第40話 塵街+選択


 ふと、ジンの顔が弘孝の脳裏を横切った。親友の片思いの相手を殺さなければならない。それは、親友への裏切りと同じだった。契約者となった自分は悪魔を殺す。頭では理解していたが、未だに躊躇していた。




「悪魔に情があるのか?」



「スズは悪魔ではない!」




 直ぐさま大声で反論する弘孝。しばらく二人の間に沈黙が流れると思ったが、猛が先に大笑いをして沈黙を防いだ。



「何が可笑しいんだ」



 猛を睨みつける弘孝。



「あれだけの事を見て、まだそんな事を言うのか。人間の魔痕を吸収出来るなんて今まで聞いた事があるのか? 悪魔に悪魔と言って何が悪い」



 笑ったと思った次の瞬間、猛の表情は一変し、一度弘孝の視界から消えた。


 身の危険を感じた弘孝は猛の気配を魔力を使い探ったが、猛は既に弘孝の目の前にいて、弘孝の脚を軽く蹴った。バランスを崩してしまった弘孝は後ろに倒れそうになり、倒れようとしたが、猛が彼の腰をとり、ベッドに押し倒すようになった。



「俺が悪魔だったらお前は今頃魔力を体に流されていた。逆に、俺でも弘孝を今ここで殺す事も出来る。死んでくれた方が記憶を失い契約者としてのみ生きているので楽だしな」



 猛を退かしたかったが、弘孝の両手両足は猛の両足と魔力により指先すら動かす事が出来ず、ただ、猛を睨みつける事しか出来なかった。




「なら僕を今ここで殺せばいいじゃないか。椋川弘孝はもうウリエルの器なのだから」



「死んだら記憶を無くし、お前のパーティーには運よくまたこの時代のこの場所に転生しなければ会えないぞ。もっとも、会っても互いに見覚えが無ければすれ違うだけかもしれない。最悪、敵になるかもな」




 更に大量の魔力を弘孝に注ぐ猛。弘孝の悪魔としての血が、アレルギー反応のように吐き気を催した。




「契約者になるという事は自分の全てを捨て、たった一つの小さな望みを叶えるという事だ」




 猛はそう呟くと、弘孝から離れ解放させた。起き上がる弘孝。頭痛が彼を立ち上がらせる事を邪魔した。



「分かっているさ。それくらい。僕の場合は小さな望みはジンたちの幸せだった。でも、そんなのは建前だ」



 弘孝は自分の隣を指差し、猛を座らせるよう合図した。言われた通り、弘孝の隣に腰掛ける猛。



「本音はただ、可憐の側にいたかったんだ。どんな手段を使ってでも。もちろん、僕はウリエルだから彼女と結ばれる事は無いという事は充分承知している。自分は結ばれなくていい、ただ、彼女を騎士として守りたいんだ」



 弘孝の言葉に笑わず、真剣に耳を傾ける猛。弘孝は再び笑われると思っていたので、少し戸惑ったが、そのまま話を続けた。



「僕が可憐を選べば、他の仲間が苦しむ。だからそれを契約内容にした。それでスズを殺すなと言うのは自分勝手だと分かっているつもりだ。ただ、僕や猛が彼女を殺す事により、僕は仲間にはこう思われるだろう。仲間を殺し、自分は上へ逃げる裏切り者だとな」



 ふと、弘孝の脳裏にジンの姿が横切った。二人で食べ物を分け合う姿。しばらくし、ハルたちが仲間になり、家族のようなだんらんの食事。スズの登場により、揺れる二人の友情。彼女の笑顔により、頬を赤く染めるジン。ジンの気持ちを知りながら、弘孝はスズを殺すなんて出来なかった。



「ジンか?」



 自分の考えが猛に見透かされたような感覚になり、思わず目を見開く弘孝。その反応を見た猛は図星かと付け足し、笑った。そんな猛に弘孝は睨まず、全てを悟られたような笑みを浮かべた。猛に隠し事はしないと一人で誓った。



「ジンには、僕以上に大切な仲間がいる。僕に彼らを引き裂く権利は無いはずだ」



 微笑し指先に悪魔としての魔力を灯す弘孝。それは直ぐに消え、赤く美しい炎のような魔力へと変わった。



「お前のそういう所、ウリエルそっくりだ。いいだろう。一つだけ、あの女を殺さずに済む方法がある。知りたいか?」



 猛が腰にある剣を取り出した。彼だけは、人間の格好の時でも、剣のみを出現させることが出来るのだ。



「そのような事が可能なのか!? ぜひ知りたい。」



 目を見開きながら猛の方へ顔を近づける弘孝。猛は一度深呼吸をし、弘孝の顔を覗き込んだ。




「二重契約」



「二重契約?」




 猛の言葉を復唱する弘孝。それに頷く猛。



「地獄長クラスの悪魔になれる程の魔力を持つならば、逆にそれなりの天使にもなれるという事だ。あの女がこちら側につくと誓い、契約するならば、天使になれるかもしれない。しかし、二重契約は契約者としてのみしか生きられず、悪魔から天使へと変わるならば、今持つ悪魔の魔力以上の天使としての魔力を生産しなければならない。これは、人間で例えるならば、今まで運動をしなかった奴が予告も練習も無しで、フルマラソンをするようなものだ。相当な覚悟と才能が無ければ、不可能に近い。さらに、力の制御が不可能になり、悪魔に戻る確率だってある。この場合は、魂を解放させるのではなく、魂自体を無かった事にしなければ、強力な魔力を持つ魂が他の魂を食って、空いた人間の身体に入る可能性があるからな。どうするか?」



 口を閉じる猛。弘孝はまず、猛が話した事を自分なりに頭の中で整理した。



「しかし、それでは意味が無い。僕はジンとスズを離れ離れにさせたくないだけだ。彼女が天使になるのならば、僕たちと共にいなければならないのだろ?」



 更に顔を近づける弘孝。女顔な弘孝が行っているので、第三者から見たら男女の逢い引きのように見えた。



「どちらにしても、あの二人は報われる事は無い。それならば、せめてでも味方になった方がまだましじゃないか?これは、俺がいなければ不可能な内容だ。俺は転生を知らない契約者だ。故にこの体が朽ち果てた後の代わりとなる器を探す必要はない」



 笑う猛。それは、蔑みなのか、彼なりの優しさなのか分かる者はいなかった。



「猛がいなければ不可能?」



 首を傾げる弘孝。二人の距離はいつのまにかもとに戻っていた。



「磯崎が言っていただろ。契約者と人間には相性がある。磯崎は光とのみ契約が可能なのだ。光もまた、磯崎のみ人間と契約出来る。だが、俺にはそのような制約はない。故に人間が契約者となる可能性がある場合のみ相性無しで契約が可能だ」



 光の名前を聞いた時、弘孝は微かに表情を曇らせた。それを察した猛は言葉を付け足した。



「あいつらは、途切れない限り神に愛され続ける運命だからな」



 弘孝は最後猛の言葉を理解出来なかった。質問しようと口を開きかけた時、猛は立ち上がった。



「客だ。相手は人間だから着替えろ。恐らく、市場で会った悪魔ではないだろう」



 普段弘孝が魔力を使って気配を探っていたが、今はスズとジンの事で頭がいっぱいだった為、すっかり忘れていた。猛はこのような時も弘孝をフォローするように、自分の魔力を使っていた。弘孝は感謝の言葉を述べると、猛は急に表情を険しくした。



「妙な胸騒ぎがする」



 そう呟くと、猛は速足で弘孝を置いて部屋を後にした。


 残された弘孝。部屋を出て行った猛の姿が微かに可憐の姿と被った。



「おい、猛!」



 弘孝の声は猛には届かなかった。一人、猛の言葉により不安になった弘孝は、彼を追うように扉を開けた。すると、そこにいたのは猛ではなく、ジンの姿だった。



「ジン……。もう大丈夫なのか?」



 心配する弘孝に、ジンは無邪気な笑顔を見せる。



「ご覧の通り、ピンピンしてるぜ」



 宙返りし、健康と言うジン。それをみて安堵のため息をもらす弘孝。



「そうか。ならよかった。ところで、僕に何か用があるのか?」



 別の件で心配している事を悟られないよう、話を変える弘孝。ジンは用事を思い出したように深刻な表情になる。



「そうそう、今朝の女から聞いたって言っていた客が来たんだ。しかも、そいつ、女のくせしてリーダーを指名しやがった。どうする?」



 首を傾げるジンに弘孝は、片手を顎に触れ、考える素振りを見せる。数秒後、結んでいた長い髪を解いた。



「分かった。その客を受け入れよう。ジン、案内しろ」



 声色が少し高くなる弘孝。それはまるで本物の女性の姿だった。



「りょーかい」



 二つ返事をし、一度扉を閉めようとするジンに弘孝は慌ててそれを遮った。



「あ、待て」



 弘孝の声に半開きの扉を再び開けるジン。



「女を案内したら、お前はスズを探しに行け。これは、お前じゃなければ出来ない仕事だ」



 弘孝の言葉にジンは大きく目を見開き、扉を乱暴に開けたあと、弘孝の胸倉を掴んだ。



「ふざけてんのか!?」



 ジンの筋肉質な腕が簡単に華奢な弘孝を持ち上げる。



「リーダーはオレをブジョクしてんのかよ」



 睨みつけるジン。弘孝は状況が掴めず、目を丸くしていた。




「スズはオレじゃなくて、お前に探して欲しいと思っているはずだ」



「違う。スズはただ僕を——」



「黙れ!」




 掴んでいた弘孝の胸倉を離し、自由を与えるジン。弘孝が床に足を着く音だけが響いた。



「オレは、ただ、あいつの幸せを願っているだけなのに」



 それだけ言うと、ジンはゆっくりと扉を閉めた。再び一人残された弘孝。彼はジンがなぜあそこまで怒っていたのかが分からなかった。


 自分はジンのスズに対する気持ちを知っている。だから、ジンにスズの残り少ない時間を譲った。それなのに、ジンは激怒した。ジンがスズに好意があるという事が間違っているのか、それとも、単に自分が空気を読めず、謎の女が客として来ているのに探しに行けと言った自分が無頓着でいらついたのか、何度考えても、弘孝には分からなかった。



「なんだ、あいつ」



 不満をもらしながら、適当にあった女性用の服に着替える弘孝。この仕事を始めたばかりは、女性用の服を着る事に抵抗感があったが、今では仕事と割り切れば何も感じなくなっていた。


 薄手の白いワンピースの袖を通した時、ノックが聞こえた。



「あなたを指名した客よ。開けてちょうだい」






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