第56話 狂想曲+葬送



「可憐!」



 全員の視線が可憐から扉の方へ向けられる。そこには、息切れしながら可憐を見る光と猛の姿。



「光! お前どこ行ってたんだよ!」



 クラスメートの少年が口を開いた時、光は既に可憐を抱きしめていた。死体独特の冷たさが可憐の冷静さを取り戻させた。



「沖田さんは消えていない。だから、絶望しないで」



 光が可憐のみに聞こえるように囁いた。それを可憐が聞き取ったと確認すると、光は可憐から離れた。彼の目尻にも涙は無かった。



「話は聞いているよ。ぼくたちは沖田さんと共にした時間があまりにも少なすぎた。だから涙が流せない。だけど、可憐は昨日まで何も知らなかったんだよ。それでいきなり口だけで沖田さんが死んだと言っても実感が無いと思うんだ。残酷だと思うけど、彼女が涙を流せるのは、沖田さんの死体を見て、沖田さんが死んだと理解した時だよ」



 光の言葉と同時に猛は、そっとクラスメート全員にサファイアブルーの魔力を放った。それにより、不信感を抱いていた数名のクラスメートの瞳が一瞬虚ろになり、数秒後には誰もが光の言い分に納得した表情をしていた。



「そうだよね。優美は可憐にとって大切な親友だもんね。信じたくないのも分かるよ。ごめんね、色々突然言って」



 クラスメートの少女がそっと可憐の手を握りしめた。可憐は猛に一度視線を送ると少女の手をそっと握りしめた。



「いいの。みんなの優しさだから。私も、取り乱しすぎたわ。ごめんなさい」



 可憐の無意識に流れる魔力は、少女の心を癒やした。


 それと同時に教師が手ぶらで教室に入ってきた。教師の姿を確認した可憐たちは、慌てて席に座った。



「今日の授業は中止だ。沖田優美の死体が十時には処分される。今から焼却場に車で向かってギリギリだな」



 教師が腕時計を見たと同時に可憐は立ち上がり、教室を走って出て行った。それに続き、光と猛、クラスメートたちが教室を後にした。



「可憐! 光! 猛! 今更走って行ったって間に合うかどうかわかんねえよ!」



 クラスメートの少年の声は三人には届かなかった。


 現在の日本では、墓というものは存在しない。限られた土地に社会貢献が不可能な人間の死体や遺骨を保存するのは土地の無駄遣いと判断した国は、過去に建てられた墓を全て壊し、公共住宅や医療施設を建てた。


 それにともない、死への概念も変わった。死体は腐敗し、感染症を引き起こす原因となるので、死後三日以内に焼却し、遺灰は海へ処分するのが義務化された。これは、一般人も偉人も政治家も平等に扱われるのだ。


 可憐は優美の死体が本物かどうか確かめる為、疲労が完全に取れていない体にムチを打ち、走った。学校から焼却場まで車で約十分。人間の足だと三十分から一時間以上はかかる。教師の言うとおり、下手したら優美の死体を見ることは出来ない時間だった。しかし、可憐の足は限界だったが、優美の為に走り続けた。もしかしたら公共交通機関を使えば早く着くのかもしれない。しかし、今の可憐にはその考えは無かった。



「はぁ、はぁ」



 荒い息づかいが冬の寒さにより白くなる。可憐は自分の体温が上がるのを感じながら公共住宅の前を通過する。走りながら可憐はポケットから携帯を取り出し、時間を確認した。優美の死体が処分されるまであと十五分弱。可憐の走るスピードと体力からしたら、不可能な時間だった。絶望しかけている時、上空から声が聞こえた。



「磯崎!」



 上を見上げると、そこには二枚の翼を背中に生やした猛の姿があった。猛はそのまま急降下し、可憐を横抱きにし、再び空に戻った。冬の冷たい空気が可憐の頬を撫でた。



「一色君?」



 公共住宅の屋根と猛の顔を交互に見る可憐。数秒後、自分の状況を理解した可憐は、目を見開いた。




「一色君?! あなた何やっているの?! こんな姿見られたらあなたこの世界に——」



「お前は俺たちに会う前、ここで空を見たことがあるのか?」




 猛は、可憐の質問を質問で遮った。猛の質問に可憐は答えるのに数秒かかった。そして、ゆっくりと答えた。



「……。無いわ。そういえば、Aランクに上がってからは、空を見る余裕すら無くなっていたわ」



 可憐の言葉に猛は微笑した。



「音も空も平等だ。しかし、お前らは、人間にのみ通じる地位を求めた。知っていたか? 光が契約者としてお前の前に現れた時、突然空から降ってきたみたいだっただろ? 本当は違う。お前らが空に無関心で目の前に現れるまで気づかなかっただけだ」



 猛の言葉に可憐は返す言葉を探すので精一杯だった。冷たい風が可憐の火照った体を冷やした。



「……。嘘でしょ……」



 それが可憐の脳内で出た結果だった。あのような戦いが行われていた事に気づかなかった自分の愚かさを込めた言葉だった。


 それに気付いた猛は、自分の腕の中にいる可憐をそっと近づけた。猛の体温を可憐は感じた。


 それと同時に可憐は、ふと疑問を抱いた。光は死体を魔力を使うことにより生きていることになっている。しかし、猛は転生を知らない契約者だ。それならば、今自分を抱いている体は誰の体でなぜ温かいのか可憐は不思議に思い、猛に尋ねようと口を開いた瞬間、猛の飛ぶスピードが上がり、目を開けるのがやっとなくらい風が可憐を襲った。



「そのうち嫌でも知ることになる」



 猛の言葉は、風を切る音により、可憐に届く事は無かった。それから数秒後、可憐の視界の先には、死体の焼却場が現れた。



「早い……」



 猛の飛ぶスピードが徐々に落ちる。人目につかない場所で可憐を降ろすと、猛の二枚の翼は消えた。



「俺が出来るのはここまでだ。あとは、悪魔の領域だ。それでも行くんだよな」



 猛の言葉に可憐はゆっくりと頷いた。光からもらったネックレスが可憐の意志に共鳴するように輝いた。



「私は優美が生きているか確認するだけよ。今は、悪魔や天使は関係無いわ。送ってくれてありがとう、一色君」



 微笑する可憐。その笑みは猛にラファエルを連想させた。それを悟られないようにか、猛は直ぐに可憐に背中を向けた。



「この事は、光には内緒にしてくれ。あいつは、今悪魔の話をしたら、完全なガブリエルになるかもしれない」



 それだけ言うと、猛は優美の死体が安置してあろう場所のビルに足をすすめた。可憐も、それに続き、歩き出した。



 手動式の扉を開けると、人工物独特の香りと消毒液の香りが鼻孔を刺激した。二人の足音が、廊下に響く。



「本当に優美は死んだのかしら」



 無意識に口にした言葉。それは、前を歩いていた猛にも聞こえたらしく、猛は、立ち止まり可憐を見た。



「沖田優美という存在を殺すことで、サタンは沖田として生きていた拘束から解放され、動きやすくなる。死というのは、奴が行動しやすくするための手段でしかない。お前の親友は、契約をした時点で死んだものと同じだ」



 猛の言葉に可憐は立ち止まった。次の瞬間、可憐は右手に魔力を込め、利き足を踏み切った。突然の行動に猛は数秒遅れて魔力を両手に込め、自分に突撃してきた可憐を受け止めた。



「どういうつもりだ」



 猛の言葉を無視し、可憐は更に魔力を込め、猛に流し込んだ。しかし、人間と契約者の魔力では圧倒的な差があり、可憐以上の魔力を猛は流し込んだ。強い静電気を浴びたような痛みが可憐に伝わり、可憐は猛から離れた。



「確かに、優美は悪魔になったわ。でもね、それにはきっと理由があるのよ。簡単に人の親友を死んだなんて言わないで」



 可憐の周りにエメラルドグリーンの魔力が漏れた。それにより、猛の脳裏にラファエルの姿が横切った。魔力を消し、戦意が無いことを猛は伝えた。



「お前は、自分の親友が悪魔となり、お前の命を狙っても、親友と呼んで親しくすることが出来るのか?」



 猛の質問に、可憐は猛と同じように、魔力を消し、戦意が無いことを伝えてから答えた。



「当たり前よ。優美が悪魔でも、天使でも、凶悪犯になっても、私は彼女の親友には変わりないわ。ただ、私は親友が道を間違えていたから正してあげているだけよ」



 可憐の足元からラファエルの魔力が流れた。それは、人工物で出来た建物の冷たい床を一瞬だが、土のようなぬくもりを与えた。



「その優しさが、近い将来お前を苦しめるだろう」



 猛の言葉は可憐には届かなかった。それは、猛がそのまま再び歩き始め、足音により、声が消されるほどの小声で言ったからだ。



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