第44話 塵街+決意


 弘孝とジンが出会って半年ほどたったある日の昼間。二人は市場から盗んだりんごを食べながら至福の時間を楽しんでいた。



「なぁ、どうしてオマエの盗みはバレないんだ?」



 りんごをかじりながらジンは言った。質素な味のりんごでも、ジンにとってはご馳走だった。



「ばれないと言ったら、それは言葉の間違いになる」



 弘孝も一口、りんごをかじった。ややパサついたりんごだったが、喉を潤すには丁度よかった。



「はぁ? イミ分かんねぇ。それじゃあみんなオマエの盗みを知っているみたいじゃねぇか」



 りんごを食べ終わり、口元を服の袖で拭くジン。



「その通りだ」



 簡単に答え、再びりんごをかじる弘孝。ジンとは真逆に上品に食べる弘孝は遠くから見たら女性に見えるくらい優雅だった。


 彼の言葉を聞いたジンは呆れ、わざとらしいため息をついた。



「あのなぁ、ぼっちゃん。いくらあんたが色気を使っても、せいぜい安くなるだけだぜ。勝手に盗んでそれを知っていてみんな見てないフリしてんのか?」



 弘孝のりんごを食べる手が止まった。長い髪が揺れた。



「勘がいいな。正解だ。僕はりんごを支払い無しに取った。それは、普通ならば窃盗だ。しかし、僕の場合、それが窃盗だと気付かれない」



 説明し終えると、弘孝は残ったりんごを一気に食べ終えた。


 弘孝の言葉に余計に混乱し、首を傾げるジン。それを見た弘孝はくすりと笑った。



「すまない。難しい話しをしてしまったな」



 笑う弘孝にジンは唇を尖らせた。



「もっと簡単に言ってくれよ。オレは上の世界を見たことねぇ。そんなマホーみたいな裏技知らねぇからバカなオレでも分かるようにな」



 芯だけになったりんごを投げ捨て、弘孝の顔を覗き込むジン。そんなジンに弘孝は真顔のまま近いとだけ言い、ジンと距離をとった。



「魔法か。この時代にそんな事を信じている人間がいるんだな。ジンの言う通り、これは科学的には考える事が不可能な力を僕は使っている。魔法と言う名の呪いをな」



 弘孝は指先に魔力を込めた。それは淡い光りとなり、直ぐに消えた。弘孝に合わせるように視線を弘孝の指先に移したジンだったが、契約者となる程の魔力を持たない人間のジンには何も見えなかった。



「ふざけてんのかって言いてぇ所だが、お前の話しはツジツマが合ってるし、ここんとこ、オレの頭の中にあるジョーシキを超えた事が沢山起こっているから信じるしかねぇな」



 ジンの言葉に弘孝は少しだけ表情を変えた。



「ジンの常識を超えた事? 僕以外であるのか?」



 想像していない所で食いついてきた弘孝にジンは一瞬戸惑いながらも冷静に答えた。



「奴隷商人や奴隷を買った上の人間たちが急に暴れだして奴隷たちを殺しまくったらしいんだ。情報屋から聞いた話しだと、商人たちはキョーボーカする前に大金や名誉を手に入れたりしたらしい。中にはそんな事しねぇで自殺なんかしちゃう馬鹿もいるみてぇだけどな」



 あまり俺たちには関係ねぇなと付け足し、苦笑するジン。それを聞いた弘孝は一瞬にして顔が青ざめた。微かに手も震え、恐怖を噛み殺すように唇を噛んだ。噛んだ唇から微かに血の味がした。



「嘘だろ……。ジン! それ以上の情報は無いのか!? 例えば、僕以外に上から追放された人間がいるとか、商人たちが共通して出会った人物とか、何でも構わない。あるなら教えてくれ」



 急に態度を変えた弘孝にジンはしばし動揺したが、その次にとった行動はため息だった。



「オレだって仕事で情報屋から交換したジョーホーだからそれ以上の事は知らねぇよ。見た事ねぇし」



 冷静なジンの言葉を聞いて、慌てていた弘孝はつられて冷静になった。一度深呼吸をし、心拍数をもとに戻す。


 当時のジンは情報屋に情報を売ったり、体格を活かした力仕事で生計を立てていた。



「そうだな。僕が取り乱しすぎた。忘れてくれと言いたいが、僕を奴隷市場へ案内して欲しい。ジンは市場に近付く必要は無い。僕を助ける必要も無い。ただ、道を案内してくれるだけでいい。頼む」



 いつも以上に真剣な弘孝にジンは金の匂いを感じた。情報屋以上に儲かる仕事かもしれない。下手したら奴隷を盗む事だって可能だ。最悪、弘孝を見捨てて自分は逃げればいい。そう考えていた。



「リョーカイ。ただし、オレもついていくぜ。金の匂いがぷんぷんするからな」



 口元に笑みを浮かべるジンに弘孝はもう一度、視線を合わせた。



「下手したら死ぬかもしれない。僕の知る限りでは、僕はジンを守れるほど余裕が無いかもしれない。それでもいいのか?」



 それを境に弘孝は突然、自分の正体と、契約者の存在と説明をした。自分は悪魔でもあるし、天使でもあり、弟は悪魔の血に負け、両親を殺し、自分はその弟の魂を救う為に殺し、罪として追放されたと。商人たちは悪魔と契約し、そのような行動に移った可能性がある事や、凶暴化した商人たちに殺されたら、自分の魂もサタンに捧げられ、転生する事が不可能になることも説明した。


 それを聞いたジンは微かに震えていたが、悪魔への恐怖以上に自分の知らない事を知っている弘孝に恐怖した。知っていてなぜ今までそれを隠していたのか、なぜ自分を利用しようと思わなかったのか。不思議でたまらなかった。



「わーってるって。オレは死ぬかもしれない所にお前を案内する。んで、互いにやりたい事をやる。それだけだろ?ただ、一つだけ質問するぜ。お前はなぜ、自分からそんなキケンな所に行くんだ?」



 他にも聞きたい事は沢山あった。しかし、それ以上知ったら、自分はどうなるのか分からなかった。知った罪として、弘孝に魂を食われるかもしれない。そう考えたら、それ以上の深入りは出来なかった。



「僕の親友が天使となる資格と義務を持っている。彼女はいずれ、僕の正体を知って、僕と共に悪魔と戦う運命となっている。彼女が戦う前に、僕は知る限りの悪魔を殺し、彼女を守る。それだけだ」



 弘孝の脳内には、可憐の笑顔があった。無差別に慈悲を与える彼女に弘孝は惚れていた。しかし、幼い時から自分は人間でも天使でも悪魔でも無い存在だと知っていたので、叶わない事は充分理解していた。



「ふーん。お前、ホレてるだろ、そのシンユウとやらに」



 図星という表情を見せる弘孝。それを見たジンは赤面する弘孝を笑った。



「わ、悪いか!?」



 顔を真っ赤にしながら無力に睨む弘孝。それを見たジンはさらに笑った。



「別にーっ。ただ、お前がホレるほどの女だから少し気になっただけだ。別にヘンな意味じゃねぇから安心しろ」



 無邪気な少年のように笑うジン。その笑顔にはこのランクの人間には相応しくない希望に満ち溢れていた。



「もしも、また彼女に会えるならば、僕は一番に抱きしめたい。不可能とは分かっているが、僕の唯一の希望だ」



 微笑する弘孝。女顔の弘孝であったが、その時は惚れた女を守る男の顔だった。



「キボーね。オレもいつか、そんなヤツを見つけられたらいいな」


 出発の準備をしたジンは弘孝に手を差し出し、奴隷市場へと向かった。





 ハルたちすら知らない二人だけの過去を振り返るジンと可憐との視線が合った。



「どうかしたの?」



 首を傾げる可憐にジンは軽く手を振った。



「んーや。ちょっとリーダーの気持ちが分かっただけだ。気にすんなって」



 微笑するジン。その笑みはハルたちですら、今までに見たことのないものだった。



「弘孝の気持ち?」



 可憐の問いにジンは答えなかった。ただ、弘孝の原動力はこの少女にあるのだと分かると、自分も弘孝も似た者同士と思った。



「なぁ、天使さんたちよぉ、一つ、ちっぽけな人間のお願い、聞いてくれねぇか」



 座り込んでいた光がジンの声に反応し、ゆっくりと起き上がった。猛も何事だと思い、視線をジンに移す。



「契約以外の頼み事ね。久しぶりだよ。ぼくたちが人間として出来る範囲なら大丈夫だよ」



 自分の魔力を使い、既に首の治療を終えた光が口を開いた。ジンに対しての怒りは光には全く無かった。



「どーだろ。これって人間には多分出来ねぇけど、あんたら天使さんは出来ると思うんだけどな」



 冗談を言ったように笑うジン。それは彼に可憐たちが初めて出会った時の笑みと同じだった。



「もし、オレが悪魔とケーヤクしてこいつらを傷つけるような事があったら、オレを殺して欲しい。ためらわず、ばっさりとな」



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