第59話 狂想曲+花
可憐は人工的に作られた植物に囲まれた公園のベンチに一人座っていた。家に帰ろうかと思ったが、そうすると母親の事があるので、一人でこの感情を整理する時間が無いと思い、近所のこの公園を選んだのだ。
Eランクでは普通に見かけていた花だが、Aランクでは全て人工的に作られた造花だった。管理の便利さと、土に潜む細菌の排除を理由に作られた造花は、科学力で本物に近い触感にしてあるが、やはり、生命力の無い造花には心が揺れる事は無かった。
「ラファエル……。あなたは何を伝えたいの……?」
自分の中に眠るもう一人の自分。それがラファエルであることは感覚で分かっていた。夢で見た美しい天使は、自分の身体を使って何かをやり遂げようとしている。それが、光との契約なのか、それとも、他に理由があるのか、今の可憐には分からなかった。
胸元に輝く十字架のネックレスをそっと握りしめた。生き物ではないので、温もりを感じることは無いと分かっていたが、十字架が放つ冷たさが光の体温そっくりだったため、不思議な感覚になった。
「親友を悪魔にした私に契約者になる資格なんてあるのかしら」
優美の死体の表情と光たちと出会う前の優美の笑顔が重なった。まるで別人のようになった親友。一緒に紅茶を飲んで話しをしたのは夢だったのか。そう錯覚させてしまう。
ただ、悪魔となった優美が最後に残した言葉が可憐の生きる希望に近い存在となっていた。きっと優美は何か理由があって悪魔側についているに違いない。そう思う事で自分は契約者となり、親友を救う事が出来るかもしれないと思うのだ。先ほど見た彼女の死体も、なにか理由があるはずだと自分に言い聞かせ、可憐は強く十字架を握りしめた。
癒しの大天使ラファエルの器である事を自覚し、十字架を握りしめている手からエメラルドグリーンの魔力を僅かに灯す。これは、自身の魔力であると同時に、二千年以上前に愛し合い、別れた大天使の魔力でもあると理解する。磯崎可憐という存在以上に自分はほかの面でも必要とされていると可憐は灯した魔力を見ながら脳内で整理した。
「待っててね。優美」
可憐が強く決意したとき、公園の入り口からふと、人の気配を感じた。公園なので、誰かがいるのは不思議ではなかったが、その気配は可憐に向かっていた。敵意は無い。しかし、どこか自分を否定しているような気配。それと同時に経験した事のない魔力を感じた。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
聞き慣れない声色と言葉。花の種類をあまり知らない可憐にとってこの言葉は理解出来なかった。
美しい金髪に似合った青い瞳。やや派手な服装。微かに香る花の香り。そして、可憐が感じる契約者としての魔力をもった可憐より年上だろう青年。魔力は光たちほど強くは無かったが、人間の可憐にとっては充分強かった。
「はじめまして。磯崎可憐さん」
青年は微笑みながら可憐の前で立ち止まり、一輪の百合の花をどこからか取り出し、可憐に差し出した。
「それとも、こう呼ぶべきでしょうか。癒しの大天使ラファエル様」
青年のこの言葉を聞いたとき、可憐の思考が一瞬だけ止まった。自分の運命を知っているということは目の前の青年は契約者であることは間違いない。しかし、彼が敵なのか味方なのか今の可憐には分からなかった。
「あなたは……誰?」
本人から正体を聞く。それが最善策だと考えた可憐は偽りの無い瞳で青年を見た。すると青年は何かを思い出したように微かに目を見開いた。
「これはこれは。失礼しました。私の名前は
春紀と名乗った青年は可憐に持っていた百合の花を持たせた。
「熾天使ヘルエル……」
聞いたことのない契約者の名前に可憐は魔力を使って春紀に触れた。慈しみと悲しみが混ざった魔力を可憐は感じた。
「はい。私は大天使様の一つ下の位です。故にあなたと会話するのは許されております。最も、ガブリエル様は私を嫌っておりますけどね」
苦笑する春紀。可憐は真ん中に座っていたベンチから少し右にずれて春紀を隣に座らせた。春紀は一度礼をすると可憐の隣に優雅に座った。
「ガブリエル様がお傍にいらっしゃらないということは、可憐さんはまだ契約をなされてないと言う事ですね」
春紀の言葉に可憐はゆっくりと頷いた。そして、自分が今まで光たちと共にした事を簡単に説明した。春紀はそれを口を挟まず聞いた。
「早く契約しないといけないのは分かっているの。ただ、私が叶えたい願いが見つからないのよ。一度、契約を求めたけど、それは光……ガブリエルに断られたわ」
春紀から渡された百合の花をそっと握り締める可憐。本物の花は水分を含み、微かに濡れていた。
「私がもし、もう一度願いを叶える事が出来るならば、こう言います。私から契約者になる義務を破棄させて欲しいと」
矛盾してますねと冗談混じりに笑いながら話す春紀。しかし、その口調からは冗談ではないと可憐は理解した。
「私が本気で叶えたい願いって何かしら」
光たちと出会う前ならば、きっと自分は優美とSランクへの昇格を望んだだろう。しかし、今の可憐は望めなかった。それは優美を失い、Eランクへ行き、この国の不平等さを知ってしまったからだ。
「おかしいわよね。Sランクに上がりたいとか、親友を取り戻したいなど欲は有るのに……。それが自分を犠牲にしてまで叶えたいかとなると突然無欲になる。それは私がおかしいのか、もう一人の私が間違っていると言っているのか分からないのよ」
ラファエルをもう一人の自分と無意識に例えていた。それは、可憐なりの答えだった。それを聞いた春紀は慈悲深く微笑した。
「確かに、可憐さんには契約者になる義務とチャンスがあります。しかし、あなたの中で眠るラファエル様はそれを拒んでいます。それは、あなたが叶える願いをまだ見つけていない証拠です。今は焦らず、悪魔と契約せずに生きる事が最優先ですよ。私はそうやって感情の動きが少ない、無駄な契約をし、消えていった同僚を何名も見ましたから」
儚く笑う春紀。その笑みは、光が時折見せる笑みとそっくりだった。
春紀の笑みと同時に彼から溢れた魔力。それは彼が熾天使であるので光たちより威力が低いのは当たり前だがそれとは違う違和感を覚えた。 しかし、それが何なのか可憐には分からなかった。
「この世で最も醜いものは、堕落した契約者たちなのですから」
春紀の切れ長な目が可憐を見つめた。そのまま春紀は自分の両手を可憐の両手に重ね始めた。
「それに引き換えあなたは美しい。名前以上に可憐な方です。私と同じくらい美しい……」
春紀の突然の行動に可憐は何も抵抗せず、ただ、宝石を見るような目で見ている春紀を見ることしか出来なかった。
「ちょっと……急に何を……」
平手打ちをしようとしたが、春紀が初対面であることと、両手が春紀によって塞がっていることにより、不可能だった。
その時だった。嫉妬が混ざった魔力がどこからか春紀を襲った。しかし、春紀はそれを涼しい顔で片手で弾き返した。
「可憐から離れてくれないかな? 花の契約者」
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