第48話 塵街+優美
優美の言葉は呪文のように可憐の頭を支配し、可憐の思考回路を停止させた。優美の顔が可憐の顔に近付く。それは、接吻をする直前の男女のようだった。
「可憐から離れろ!」
半分が悪魔の血である弘孝が一番にサタンの魔力を相殺し、優美を突き飛ばした。予想外の弘孝の行動に、優美の集中力が切れ、全員が解放された。
「可憐、騙されるな。彼女がいくらお前の親友でも、今は僕たちの敵だ」
弘孝の言葉に我に返った可憐は魔力から解放された事に気付き、立ち上がった。少しふらついたが、影響は無かった。
「あなた、あたしと可憐の間を邪魔するの?」
優美の怒りの矛先が弘孝に向けられる。弘孝はそんな優美に怯むことなく睨みつけた。
「お前が悪魔になって、可憐がどれだけ苦しい思いをしたのか、思い知れ」
弘孝は再び魔力で剣を具現化させた。短時間で二度も魔力で剣を具現化させることは、弘孝にとってかなりの魔力を消耗させたが、それを悟られないよう、睨みつけ、威嚇した。
その時、再び扉から魔力を感じた。
「相変わらず口だけは立派だな。新米契約者」
全ての負の感情を集めたような不愉快な魔力。それは吹雪が現れた事を示していた。
「南風君……」
本能的に可憐は扉から遠ざかった。人間であるアイやハルも異様な威圧感にただ、腰を抜かしながら吹雪から遠ざかる事しか出来なかった。
「久しぶりだな。可憐」
笑う吹雪。次の瞬間、光が剣を吹雪に向けて振りかざした。吹雪はそれを簡単に避けた。
「ばーか。お前じゃオレに傷をつける事は出来ねぇよ。ガブリエル」
蔑むように光を笑う吹雪に、今度は猛が剣を吹雪に振りかざした。
「南風!」
猛の剣は、吹雪が瞬時に具現化させた剣により、吹雪に触れる事は無かった。金属同士がぶつかり合う音が耳を支配した。
「もうそんなに元気になったのかよ。じゃじゃ馬姫。」
「誰がじゃじゃ馬姫だ。地獄長」
猛が全体重を剣に込める。しかし、吹雪はそれを片手で受け止めていた。
「オレが地獄長って事、新米契約者から聞いたのか?」
時折、光が吹雪に向かって剣を振りかざすが、吹雪は見もしないで光の攻撃を簡単に避けていた。
「弘孝の事、随分と気に入っているじゃないか」
猛の握力の限界が一度二人の距離を取らせた。
息切れをする猛に対し、吹雪は涼しげな表情だった。
「そりゃあいつは、滅多にいない存在だからな」
吹雪の視線が一度猛から弘孝に向けられる。悪魔の魔力の恐ろしさを知っている弘孝は、可憐の手を握りしめていた。
「よそ見をするな。お前の相手は俺だ」
猛の声に吹雪は再び視線を猛に戻し、ゆっくりと笑った。
「なんだぁ、じゃじゃ馬姫、嫉妬でもしたのかぁ?」
吹雪の冗談に猛はさらに魔力を込めた剣を振りかざして答えた。それは、吹雪の剣が受け止めた。
「冗談は存在だけにしろ」
猛の冷たい視線が吹雪に当たる。吹雪はそれを厭味な笑顔で受け止めた。
「オレは本気だぜぇ?」
猛は、吹雪に大量の魔力を、剣を通して流し込んだ。不意な攻撃に吹雪も対応が出来ず、数メートル突き飛ばされる。
「お前の言葉を使うなら、俺も本気だ。ただし、お前を消すことに限る」
猛の姿から裁きの大天使ミカエルの姿になる猛。初めて見る天使にアイたちは目を見開いていた。
そんな猛に吹雪は心の底から高らかに笑った。既に猛の魔力は自分の魔力で相殺していた。
「相思相愛って事かよぉ!」
立ち上がり、一気に間合いを詰める吹雪に猛の行動が数秒遅れた。それを察した光が吹雪に剣を振りかざしたが、それは突然現れた細長い棒が遮った。
「あなたの相手はわたしよ」
棒を通して突然流された悪魔の魔力。それは光を苦しめるには充分だった。
「くっ……」
自分が出来る最大限の魔力を使い、短時間で相殺させる光。顔を上げたら、そこには光の見覚えのない悪魔の姿。魔力と同じ色をした服と長い髪。両肩には髑髏。光の鼻孔を死体の臭いが刺激した。
「久しぶり。光明君。いや、もっと前からわたしたちは知り合いだったよね、ガブリエル」
女性らしい高い声。それを聞いた可憐は慌てて視線を移した。そこには見間違えそうだが、七海がいつもの笑顔で手を振っていた。
「七海さん……」
可憐の言葉に七海は舌を出した。
「あら、もうバレちゃったの? 流石、可憐ちゃん。嫌、もう既に大天使ラファエルになっちゃった?」
可憐自身も確信はしていなかった。ただ、何となく雰囲気が七海と同じだったため言ってみたのだ。改めて悪魔の姿となった七海を見たら、可憐の知っている七海とは似ても似つかなかった。
「可憐、僕から離れるな。コイツは、僕の声を消した張本人だ」
弘孝は咄嗟に自分の後ろに可憐を誘導した。前回の恐怖心は無かった。ただ、自分に守られている愛しい少女を守り通す。それだけが彼の原動力だった。
「可憐には指一本触れさせない!」
光の剣が七海を直撃した。しかし、それは七海が持っている傘の持ち手に似たステッキが受け止めた。吹雪との戦闘を邪魔したステッキは七海の魔力で異臭を放っていた。
「そう言っているけど、あの時、可憐ちゃんを保健室に送ったのはわたしよぉ? おばかさん」
光が、がむしゃらに振り回す剣を七海は簡単にステッキで受け止める。鉄製の剣を受け止めているのに、木製のステッキには傷一つ入っていなかった。
「可憐に何をした!」
剣とステッキがぶつかる音が二人の戦闘の激しさを伝えていた。可憐は何か出来ないかと辺りを見渡したが、黒服の男たちは、既に気絶していて、アイたちと合流し避難させるには自分も危険だった。
「あなたたちが、あまりにも間抜けだったから、契約する気にもなれなかったのよぉ。あの方の望みは、あなたたち契約者が最大限の失望と絶望を味わって朽ちることだからね」
七海のステッキが光の頭を直撃し、光の思考と行動を封じた。細身な七海からは想像出来ない力が光にぶつかり、ふらついた。
光を手当しなければ。そう思った可憐が動こうとしたが、可憐の前にいる弘孝の前に優美が笑いながら弘孝の頬を触った。途端、動けなくなる弘孝。
「あなた、あたしと似てるわね。家族を失い、可憐に救われた。自分を救ってくれた可憐を手に入れたい。よく分かるよっ。その気持ち」
弘孝の過去が優美の脳内に直接見えた。その中で辛かった記憶を弘孝の脳内で無理矢理再生させる。そのあと見せたのが可憐の笑顔。アメとムチの使い方は市場の猛と同じだった。
「離れろ……。僕は、お前みたいに悪魔になるほど落ちぶれてなんか……ない」
普段の弘孝とは違い、弱々しい反論。それを見ていた吹雪が優美に向かって叫んだ。
「あんな新米契約者はほっといて、可憐と契約してください! サタン様!」
サタン。可憐。この二つの単語が弘孝の耳に入った時、弘孝は我に返り、優美の腹部に蹴りを入れた。不意打ちに対応出来ず、怯む優美。
「可憐を悪魔にはさせない。たとえ、この身が朽ちようとも僕は彼女を守り続ける」
弘孝の目には既に恐怖は無かった。悪魔の血が戦いを拒むが、弘孝はそれを自分の意思で覆した。自分は悪魔でもあり、天使でもある。それ故に持っていた悪魔への忠誠心は可憐を守るという決意に変わった。それを見た優美は漫才を見たかのように笑っていた。
「それであたしを脅したつもり? ほんと、あなたはあたしにも似ているけど、光明君とも似ているわ。粘着テープみたいなところがねっ」
優美から放たれるサタンの魔力。それは混血の弘孝を通り抜け、可憐へ直接染み込んだ。初めて感じた敵意のある魔力。それは、人間である可憐の動きを封じ、立つ事すら不可能にした。
「うっ…… 」
吐き気がする。頭痛が思考を邪魔する。早く魔力で相殺しなければ。そう頭では分かっていたが、サタンの魔力が可憐の魔力を上回っていたので不可能だった。
「可憐!」
可憐の異常に気付いた弘孝が慌てて自分の魔力を可憐に注ぎ込んだ。しかし、治療に不向きな弘孝の魔力は無意味にサタンの魔力より消された。
「可憐!」
七海との戦闘でふらついていた光だが、強靭な精神力で再び戦っていた。それ故、弘孝より数秒遅れて可憐の異常に気付き、遠くから叫んだ。
「よそ見厳禁。今日のお客さんはわたしよぉ。粘着テープ」
ウインクし、剣にステッキをぶつける七海。光の剣は既に削られていた。
この戦闘をまともに見ることが出来る人間であるジンは、呆気にとられていた。アイたちからしたら、ただ剣を使った戦闘に見えるのかもしれない。しかし、今のジンにはそこで混じり合う魔力も見えていた。負の光りが希望の光りと混ざり合い、消える。それの繰り返しだった。
「嘘だろ」
あくまでも、自分たち人間には危害を加えない契約者たち。それは、人間は互いにとって存在出来る理由でもあるからだ。それを理解出来ていないジンは自分の命があるうちに、アイたちを避難させるのが今、自分が出来る最大限の事だと思い、立ち上がった。
「おい、逃げるぞ。リーダーたちが戦っている今が、オレたちが逃げるチャンスだ」
物事を理解出来ず、ただ腰を抜かしているアイの手を握り、無理矢理立たせるジン。それを戦闘中、横目で見ていた吹雪は猛を一度突き飛ばし、一瞬でジンの目の前に立ち塞がった。
「人間には危害はねぇようにしてあるから逃げる必要はねぇだろ?」
口元に笑みを浮かべる吹雪。背中には黒い翼が二枚、ジンたちの視界を遮っていた。
「悪魔……」
アイの咄嗟に口にされた言葉。それにより、ジンは二人にも翼は見える事を理解した。
吹雪から漏れる禍禍しい魔力。それはジンが以前体内を貪った魔力以上の力を持っている事をジンは直感で感じ取った。
アイが言葉を呟いたことにより、吹雪の意識が彼女に向けられた。そして、何かを思い出したかのように口角をゆっくりと上げた。
「初めてじゃねぇだろ? 悪魔を見たのは。お前、確かこのランクにいた夫婦の娘だろ。お前の両親と契約したのは、オレだ」
アイが無理矢理消していた両親との記憶。それが吹雪の一言により、鮮明に蘇った。
幼い頃から寝る暇もなく働いてきた両親。仕事とは合わない収入。苦しい日々だったが、家族と食事が出来て幸せだった。
しかし、ある日、食卓が豪華になった。見たこともない料理が食卓に並んだ。両親は一番にアイにそれを食べさせた。涙が出るほど美味しい食事に両親にも食べるように薦めた。錆びたナイフとフォークを使い、一口大に切られた牛肉を口に含もうとした瞬間、両親は毒を盛られたように苦しみだした。言葉にならない声が二人の口から漏れていた。
アイは心配し、父親の肩を揺すった。すると、父親は突然立ち上がり、アイの首を絞めた。突然の行動にアイは抵抗も出来ず、ただ、酸素を求め、ばたついた。
その間に母親がどこからか肉を切るために作られた大きめの包丁を持ちだし、アイに振りかざした。それは、アイだけではなく、父親にも直撃した。父親の背中が一番に包丁に直撃したので、アイは致命傷は避けれたが、腹部から背中にかけて深い切り傷を負った。母親の一撃が致命傷となった父親はそのまま絶命し、アイの首を解放した。その隙にアイは母親から逃げ出し、慌てて外に出た。傷口から血が溢れだし、服を真っ赤に染めていた。出血量が多いため、早く歩く事は出来ず、ただ、宛てのない道を歩き続けた。
このまま死んだ方が楽なのではないか。そう思った時、アイの足は鉛のように重くなり、崩れるように倒れ、気絶した。
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