第46話 塵街+別れ


 眠りから目を覚ました弘孝はゆっくり起き上がり、辺りを見渡した。ランプは消してあり、人の気配は無かった。弘孝は手探りでマッチとランプを使い、明かりを灯した。視界が晴れ、部屋に自分以外の人間がいない事を視覚でも確認する。



「少し眠りすぎたか」



 長い髪を簡単に束ね、紐で結ぶ。時刻は恐らく夜明けに近い真夜中だ。寒いが、夜風に当たり、再び眠りにつこうと思い、ランプを持って、扉を開けようとした時、扉の向こう側から人の気配がした。警戒した弘孝は一度、扉から離れた。それを察した扉の向こう側にいる人間は弘孝に話し掛けた。



「私よ。弘孝。開けてちょうだい」



 愛しい少女の声。弘孝は無防備に扉を開けた。そこには、先日、アイたちが用意した華やかなドレスを着た可憐がいた。



「可憐、どうしたんだ、こんな時間に」



 寒い広間から少し暖がある弘孝の部屋に招く。ベッドに座らせ、弘孝も隣に座った。それと同時に可憐は弘孝にそっと抱き着いた。可憐の温もりが弘孝に伝わる。可憐は震えていた。



「可憐?」



 心臓の鼓動を抑え、震える少女を弘孝は抱きしめた。



「怖いのよ。契約者が」



 可憐の少女らしい匂いが弘孝の鼻孔を刺激する。



「契約者が怖い?」



 可憐の言葉を繰り返す弘孝。可憐は弘孝の温もりを求めるように抱きしめる力が強くなる。



「契約者って恐ろしいわ。魔力を使い、弱い人間を苦しめるの。あのペテン師、夜、突然押しかけて、私を着替えさせて……」



 更に震える可憐に弘孝は自分と密着させるようにした。



「これ以上は言うな。辛かっただろう」



 可憐の涙が彼女の頬を伝い、弘孝の服を濡らした。



「弘孝、私を助けて。私をあのペテン師から救って、私の傍にいて」



 胸の中にいた可憐が少し離れ、顔を近づけた。唇を軽く尖らせ、弘孝の唇に重ねようとする。弘孝はそれを直前で拒否した。可憐の肩を優しく掴む。目を見開く可憐に弘孝はため息をついた。



「もう、やめないか。これ以上、僕を苦しめないでくれ、スズ」



 スズと呼ばれた可憐の周りには悪魔の魔力が溢れ、可憐を包んだ。数秒後、魔力は溶けるように消え、オッドアイの少女が現れた。



「いつから分かっていましたか」



 鈴のようなか弱く、美しい声。スズの表情は曇っていた。



「最初から違和感があった。お前が光の事を話して確信したんだ。可憐は色気も使わないし、何よりも光を信じている。憎い相手に本気で涙する人間はいないさ」



 微笑し、立ち上がる弘孝。それに続くようにスズも立ち上がった。



「私の研究不足でした。お手上げです。さぁ、私を殺して下さい。あなたに殺されるのは本望ですから」



 スズの乾いた金髪が揺れた。両手を広げ、無抵抗なのを伝える。弘孝はそんなスズの頭を優しく撫でた。予想外の出来事にスズは頭をあげた。



「お前を殺す理由はない。スズは僕らの仲間だ。仲間を殺すなんて出来ないだろ? 僕も、お前も」



 スズの目には涙が溢れ、頬を濡らしていた。崩れるように座り込むスズ。弘孝はそんなスズをずっと撫でていた。



「お前は僕たちと出会って変わった。悪魔でも変われるんだ。ジンの命を救い、僕たちを悲しみから救った。本来の悪魔なら絶対にやらない事だ」



 スズの涙が弘孝の服と自分の服を濡らした。言葉の代わりに嗚咽がスズの口から出ていた。



「ほら、スズ。アイやハル、ジンたちが心配してお前を待っている。サキにもお前が帰ってきた事を伝え、戻らせる。そして、言ってやれ」


 弘孝の言葉にスズは涙を無理矢理止めながら頷いた。話せる程度まで泣き止んだスズは弘孝の服を握りしめ、赤くなった顔を隠さずそのままゆっくり笑った。



「みなさんに言う前にリーダーに言わせて下さい」



 スズの言葉に弘孝は微笑しながら頷いた。それを見たスズは目尻に残った涙を拭った。



「ただいま」



「おかえり、スズ」




 途端、スズの体が光りだし、弘孝は反射的に目を閉じた。


 再び目を開けた時には、弘孝は夕方眠りについた時と同じ格好をしていた。ただ、違ったのは、日が昇っていて、レンの格好をした可憐が隣に座っていたところだった。



「起きた?」



 顔を覗き込む可憐。弘孝はゆっくりと起き上がった。少し、こめかみが痛むが、特に気にする程の痛みでは無かった。



「本物の可憐だよな?」



 弘孝の予想外の言葉に可憐は一瞬だけ言葉を失ったが、その後は小さく笑った。



「何を言っているの。私は本物の磯崎可憐よ」



 変な弘孝と付け足し笑う可憐に弘孝は安堵の息を漏らす。



「そうだよな。まだ、寝ぼけているようだ」



 可憐につられ、笑う弘孝。



「まだ眠たいなら眠ってもいいと言いたいところだけど、広間でみんなが待っているわ」



 ベッドから降り、立ち上がる可憐。弘孝もそれに続くように立ち上がった。



「そうか。スズはもう帰ってきているのか?」



 悪魔の名前を聞いた可憐は一度表情を曇らせたが、すぐにいつもの表情に戻った。



「いいえ。今夜も帰ってくる事は無かったわ。サキが一度帰って報告してくれたの」



 ドアノブに触れ、扉を開けようとする可憐に弘孝は一度それを阻止した。魔力を使い、広間の気配を探る。そこには、弘孝の知らない人間の気配があった。



「待て、向こうには誰がいるんだ」



 魔力で誰がいるか分かっていた。しかし、可憐の行動に不信感を抱いた弘孝は、可憐の口から事実が話されるか賭けたのだ。可憐はドアノブから手を離した。



「光と一色君。アイ、ハル、ジン。それと、国の管理職の人が二人」



 可憐は正直に話した。嘘をつく理由が無かった。可憐の言葉が事実だと知っていた弘孝は親友を疑った事に罪悪感を抱いた。それを察したのかわからないが、可憐は弘孝の右手をそっと握りしめた。弘孝の右手は、幼い時に戻ったように、しっかりと握りしめられていた。



「これは、あなたが選んだ道よ。あなたにとっての契約者は何か分からないけど、少なくとも、今まで作ってきた人生は全て無くなるわ。私もそう。親友を失って、信じていない神や天使の力に頼る。でも、これは私が選んだ道だから、私は歩き続けるわ」



 可憐の握りしめる手の力が強くなる。弘孝はそんな可憐の手を強く握り返した。




「僕にとって、契約者になるという事は、自分の願いを無理矢理叶える卑怯者になる事だ」




「弘孝は卑怯者なんかじゃないわ。みんなの幸せを願ったじゃない」



 空いていた手で弘孝の空いている手を握りしめる可憐。そんな可憐に弘孝は愛しさと同時に淋しさを覚え、儚く笑う事しか出来なかった。



「そう言ってくれるお前がいるから、僕は契約者として生きていける」



 このまま自分が長年思い続けた気持ちを伝えようか。そう思ったが、自分の立場を知る弘孝にはそのような権利は無かった。ただ、手から伝わる可憐の温もりを感じるしか出来なかった。


 しかし、今なら抱擁くらい許されるのではないか。愛しい親友を抱きしめるだけだ。自分には好意は有るが、可憐には友愛しかない。それならば、自分も友愛として抱きしめる事なら罪にはならない。そう自分に解釈して弘孝は握られた手をそっと離し、抱きしめようと腕を広げた。


 その時、扉が開いた。弘孝の中途半端な腕の広げ具合を扉から現れた猛はたた呆然と見ていた。



「何をやっているんだ」



 猛の冷たい視線が弘孝に向けられる。弘孝は慌てて広げていた手を戻した。



「人を待たせている。急げ」



 大柄な猛により、弘孝の醜態は広間にいる人間には見られなかったのが不幸中の幸いだった。


 特に光に見られたら馬鹿にされるに決まっている。恋愛に鈍感な猛に見られたところで、今弘孝が行おうとしていた行為は想像出来ないだろう。



「分かった。行こう、可憐」



 首を傾げながらもいつのまにか弘孝に握られていた右手が引っ張られる方へ歩いた。そこには、座る仲間たち以外にも全身を黒い服で身を包んだ二人の男が座っていた。



「これで全員です」



 光の言葉に男たちは立ち上がった。それに合わせるようにアイたちも立ち上がる。男たちは鞄から書類を取り出し書類と可憐たちを交互に見た。


 数回見返したら、背の高い方の男が口を開いた。



「君が椋川弘孝君だね?」



 彼の言葉は弘孝に向けられていたが、男はどうも不思議そうに弘孝を見ていた。女顔で長い髪。さらに昨日の仕事服のまま眠ったので女性物の服だった。見るからに性別を疑うような格好に男は何度も書類と弘孝を交互に見ていた。



「はい。僕が椋川弘孝です。この格好は、このランクで生きていくための手段として選びました」



 声色は明らかに少年だった。弘孝の補足もあり、男は書類をめくった。次にもう一人の小太りの男が可憐と書類を交互に見た。



「すると、君が磯崎可憐さんかね」



 書類にある写真と可憐を見比べる小太りの男。可憐はため息をつくと、被っていた帽子を脱いだ。彼女の女性らしい黒髪が現れた。それを見た男は一度咳払いをした。



「失礼。どうやら本物の君らしい。全員の身元が判明したところで、我々から説明がある」



 小太りの男と背の高い男は一度目を合わせ、背の高い男が口を開いた。



「まず、SランクとAランクからの要望により、Aランクに無料の児童養護施設が作られた。そこでは、両親を失い、低ランクへと追放された子供たちに救いを差し延べ、勉学を学ぶ権利と義務を与える。そこで、お前たちを試しに七年間そこで勉学を学び、試験を受けさせる。結果が出れば児童の増加、お前たちのランク上げを認めよう」





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