第53話 不満+不平等



 可憐がAランクに戻るのは簡単だった。黒服の男たちが別の男たちに書類と可憐たちの顔を見せれば、何も警戒せずに車に乗せた。黒服の男たちは、どうやら定期的にEランクに入っていたらしく、Eランクの人間が黒服の男たちを怯えるように、しかし、殺意を込めて見ていた。


 それから二時間ほどたった頃には可憐は無事に家に着いた。面倒な手続きは黒服の男たちが全て行い、この事は外部に漏らすなと釘をさされるだけだった。可憐は何度も外部に漏らさないと誓い、金貨を受け取ると、黒服の男たちから無事解放された。



 とりあえず風呂に入りたいと思っていた可憐は、光たちに挨拶もせずにわが家へ小走りで帰った。光から貰った十字架のネックレスが可憐の歩幅に合わせて揺れる。



「……」



 可憐の白い吐息が冬の寒さを伝える。自分の家がある集合住宅に戻れば、自分の家がある数字をエレベーターのボタンに入力する。数秒後には扉が開き、可憐を家へ導く。


 久しぶりのエレベーター。最後に乗った時には無かったシャツの汚れ。こんな簡単にもとの生活に戻ったので、弘孝に会えたのは夢じゃなかったのかと思えた。しかし、未だに残る魔痕の痛みが現実である事を証明していた。



「優美……」



 エレベーターの中で呟く親友の名前。以前も同じようなことを繰り返したのを思い出し、思わずため息をついた。優美がサタンになったのは割り切っていたつもりだった。しかし、最後に残した言葉がその決意を揺るがした。



「あなたの本当の気持ちを私は知りたいの……」



 エレベーターの扉が開き、可憐は高い世界を眺めた。公共通路から見えるのは、似たような集合住宅と、夕焼けだった。久しぶりの見慣れた景色に可憐はどこか違和感を覚えた。


 自分がこうやって呑気に夕焼けを眺めている間にEランクでは、何人の命が消えるのだろうか。自分が一つのパンを食べるのに、何人が悲鳴を上げるのだろうか。自分が牛肉を食べている間に、何人が命を狙われているのか。



 そう考えたら、可憐はこの国のシステムに不満が溢れた。以前、Cランクにいた頃とは違い、平等を求める可憐。


 Cランクにいた頃の可憐は、自分が救われればそれでよかったのだ。自分が楽をしたい為に勉強をし、ランクを昇格させる。しかし、今の可憐は国のシステムと理不尽さを理解していた。


 いくら勉強しても上がる人間は決められていた世界。上の者が楽をする為に下の者が悲鳴をあげ、命が尽きる世界。これでは負の歴史を繰り返すだけではないか。しかし、いくら可憐が考えたところでこの世界が変わる事がないと実感すると、思わずため息が漏れてしまった。



「はぁ……。何を考えているのかしら。私」



 馬鹿馬鹿しいと一人呟き、可憐は風呂に入るという目標を果たしに足を進めた。


 方向を変える為に一歩進んだ時、可憐の家のドアが勢いよく開いた。ドアの開く音に驚いた可憐は、反射的にドアの方を見る。


 そこには、可憐の母親が青ざめた顔で飛び出していた。



「お母さん?」



 母親は可憐の姿を視界に確認すると、そのまま可憐の所まで走り、抱きしめた。



「可憐!」



 母親の温もりと香りを感じた。以前の食事の時よりも母親は可憐をきつく抱きしめた。



「よかった……。ちゃんと生きていて」



 汚れた服。パサついた髪。微かに染み込んでいる血の臭い。可憐はそのような状態で抱きしめられるのは嫌だったが、母親は気にせず可憐の体温を確かめるように抱きしめていた。母親の涙が可憐の頬に落ちた。



「どうしたの? 私は元気よ。仕事は? 出張じゃなかったの?」



 状況が把握出来ていない可憐は、涙を流す母親をなだめるように抱きしめ返すしかなかった。



「仕事中に国から電話がかかってきたのよ。それであなたが書類不備でEランクに今いるって連絡があって心配で帰ったの。でも、家に可憐がいなくて不安で不安で探しに行こうと家を飛び出したらあなたが目の前にいたの」



 泣きながら話す母親。事情を把握した可憐は猛に軽い怒りを覚えたが、目の前にいる涙を流す母親を抱きしめ続けることに集中した。



「心配かけてごめんなさい。お母さん」



 不思議と可憐の目尻からも涙がこぼれた。母親の涙ではなく、可憐自身の涙。それは、家族がいる喜びの涙なのか、それとも、ただ単にもらい泣きなのか可憐には分からなかった。



「可憐は何も悪くないのよ」



 悪いのはこんなシステムを作った国だと可憐の母親は口にしようとしたが、それが黒服に聞かれたら自分は罪人となるだろうと思い、唇を噛んだ。


それを察した可憐は、母親の背中を優しく撫でた。エメラルドグリーンの魔力が母親を優しく包み込む。それはまるで、胎児の頃を思い出すかのように精神状態を安定させた。



「さぁ、寒いから中に入りましょう。可憐もそんな格好は嫌でしょ? 着替えてお風呂に入って、一緒にご飯にしましょう」



 不満の言葉を飲み込み、可憐の母親は可憐を家へ招き入れた。


 久しぶりの自宅の匂い。調理されていない野菜や減っていないティッシュなどが、この部屋のみ時間が止まっていたかのようだった。


 可憐は辺りを見渡した。母親が帰ってきたなら、父親も帰ってきているはずだと考えたからだ。しかし、可憐が求める人間の姿は無かった。



「……。お父さんは?」



 可憐の言葉に母親の動きが止まった。母親が持っていた可憐の洗いたての衣服が床に落ちる。



「お父さんは、仕事が休めなかったのよ。自分の子どもがこんな状態だっていうのに、国はお父さんを休ませてくれなかった。どうかしているわよね」



 落ちた衣服を拾い上げ、再び自分の腕の中に置く母親。そのまま強く衣服を抱きしめる。



「国の幸せはみんなの幸せとか言っているけど、間違っているわ」



 そう母親は呟いたが、可憐の耳には届かなかった。これ以上の不満は処罰の対象になると判断した母親は、可憐に無理矢理微笑むと、風呂を沸かしに歩いた。



「仕方ないわよ。お父さんは国が求めている人材だから。お母さんもよ。だから、私の事は心配しないで」



 寒がりの可憐のために少し風呂の設定温度を上げる母親に可憐は後ろから抱きしめた。エメラルドグリーンの光線が二人を優しく包み込む。それを体で感じた母親の瞳には涙があった。



「優しいのね。可憐は」



 可憐の優しさが母親の胸に突き刺さった。


 こういう時くらい子どもらしく母親に甘えたらいいじゃないか。ダストタウンがどれだけ恐ろしかったか泣きながら話したっていいじゃないか。


 そういう時しか自分は母親を演じられないのだから。


 可憐がEランクで何を経験したのか知らない母親は可憐の汚れた手を握りしめることしか出来なかった。Eランクの土が二人の手を平等に汚した。



「私は優しくなんかないわ。人の不幸を土台にして生きているもの」



 可憐の声を聞く度に母親の涙腺が緩むのが分かった。母親の目尻からこぼれた涙は、頬を伝い、可憐の手に落ちた。



「あなたはもう少し弱くてもいいのに……」



 この言葉を境に母親はそのまま崩れるようにしゃがんだ。泣き崩れる母親に可憐はただ、母親の涙を無言で受け止めながら抱きしめることしか出来なかった。



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