第57話 狂想曲+悲哀


 猛が歩き始めた事を確認した可憐も、猛の後を追うように歩き始めた。ここで争っていたら、優美の亡骸が見られないかもしれないと思うと、自然と足早になった。


 数秒歩いた所に、大きな扉があった。扉の上には、遺体安置所と無機質に書かれた看板。



「ついたわね。本当にこんな所に優美がいるのかしら」



 鉛で出来た扉の取っ手を掴む可憐。独特の冷たさが、可憐の手の温度を奪う。



「見れば分かる話だ。それからこれからを考えればいいだけだろ」



 猛の言葉に可憐はゆっくり頷くと、冷たい扉を開けた。そこは、冬の寒さ以上の寒さと、人工的なドライアイスの臭いがした。



「いかにもって感じだな」



 可憐たちの視界には、再び扉があった。四つほど並んだ扉は、恐らく、死体の個室だろう。可憐は、右から二番目の扉の前に立った。扉には親友の名前と死んだ日にちが書かれたプレートが簡単に貼り付けられていた。



「ここね。優美が眠っているところは」



 可憐が取っ手の無い扉に触れた。軽く押すと、現在いる部屋以上の冷気が可憐の頬を撫でた。生きている人間には不快に感じる冷たさが支配する空間に、優美は安らかに眠っていた。


 白い服に整えられた髪型。うっすらと化粧をされた優美は、まるで生きているようだった。



「優美……」



 可憐の右手が優美の頬に触れた。生きている人間には感じない冷たさ。それは、優美の死をはっきりと示していた。



「冷たい……」



 死体独特の冷たさだったが、可憐には、光から抱きしめられたことを思い出させる温度でしかなかった。本物の死体を初めて見た可憐は、優美の頬から手を離すと、視線を優美の死体から猛へと変えた。



「優美は死んだの?」



 可憐の虚ろな眼差し。それに気付いた猛は慌てて駆け寄り、可憐を優美から離すように突き飛ばした。


 猛に加減をする余裕が無かった為、可憐は壁に後頭部をぶつけ、気絶した。



「すまない、磯崎」



 上着を脱ぎ、気絶している可憐にそっとかぶせた。可憐に目立った外傷が無いことを確認すると、優美の死体を睨みつけた。



「いるのは分かっているぞ、アスタロト」



 猛の声に反応するように、可憐たちが入ってきた扉とは、別にある扉から、一人の白衣を着た小太りの男か入ってきた。男は猛を見ると、ゆっくりと口角を上げた。



「ばれちゃった? さっすがぁ、大天使ミカエルねぇ」



 男の容姿からは想像つかないほどの猫なで声。数秒後、男は悪魔の魔力に包まれ、魔力が消えた頃には、七海の姿が男の代わりにあった。初めて出会った頃と何も変わらない桃色髪と大きな瞳。アスタロトの時とは全く違う雰囲気であったが、溢れ出る魔力と死臭はアスタロトそのものであった。



「優美ちゃんは死んだよ。それは、人間的には事実。可憐ちゃんはそれを受け止められていない」



 優美の頬に触れる七海。猛は魔力を飛ばし、七海に威嚇した。しかし、七海はそれを無視するように、笑った。



「優美ちゃんは死んで、完全なサタン様となるわ。早くそれを可憐ちゃんが理解しないと……」



 七海はそこまで言うと、気絶している可憐の頬に触れた。優美と同様、死体らしい冷たさが、可憐の体温を奪う。



「壊れちゃうよ」



 七海が可憐の頬を舐めた。可憐の危険を察知した猛は、腰に隠していた剣を取り出し、魔力を纏わせ、先端を七海の喉元に向けた。



「あー怖い。大丈夫よぉ、わたしは、可憐ちゃんと契約出来るほどの魔力は持ってないわぁ」



 可憐をゆっくりと横にして、離れる七海。猛の剣の先端は未だに七海の喉元にあった。




「お前らの言葉を信じる理由が無い」



「あらぁ、ミカエルは馬鹿正直で単純って聞いたのになぁ」




 唇を舐める七海。彼女の周りから、微かに死人の臭いがした。



「磯崎に触れるな。クズ」



 猛の言葉に、七海は一瞬だけ目を見開いた。しかし、その表情を猛は察することは出来なかった。七海は直ぐに、いつもの小悪魔な笑みを浮かべた。



「そんなに可憐ちゃんが大事?」



 七海の言葉に猛は一度思考が止まってしまった。次の瞬間、具現化していた剣は消えた。



「あの子は本当に神に愛された子よねぇ。もちろん、ガブリエルも」



 七海の不快に感じる笑みは、猛の脳内に懐かしい仲間を思い出させた。ガブリエルとラファエル、ウリエル。それらは、猛にとって、失ったが生き続けるものだった。冷静さを取り戻す為に猛は、魔力で無理やり精神を統一させた。



「磯崎は絶対に堕落させない」



 猛の精一杯の反論は、七海を再び笑わせた。



「あはは。本当に可憐ちゃんが大切なのね。それは、先代のラファエルがあんな悲惨な最期を迎えたものね。貴重なラファエルは大切に、大切に……。宝物のように扱わなきゃね」



 七海の蔑みのこもった笑みは猛に今まで以上の殺意を覚えさせた。



「これ以上ラファエルの事を言うとお前の魂ごとコキュートスを破壊するぞ」



 猛の今までにない威圧感を感じた七海は自分の唇を舐めると扉に魔力を注いだ。



「あー怖い。これ以上ここにいたらわたしの命が無いかもね。それじゃあ、バイバイ。呪われた契約者さん」



 そのまま七海は、再び姿を、白衣を着た男に変えると、扉の向こうへと消えた。


 残された猛。数秒後には、本物の死体の管理人が扉から現れた。気絶している可憐を横目で見ながら、管理人の男は、優美の死体から装飾品を外した。



「法律により、こちらの死体は、焼却処分させていただきます」



 無感情な声色に猛は悪寒を覚えた。死という概念をまるで生ゴミを焼却場へ運ぶような感覚で感じている人間しかいないのか。自分はこのような人間の為に仲間を失い続けているのか。そう考えたら、今すぐ目の前の人間の魂を解放し、無に返したい。そんな感情が猛を支配しかけた。


 その時だった、気絶していた可憐がゆっくりと目を覚ました。目の前の状況を瞬時に理解した可憐は、慌てて優美の死体に近づいた。



「待ってください!」



 可憐の声に反応し、振り返る男。しかし、彼の目は死んだ魚よような目をしていた。



「法律によって、この死体の保存期間は終了しました。よって、この死体は、焼却処分されます。何か言い残すことは有りますか?」



 無感情な声は、可憐の心臓に鉛を埋め込んだような痛みを与えた。男に可憐は無言で首を横に振るしか出来なかった。


 可憐の反応を見た男は可憐に背中を向け、再び優美の死体から装飾品を外し始めた。



「もう、優美はいないのね」



 可憐の言葉に答えることが出来る人物はいなかった。冷たい空気が三人の頬を撫でた。



「時間です。退席して下さい」



 無感情な声は、可憐から動く気力を奪った。そんな可憐を見た男は軽く舌打ちをし、可憐を立ち上がらせようと手を伸ばした。しかし、男が可憐に触れる前に猛が可憐の右手首を握りしめ、魔力を流し込み、立ち上がらせた。



「失礼します」



 放心状態の可憐の代わりに退室の言葉を述べると、猛は可憐の右手首を握りしめたまま、入ってきた扉を開け、生きた人間の世界へと戻った。


 猛が扉を開けると、そこには、瞳を真っ赤にした光が猛を睨みつけていた。




「ガブリエル……」



「どうして可憐を沖田さんに会わせたの?」




 光の質問に猛は無表情のまま答えた。



「沖田優美という存在が消えたと磯崎に理解させることにより、サタンとの戦いに不要な感情が現れずに済む。それだけだ」



 猛の冷静すぎる声に光は猛の胸ぐらを掴んだ。猛のシャツとネクタイが乱れる。光の方が身長が低い為、強制的に視線を合わせるように猛をかがませるような形になった。



「猛君……。いや、裁きの大天使ミカエル。君は何を考えているの? 先代のラファエルにはこんな慈しみは無かったよね。先代の彼女は、今までの中で一番魔力が強くて、サタン討伐にも積極的だった。でも、君は彼女を見捨てるように裁いた。それと可憐は関係あるの?」



 言葉の途中から光の瞳は赤から黒へ戻った。彼の目尻には、微かに涙があった。それを見た猛は、掴んでいた可憐の右手首をそっと離した。猛から送られていた魔力が途絶えた可憐は、再び床にしゃがみこんだ。



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