第41話 塵街+髑髏



 女性らしい高い声色。弘孝は一度深呼吸すると、ノックされた扉をゆっくりと開けた。


 そこには、大きな瞳に潤った唇。セミロングの髪を内巻きにし、やや撫で肩ぎみで、弘孝と齢の変わらない少女が立っていた。



「どうぞ」



 ややぶっきらぼうに言葉を返す弘孝。長めの前髪で表情を悟られないようにした。


 少女はありがとうと返事をすると、ゆっくりと開いた扉から部屋に入り、自分で扉を閉めた。そのあと、弘孝を舐めるように見ていた。



「本当に可愛らしい。レンもよかったけど、まずは、あなたからよね」



 突如襲った寒気。それは、市場での時と同じ魔力によるものだった。弘孝はとっさに体内の魔力を放ち、少女の魔力に犯されないようにした。


 弘孝の魔力を察した少女は口角をゆっくりと上げ、放っていた魔力を一瞬で消した。魔力を消した少女は敵意が無いことを示すように両手を上げた。



「怖い顔しないで。わたしは、あなたの味方よ」



 弘孝が一瞬、魔力を弱めた。その隙をついて、少女は自分の魔力を器用に弘孝の両足と両手首、喉に当てた。弘孝が全てを理解した時には、既に少女の魔力が自分の動きを制約していた。喉が熱かった。



「くっそ……」



 声にならない声を出すのが精一杯だった。自分の体なのに座り込む事すら許されない状況に、弘孝は自分の舌を軽く噛む事しか出来なかった。



「ただ、あなたが大声を出さないように、少し、魔力を使わせてもらったわ。弘孝君」



 そっと笑みを浮かべる少女。内巻きの髪がゆっくりと揺れた。


 弘孝は目を見開いた。なぜ自分の名前を知っているのか。自分と目の前の少女は、初対面だ。しかし、少女は先程も一回顔を合わせた事があるような言動をしていた。そんな弘孝の思考を読み取ったように少女は答えた。



「どうして、わたしがあなたの名前を知っているのかって顔をしているわね。今朝、会ったでしょ?レン……可憐ちゃんと会話していたあの人と、わたしは同一人物。ただ、魔力で容姿を変えていただけよ」



 可憐という名前を聞いた途端、弘孝は自分の魔力を使い、喉を制約していた魔力を相殺した。違う、少女がわざと弘孝の喉を縛っていた魔力を弱めたのだ。



「可憐に手を出すな!」



 大声で叫ぶ弘孝。丁度そのころ、二人がいる部屋の扉の向こう側に人の気配を感じた。



「弘孝?」



 扉越しに可憐の声が聞こえた。悪魔がいる。猛たちを呼んでくれ。そう叫ぶ前に、少女が扉に触れ、魔力を流し込んだ。彼女の魔力により、可憐の耳に弘孝の声は届かず、更に、扉を開ける事も不可能になった。



「大丈夫だ。心配する必要はない」



 少女が更に魔力を使い、自分の声色を弘孝に合わせた。彼女の声は可憐に届いた。



「そう」



 偽りの声に可憐は返事をし、そのままどこかへ去ってしまった。



「待て! 可憐! 悪魔がここにいる!」



 弘孝がいくら叫んでも、扉の向こう側に届く事は無かった。



「可憐! 可憐!」



 何度も叫んだが、可憐の返事は無かった。叫ぶのをやめ、弘孝は少女を睨んだ。



「言ったでしょ? 危害を加えるつもりはないの。あなたにも、可憐ちゃんにも」



 少女の口元から笑みと同時に赤い液体が零れる。液体は少女の口元を伝い、そのまま床に落ちた。シミが輪のように広がり、数秒後には、勢いよく煙を出しながら蒸発した。



「なぜ僕と可憐の名前を知っている。お前は何者だ」



 答えによっては、弘孝は自分の魔力を最大限に使い、少女を殺そうとしていた。猛と契約した今、自分の魔力は飛躍的に伸びている事は体が理解していた。しかし、使える量が変わったわけではないと猛から聞いたので、少女の魔力を相殺し、殺すまで自分の魔力が持つかどうかが心配だった。



「わたしは七部海七海というの。それとも、知りたいのはこちらの名前かしら」



 七海は一度弘孝の頬に触れると、次の瞬間、背中から黒い翼が現れた。七海の口元から零れる血の量が増え、彼女の衣服を染めた。それは、数秒後には衣服ごと溶かし、闇と毒に近い色をした衣服へと変わった。


 弘孝の鼻孔を死臭が刺激した。このランクに来て初めて不快と感じた臭い。それは、七海の体から放たれていて弘孝は口元を覆いたかったが、体が制約され、動く事は出来なかった。


 七海の両肩に髑髏が現れ、不快な音をたてた。七海の髪は少女らしい桃色から服と同じ色になり、更にセミロングから腰まであるロングへとなった。八重歯が笑みを浮かべると見えた。それは弘孝に吸血鬼を連想させたが、それ以上に今まで感じた事がない魔力に腰が抜けそうだった。




「十地獄第四地獄“奈落”地獄長、魔界公爵アスタロト」




 地獄長。その単語を聞いた時、弘孝の背筋に寒気が走った。ウリエルとして、悪魔に立ち向かうべきだと血が訴えていた。しかし、体の半分が支配している悪魔としての血が地獄長に膝をつけと訴えていた。



「地獄長……」



 部屋中がアスタロトの死臭と腐った血の臭いが充満していた。これが部屋から漏れて誰かが気付いてくれないかと密かに弘孝は願っていたが、アスタロトがそれを察したように笑った。



「無駄よ。わたしの魔力はあの大天使様でも見抜く事は出来ないの。それに、あの人たちがいると、平和的に解決出来ないのよね」



 笑顔を見せるアスタロト。その笑い方は七海そのものだった。



「あなたの未来、見えたわ」



 そう呟けば、アスタロトは弘孝の頬にそっと口づけをした。腐った血と魔力が弘孝の頬に付着した。



「あなたは近い将来、わたしたちと契約する事になる。あなたはここで絶望を味わうの。それを避ける為に、今からわたしと契約しない?」



 アスタロトが自分の唇に付着している血を舐めた。それを合図に弘孝を縛っていた魔力が解放された。しかし、体内に少し染みた魔力を相殺するのに体力を使い、弘孝は座り込む事しか出来なかった。



「馬鹿を言え。僕はもうお前たちの敵だ。僕は大天使ウリエルとして生きる覚悟と契約をしたんだ」



 微かに震える両足を両手で押さえ込み、アスタロトに恐怖が伝わるのを阻止する。


 契約したと聞いた途端、アスタロトが微かに眉を動かした。それを弘孝は気づかなかった。


 可憐はサタンに会ったと言った。アスタロトでここまで自分は恐怖しているのに、可憐は怯む所か、サタンと戦う事を決意していた。いくらサタンが親友だったとは言っても、別人に近い存在だ。仮にサタンを倒しても親友に戻る事は無いと可憐は知っているのか、その事を光たちは言っているのか。可憐がその事を知らずに光たちと一緒にいるならば、真実を知った時、彼女は悪魔へと契約するのか。最悪の事態が弘孝の脳内を支配した。


 アスタロトはそんな弘孝の感情を理解したかのように魔力を指先に込め、長方形を床に書き、画面を作りだした。そこには、光と楽しそうに踊る可憐の姿があった。



「そう。わたしには単純に可憐ちゃんの側にいたいって考えているようにしか見えないけど」



 ふと、弘孝の脳内に直接響くように自分の大好きなクラシック音楽が流れていた。それは踊る二人に合わせるようにリズムを刻み、二人の距離を確実に縮めていた。



「そんなわけない!」



 弘孝が慌ててアスタロトが作り出した映像を消そうと手でそれを振り払った。しかし、映像は消える事は無かった。



「僕はウリエルとして、お前たちを倒す契約者として、皐月さつきを殺した……両親を殺したお前らを殺してやる為に契約したんだ。可憐を苦しめたお前らを、再びコキュートスに封印してやる!」



 皐月。それは弘孝の弟の名前だった。病弱だった皐月は、国からの特例でテストを受ける事を免除されていたが、代わりに弘孝が家族のランクの中心となったのだ。


 弘孝の威勢の良い叫び声に答えたのは、アスタロトではなかった。アスタロトの背後にアスタロト以上の魔力が現れた。悲しみ、嫉妬、恨みといったありとあらゆる負の感情が魔力となり、弘孝に触れた。


 ひざまずけ。そう体が訴えていた。



「随分威勢のいいウリエルだな。ま、これくらいねぇとオレも楽しめねぇがな」



 聞き覚えが無い男の声。アスタロトは声の主に弘孝への道を開け、ひざまずいた。彼女の口元から腐敗した血がヨダレのように垂れ落ち、床を汚していた。



「よっ。新米契約者さんよ」




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