第45話 塵街+調和
ハルとアイを指差しながらジンは言った。その時のジンの表情は自分の死が近付いているのを知っている老人のような表情に見えた。しかし、その中には、諦めという文字は見えず、希望が微かにあった。それを察した光は仕事用の笑顔をジンに向けた。
「分かった。君の願い、ぼくが引き受けるよ。君が悪魔に堕ちたら、なるべく苦しまないように殺してあげるからね」
ためらいなく放たれた光の言葉。その言葉と光の甘い笑みは何度も見たことのある猛ですら寒気を覚えさせた。
その中で唯一、ジンだけが口元に笑みを浮かべていた。
「ほんと、どっちが悪魔なんか天使なんか分かんねぇな」
それだけ言うと、ジンは全員に背を向け、部屋から出て行った。残された可憐たちはしばらく黙っていた。
一番に口を開いたのはアイだった。
「ジン、焦ってる」
予想外の言葉に可憐は首を傾げ、光はくすりと笑った。
「そりゃあ、自分が殺せと言って、誰も止めないで、ぼくが快く引き受けたら、焦るに決まっているよ。後に引けない状況になったから一度、席を外したのかもしれないしね」
光の言葉に可憐は怒りを覚えたが、彼の今の笑顔は彼が転校生として可憐と初対面の時の笑みであった為、行動には移さなかった。
冷静に考える為にシャツの裾を握りしめる。光がそんな馬鹿な考えを持っているはずがない。彼は自分が敵になっても何かを守る覚悟を持っていると可憐は感じていた。そんな光がただ単にそのようなデリカシーの無い言葉は簡単に言うわけが無い。
何か、自分には理解出来ず、光だけが理解しているものがあると信じ、可憐は光を咎めなかった。それを知らないハルが立ち上がり、大声を出した。
「光! 少しは優しさってものがないのかね」
光を睨みつけるハル。それをアイがなだめていた。
「ハル、声大きいよ。リーダー、起きちゃう」
アイの声に冷静さを取り戻したハルは慌てて弘孝に視線を移した。幸いにも熟睡している弘孝は起きなかった。
「はぁ。本当、ジンの言う通り、どっちが天使なのか悪魔なのか分かんないわよ」
ハルはため息をつき、座った。それを見ていた猛は視線を光に移す。
「光、お前は何を考えている」
猛の言葉に小さく笑う光。
「何って。ジン君は弘孝君と同じ考えを持っているだけだよ。彼自身も、自分を殺して仲間の幸せを選ぶ。ま、弘孝君がこちら側についた時点で、ジン君は一番辛い選択をしなきゃいけない事を理解していたみたいだけどね」
うっすらと口元に笑みを浮かべる光。それは光らしくなかった。
「そうね。ジンの一番の願いが叶わない以上、自分を今まで以上に殺す事が、自分が出来る一番の幸せを手に入れる方法ね」
二人の会話に可憐が入る。光の言葉を理解出来ていない猛は、可憐の補足により余計に理解出来なくなった。
「全く意味が分からない。これも、人間と契約者の違いか」
猛が短いため息をつくと、それを見ていた二人は笑った。
「そうね。あなたには一生分からない難題かもしれないわ」
「ここまで言って分からない猛君はある意味凄いよ」
可憐と光が笑うのを見ていたハルたちも無意識に笑っていた。ただ、一人だけ状況を理解していない猛は不機嫌そうに口をへの字にしていた。
「俺の一生はお前たちの世界と同じ長さだ。何が何でも分かる事が不可能だと言いたいのか」
猛の反論にさらに可憐たちは笑った。先程の空気が嘘のように和やかになった。
「猛、意外とドンカン」
「契約者をあまり理解してないアタシたちでも分かったのにね。この話題、結構有名なのよ。知らないのは当事者と猛くらいよ」
笑うハル。ハルにとって、この空気は心地好く感じたが、自分たちのリーダーが消える、仲間が裏切り者である、そう考えたら本来は焦るべきだと心のどこかで思っていた。それを心地好いと感じる自分は既に狂ってしまったのか不安だった。それを察した可憐はハルに優しく微笑んだ。
「弘孝は確かにあなたたちの前から消えるわ。でも、弘孝はきっとみんなが幸せになれる一番良い手段を選んだはずよ。あなたたちが心配する必要はないわ」
ハルにだけ聞こえるような声量で可憐は言った。それを聞き取ったハルは可憐に微笑みで返した。彼女の微笑みは母親のように優しく、力強かった。
「ありがとう、可憐。可憐がリーダーに気に入られるのも分かるよ」
ハルもまた、可憐にのみ聞こえるように言った。可憐はそれを笑顔で受け止めると、必要以上に猛をおちょくる光に冗談混じりに叱った。
「こういう時、やっぱり、ぼくみたいな紳士の方がいいんじゃないかって思うんだよね」
「誰が紳士よ。紳士は私にあんな酷い事言わないわ」
「何かな? 酷い事って」
「光、そこらへんで止めとけ、また磯崎にやられるぞ」
三人の談笑する声は扉の向こうにいるジンまで聞こえていた。時々聞こえないところはあったが、自分が抜けた後、どんな会話がされたかは大体把握できた。自分は仲間たちに信頼され、なおかつ恋心まで知られていた。
ジンは性格上恋心が知られる事に抵抗は感じていない。しかし、自分と光とのやり取りから数分後には、和やかな空気が流れている。その流れを作ったのは可憐だ。彼女は自覚していなかったが、彼女は光りを導く力を持っている。そんな可憐にあの異性にうとい弘孝が惚れているのだ。彼女に惚れる理由が数日時間を共にして、何となく理解できた。
「天使が天使に惚れるのはヒツゼンってか?」
可憐たちには黙秘していた魔力を指先に灯すジン。それは、弘孝や可憐の魔力とは違い、闇と毒に近い色をしていた。
「悪魔は悪魔に惚れるのもヒツゼンかよ。初めてスズを見た時、あんなに瞳がキレーな女……初めて見たんだよ」
冬の寒さが室内にも伝わった。足の指先が寒い。しかし、手だけは魔力が流れていて寒くはなかった。
「いいぜ、オレはお前の幸せの為に俺を殺してやるぜ、弘孝」
ジンはそのまま冬の寒い夜に薄着のまま外に出て行った。彼が外に出たのと入れ替わりで冬の冷たい風が広間を歩いていた。
その一部始終を桃色の髪を内巻きにした少女が気配を消して物陰に隠れ、見ていた。
「ふふふ。全ては、わたしの運命通りね。明日が楽しみだわ。可憐ちゃん」
少女はそのまま闇へと消えた。
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