集中させることにより、最低限の相殺を試みる。
「当たり前じゃーん。だってさー、混血の苦しさから解放して下さった上に、第一地獄の地獄長の立場も下さったお方だよー?」
魔力を相殺している猛を、見下すような笑みで見つめる皐月。猛が回復に特化した契約者では無い事を理解し、無駄な抵抗に近いものであると判断した結果だった。
なんとか翼を動かせる程度の回復をした猛は、そんな皐月に哀れみに近いため息をつく。
「その甘い言葉で、お前はどれだけのものを失ったか……」
猛の予想外の言葉に、皐月は一瞬だけ目を見開いた。しかし、直ぐに言葉の意味を哀れみだと理解し、再度猛に対し、見下すような笑みを向けた。
「失うー? 取り払うって、言う方が正しいと思うなー。オレがあの方と契約をして、手放したものはねー……」
哀れみの目で自分を見る猛に、皐月は両手で剣を強く握りしめ、構えた。そして、そのまま六枚の虫の羽を羽ばたかせ、猛との距離を一気に縮める。
「混血の落ちこぼれっていう苦しみ!」
そのまま皐月は、握りしめていた剣を無造作に振り回す。剣術ではないその攻撃は、猛には予想外の攻撃であり、完全に回復しきれてない翼に当たった。
「くそ……!」
幸いにも先程皐月の魔力によって傷ついた翼に、剣先が当たったのみで、飛行に支障はほとんど無かった。しかし、翼からは赤い血が流れ、白い翼を汚していた。
「親の都合で苦しみながら、生きないといけない運命!」
更に攻撃を繰り返し、血が流れていない方の猛の翼を傷つける。皐月の攻撃により、動きが鈍くなった猛は、左右両方の翼が赤い血で汚れていた。
「そしてー……
皐月の紫色の瞳が完全に殺意を抱き、猛を捉える。剣術では無い、雑に振り回していた剣の動きを一度止めた。その動きに、猛は一瞬だけ判断が遅くなる。それを見逃さなかった皐月は、左手に魔力を込め、猛に放った。
「ぐはっ!」
皐月の魔力が猛の腹部に直撃し、呻き声をあげる。大剣に纏わせていた魔力を、一度自身に吸収させる。普通の剣となったものを鞘にしまい、一度意識を腹部の患部に集中させる。しかし、翼の怪我もあってか、痛みを消すことは出来なかった。
それを見ていた皐月は、一度構えていた剣を休め、猛を見下すような笑みを浮かべていた。
「ミカエルと言ってもさー、ラファエルがいないと、完全に回復は出来ないみたいだねー」
翼の傷と、腹部を押さえる猛を見ながら笑う皐月。そんな彼を猛は魔力で最低限の回復をしながら睨みつけていた。
「俺は……転生をしない分、他よりも魔力を多く消費する、裁きをやるだけだ……」
翼の回復を諦め、腹部の出血だけを魔力を使って止血する猛。辛うじて、目の焦点が合う程度の回復が終わると、再度剣に魔力を纏わせ、大剣と変形させた。
「へぇー。じゃあさー、ミカエルが転生が必要な契約者になればさー、裁きを行える者が居ないって事じゃーん」
猛が完全に回復することが不可能だと察した皐月は、無意識に口元に笑みを浮かべる。そのまま再度猛に向かって魔力を放った。しかし、それは猛が大剣で防ぐことにより、直撃することは無かった。
「そうすれば、
大剣の裏に身を潜めながら、猛は目を見開き、叫ぶ。しかし、彼の言葉を聞いた皐月は、薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「うーん、別にオレたちは、人間に戻りたいって思ってる訳じゃないからなー。こんな人生、どーでもいいーって思ってる奴ほど、悪魔になってる感じー? まぁ、自害なんてしたら、あの方に失礼だしー。そんな生ぬるい奴がいたら、サタン様に殺されるだけだからなー。それって、魂をサタン様に食われてるのと同じだしー」
優美って女がまさにそのパターンだったよねー、と付け足し、魔力を数発放つ皐月。猛はそれを大剣を盾のように使い、防いでいた。
「兄貴もウリエルの道に戻れるとしてもさー、可憐ねぇは絶対に振り向かないって知ってるしー。悪魔の方が気が楽なんだよねー。あのジン? ってウリエルも、記憶を無くして可憐ねぇがすごく悲しんでたじゃーん? それは、
止まない魔力の攻撃。それを防ぎながら皐月の言葉を聞いた時、猛の脳裏を弘孝とジンの姿が横切った。Eランクで魔痕に苦しむジンを、命懸けで救おうと努力していた弘孝。そんな親友同士が今では、大天使と地獄長となり、殺し合いをしなければならない。
そんな二人の運命を悲観した猛は、皐月の攻撃が止まったのを確認すると、大剣を両手で構えた。
「確かに俺は、悪魔を裁きなしで絶命させるほどの攻撃力も、どんな傷を癒す治癒力も、真実を見通せる力も持っていない……」
次に思い出したのが光と可憐の姿。二人と容姿が似ている、初代のガブリエルとラファエルを無意識に重ねる。二人を初めて裁いた時の感覚が両手に蘇えり、猛は無意識に大剣を握りしめる手に力を入れた。彼の感情の大きさに比例するように、大剣を纏う魔力の濃度が増し、今までにない鮮やかなコバルトブルーに近い紫色の魔力を放っていた。
「だが、神に最初に作られた契約者として、罪を犯した人間を裁き、時には同じ契約者を裁く。記憶を失うこと無く生き続け、仲間を何度も失う経験をするのは……俺だけで充分だ!」
大声と共に、大剣を大きく振りかぶり、猛は皐月に攻撃した。濃度の高い魔力を纏う大剣は、一度振りかぶっただけで、皐月に向かって魔力の塊がぶつかるような勢いがあった。
「ぐがぁ!」
脇腹に魔力を強打し、口から血を吐き出す皐月。魔力が直接当たった腹部は、ドクターコートとシャツが破れ、腹部の肉を裂いていた。
「これだけの傷を負えば、回復が出来ない蝿の王は苦しむだけだろう……」
皐月の血で赤く染まる患部とドクターコートを見下しながら呟く猛。既に皐月の呼吸は浅く、体内に酸素を取り入れる事が精一杯だった。
先程、猛に何度も魔力を放って攻撃していた為、自身を
「……。殺せ」
腹部を手で押さえながら呟く皐月。しかし、いくら手で傷口を押さえても、手が血で赤く染まるだけであり、止血することは無かった。内蔵を損傷している為、血が喉を通り、口元を赤く染める。
それを見ていた猛は、普段通りの無表情で皐月を見つめる。先程まで大剣に纏っていた純度の高いコバルトブルーに近い紫色の魔力は既に消えていた。
「早く……オレを裁け! この苦しみから解放してくれ……」
腹部の痛みに苦痛の表情を浮かべながら、猛の剣を見る皐月。押さえる手から血が伝い、氷の大地へと落ちる。それは、数滴では無く、一定の量が絶え間なく落ちていた。
それを見ていた猛は、一度目を閉じ、大剣に意識を集中させる。すると、大剣がゴールドの魔力にゆっくりと包み込まれる。さらに意識を集中させると、その魔力もまた、先程の攻撃用の魔力のように濃度が上がり、美しい輝きを放つ。
「これが俺が与えられる、最初で最後の、慈悲か……」
眩しい程の輝きを放つゴールドの魔力を大剣に纏わせ、剣先を皐月に向ける。呼吸が精一杯の皐月は、六枚の虫の羽を弱々しく羽ばたかせ、猛の大剣を虚ろな目で見つめる。未だに腹部からは、血が止めどなく流れていた。
そんな皐月を見た猛は、大剣をゆっくりと振り上げた。
「安らかに眠れ」
ゴールドの魔力を使い、皐月を斬る猛。しかし、皐月の肉体は未だに保たれ、光りとなることは無かった。
「……? これは……どーゆー事だよー……」
ゴールドの魔力のせいか、止血した皐月。しかし、口元からは変わらず血が零れていた。辛うじて喋る事が可能になった程度の回復をした皐月は、腹部ではなく、口元を抑えながら猛を見つめる。紫色の瞳に映る猛の姿は、六枚の傷だらけの白い翼を大きく広げ、皐月を無表情で見つめていた。
「裁きの内容を決めるのは俺ではない、神だ。魂の解放を赦されていないお前は、蝿の王として、生き続けるというのが裁きの内容だろう……」
大剣から魔力を吸収し、一般的な大きさの剣まで戻す猛。そのまま腰の鞘に剣を差した。既にゴールドの魔力は消え、皐月に向けていた殺意も消え、ただ無表情に目の前の地獄長を見ていた。
「はぁ?! それって……このまま苦しみ続けろって事かよー……」
猛の言葉を聞いた皐月は、目を見開き、腹部の痛みに耐えながら声を上げる。しかし、そんな皐月に対し、猛は相変わらず無表情で見つめるだけだった。六枚の白い翼を一度だけ大きく動かす。
「お前は愛を知らずに生きていた……。それを理解するまでは、少なくとも魂の解放は保留という事だ」
再度翼を動かし、皐月に背を向ける猛。彼の言葉を聞いた皐月は、再度目を見開き、猛を睨みつける。表面上の傷は癒えているが、内蔵の傷は癒えること無く、皐月に痛みと苦しみを与え続けていた。
「ふざけるな! 早くオレを裁け!」
皐月は感情に任せて大声をあげると、その勢いで口元から大量の血を吐いた。口内に自身の血の味が広がり、不快感を覚える。
そんな皐月を猛は無表情から、見下すような表情へと変えて眺めていた。顔だけを皐月に向け、未だに背を向けたまま、六枚の白い翼を羽ばたかせる。
「お前はジン……ウリエルにベルフェゴールが想い人だと言っていたな。それは、人間が持つ人を好きになるという感情では無い。あいつを物として扱い、所有欲と独占欲がそう勘違いさせたのだろう……。本当の愛し合う二人を見てきた俺には、分かる」
皐月の顔を見ることも無く、猛はそう呟くと、可憐を追いかけて行った光たちの方向へ翼を羽ばたかせた。
そんな猛を見つめながら、皐月は口元から未だに血がこぼれていた。
「意味不明なんだけどー……。そんな事の為にオレは……また……苦しみ続けないといけないのー?」
弱々しく右手を猛に向かって伸ばす皐月。年齢に合った口調と、弱々しい皐月の声は、既に彼から離れている猛には届かなかった。しかし、皐月が何か悲観の言葉を述べているのだけは、何となく理解していた。
「最も苦しむ選択肢を選んだ神の考えは……俺には理解出来ん……」
猛の言葉を聞き取れたものは誰も居なかった。ただ、死を許されないという苦しみを覚えた皐月を、少しだけ、共感するかのように一枚の白い羽根が皐月の伸ばしていた右手にそっと振れるように落ちて光りとなって消えた。
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