第42話 塵街+疑心


 物事に興味がなさそうな瞳。無駄の無い筋肉質な体。そして、背中には黒い二枚の翼。それは紛れも無い弘孝たちの敵の契約者だった。



「オレは南風みなみかぜ吹雪ふぶき。ま、一応地獄長って事だけは話しといてやろう」



 口角を上げ、白い歯が見えるように笑うと、吹雪は弘孝の頭を雑に撫でた。弘孝の長い黒髪が吹雪の指に絡んだ。



「地獄長が二人……」



 恐怖。弘孝の目にはそれしか映らなかった。アスタロトが忠誠を示しているならば、アスタロト以上の立場だと分かる。しかし、今の弘孝にはそんな事を考える余裕すら無かった。


 戦わねば。そう頭では考えているのに、体が言うことを聞かない。それは、弘孝自身の恐怖心からなのか、悪魔としての血が戦う事を拒んでいるのか分からなかった。


 吹雪が初めて弘孝に触れた時、吹雪は妙な違和感を覚え、微量な魔力を弘孝に流し込んだ。それは、ウリエルの魔力で相殺される事無く、弘孝に吸収された。それを見た吹雪は、白い歯を輝かせるよう笑った。



「お前、混血だろ」



 吹雪の言葉に目を見開く弘孝。なぜそれを知っていると口が微かに動いたが、声にはならなかった。それに吹雪は更に雑に頭を撫でた。



「そんな堅苦しくしなくてもいいぜ。オレはお前と契約しに来たんだからな。知ってんだろ? 二重契約の事は。混血のお前は、ほぼノーリスクで出来るんだぜぇ?」



 二重契約。その言葉を境に弘孝は恐怖を捨て、立ち上がった。スズがこちら側に二重契約する事が可能なら、自分も、可憐も悪魔側につく二重契約が可能となる。それは避けなければならない事だった。



「僕はお前らと契約なんて絶対にしない」



 魔力の限界を感じていた弘孝だったが、自分の限界に近い量の魔力を使い、猛たちと同様の剣を具現化させた。目の前の悪魔を倒さなければ自分はおろか、可憐まで危険な目に遭う。可憐だけは守りたかったのだ。


 それを見た吹雪は交戦的な笑みを浮かべていた。



「おもしれぇ」



 突然、強い風が吹き、部屋を散らかした。テーブルの酒は転げ落ち、壁にあった装飾品も落ちた。



「派手に絶望させてやんよ!」



 吹雪の両手に魔力が集中した。アスタロトは吹雪の動きを見ながら自分の魔力を使い、部屋の騒動が可憐たちに察しないように壁を包んだ。弘孝はそれに応戦するように魔力で具現化させた剣を弘孝に目掛けて振りかざした。赤い光りが三人の視界を悪くさせた。



「混血だろうが、僕は僕だ!」



 がむしゃらに弘孝は剣を振りかざした。赤い光りが悪魔二人の視界を遮り、弘孝の魔力がアスタロトに直撃した。



「痛い!」



 咄嗟に出た両腕を負傷し、アスタロトはそのまま意識を失った。アスタロトの集中が途切れた事により、部屋中を包んでいた魔力が消えた。それを察した弘孝は大声で叫んだ。



「可憐!」



 扉を破壊し、助けを求めようとしたが、ダメージが無かった吹雪がアスタロトのミスをフォローし、扉を再び魔力で包んだ。



「助けがねぇと何も出来ねぇのかよ!」



 吹雪が翼で弘孝を殴った。それは、壁に強打したような痛みを弘孝に与え、彼を床にたたき付けた。脳震盪のうしんとうをおこし、意識が朦朧もうろうとしていた。集中が途切れた為、具現化していた剣も消えた。



「やっぱウリエルでも、完全な契約者じゃねぇなら敵じゃねぇな」



 弘孝の体が動かない事を良いことに吹雪は自分の指先で弘孝の顎を使い、視線を合わせさせた。


 頭を強打したせいで、弘孝のこめかみからは、血が流れていた。



「絶望したか? 自分が弱ぇって思い知ったか?」



 焦点が定まらない瞳に話し掛ける吹雪。弘孝の血が自分の女性用の服を汚した。



「オレと契約したら、それ以上の力を与えてやる。そしたら、可憐をお前が守れるぜ」



 可憐という名を聞いた途端、弘孝の瞳が揺れた。今自分が負けたら、きっとこいつらは、可憐と契約をしに行くだろう。守らなければ。そう頭では思っていたが、体は未だに動かなかった。



「光明光と可憐を引き離せるぞ」



 文字通り、悪魔の囁きをすると、吹雪は、弘孝のこめかみを流れる血を舐めた。抵抗出来ない弘孝はそのまま吹雪を受け入れ、吹雪は、弘孝の傷口まで自分の唾液を混ぜるように血を舐めとった。



「次の絶望が、お前のウリエルとしての最期だ」



 口元についた血を手で拭えば、吹雪は気絶したアスタロトを横抱きにすると、翼と魔力で全身を包み込み、闇と共に弘孝の視界から消えた。



「可憐……。逃げろ……」



 残された弘孝は、それだけ呟くと、そのまま意識を手放した。







「弘孝! 弘孝!」



 弘孝が目を覚ましたら、視界には可憐の顔があった。心配そうに自分を見つめる可憐に、弘孝は自分がなぜ意識を失ったのかを思い出し、飛び起きた。



「可憐! 大丈夫か!?」



 飛び起きた反動でこめかみに激痛が走った。吹雪との戦闘で負傷したところだったが、血は完全に止まっていた。



「まだ動かないで。私は大丈夫。何があったの? あなたの気配が突然消えて、みんなで探していたのよ。すると何度も探したこの部屋で倒れているあなたを見つけたの」



 可憐は飛び起きた弘孝を一度深呼吸させ、ゆっくり座らせた。弘孝は辺りを見渡せば、そこには、スズとサキ以外の仲間と契約者が自分の周りを囲んでいた。



「悪魔が現れた。それも、地獄長が二人」



 弘孝の言葉に猛と光は声を揃えて大声を出した。



「地獄長が二人!?」



 直後、光は弘孝の肩を掴み、大きく揺すった。彼の瞳が朱色に染まった。




「どうして僕たちに一番に伝えなかったんだ! いくら君が契約したからと言っても相手は地獄長だよ! 奴らが最大に魔力を使ってみろ! そしたら、君はおろか、可憐まで——」



「やめなさい!」




 可憐の声により光は正気を取り戻し、弘孝から離れた。ふらつく弘孝を可憐が支える。



「ゴメン」



 肩をすぼめる光を横目に、可憐は負傷した弘孝に魔力を送り、治療を始めた。心地好い温もりが弘孝の体を巡った。光の瞳の色は黒に戻っていた。



「声が、届かなかったんだ」



 それを境に弘孝は今まであった事を頭痛がしながらも、容量よく話した。その間、可憐たちは多少のリアクションはとったが、口を挟む事は無かった。



「やっぱり七海さんは悪魔、しかも地獄長だなんて……」


 深いため息をつく可憐。光と猛は難しい顔をしながら腕を組んでいた。



「オレが悪魔を入れてしまったんだ」



 ジンが拳を作る。爪が手の平に食い込み、血が出そうだった。



「ジンは悪くない。俺が悪魔の気配に気付けなかっただけだ」



 猛が口を挟む。その間も可憐は弘孝の治療に専念していた。



「でも、今回の事で分かった事があるよ。南風君が地獄長って事だよ」



 光の言葉に猛は頷いた。彼らの言動が理解出来ない可憐たちは首を傾げた。



「南風はある日突然現れ、そして消えた。あいつはいつもそうだ。自分が悪魔だという事実のみ俺たちに言えば、俺たち大天使が地上に降りる度に邪魔をした。普通、悪魔は自分の立場を公表し、人間や天使が怯むのを期待する。地獄長なら尚更だ。しかし、あいつだけは何も話さなかった。今回の件はそれが分かっただけでもかなりの収穫だ」



 可憐たちの表情を察して猛が説明した。可憐が転校する前から吹雪はAランクの授業を受けていた為、可憐はそんな事実があったとは知らなかった。



「はい、終わったわよ。あくまでも、あなたの体内にあった南風君の魔力を相殺しただけだから、あなたの魔力は回復出来ていないの。少し、眠る事を勧めるわ」



 治療を終えた可憐は弘孝の汚れた服を軽くはたいた。弘孝は立ち上がり、伸びをした。さっきの体の怠さが嘘のように消えていたが、それと引き換えに睡魔が弘孝を襲った。



「ありがとう、可憐。そうだな。しばらく眠ろう。もう仕事は無いんだよな?」



 弘孝の言葉の後半はアイとハルに向けて言われた。二人は頷いた。




「大丈夫。いま、ドアも閉店状態にしているから。ゆっくり休みなよ、リーダー」



「ワタシたちの心配はいらないよ。」




 それぞれが弘孝に返事をすると、弘孝は皆に背中を向けた。




「ありがとう。それならお言葉に甘えて、眠らせてもらおう。ジン、何かあったら直ぐに起こしてくれ」



「リョーカイ」




 いつもの調子で微笑しながらジンは言った。俺たちは大丈夫だ、ゆっくり休め。無理はするなよ。彼の微笑みは弘孝にそう言っていた。弘孝はそれを察すれば、この部屋にあったベッドに乗り、そのまま死んだように眠りについた。弘孝の寝息が正しくなった頃、ジンが口を開いた。



「光、猛、可憐。リーダーは本当にケーヤクして、天使になっちまったのか?」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る