第39話 塵街+誓い

 春、のどかな草原が広がっていた。草花が風に揺られ、音をたてた。木陰には二人の幼い男女が仲良く腰掛けていた。二人とも黒髪で少女はボブに、少年は肩までかかった髪を髪ゴムで簡単に束ねていた。少年の手元には国から支給されたバイオリンがあった。



「ねぇ、弘孝」



 少女が少年に話し掛ける。



「どうしたんだ? 可憐」



 可憐と呼ばれた少女は右手で弘孝のバイオリンを指差し、左手で青空を指差した。



「空はみんなに平等なのかしら。音は平等でしょ?

じゃあこの綺麗な青空はみんな見る事が出来るの?」



 幼い少女の無邪気な質問に弘孝は少し考える素振りを見せながら可憐の頭を撫でた。



「平等さ。きっと。上の人も、下の人も同じ空を見ているはずだ。見方は変わるかもしれないけどな」



 可憐はそうねと返すと、弘孝の肩に寄り掛かった。人の温もりを感じ、心地好かった。



「じゃあ、空が無くなったらみんな悲しんじゃうわね。青空も、星空も無くなったら私たち、どうやって時間を把握するのかしら」



 可憐から溢れる緑色の光り。それは弘孝にしか見えなかった。寄り掛かった可憐に弘孝は自分の体温を伝わらせた。




「可憐は優しいな。そんな顔も知らない人間の心配までするのだから。僕は、自分の事で手一杯だ」



「私は優しくなんてないわよ。昨日もまた夕飯がパンとシチューだったから怒ったの。お母さんやお父さんが一生懸命働いているのは分かっているのに、申し訳ないって思っているのを知っているのに、私って馬鹿よね」




 視線を可憐に向ける弘孝。彼女のシャンプーの匂いが鼻孔を刺激した。



「じゃあ、二人で来月のテストを受けよう。二人でCランクから抜け出せば、毎日パンとシチューの暮らしから抜け出せるはずだ。今から勉強すれば間に合う」



 テストという言葉に可憐は反応するかのように弘孝の肩から顔を離した。



「無理よ。私が何度受けたか弘孝は知っているでしょ? 何度やっても結果は同じ。お母さんたちは、Dランクに下がるよりかはましだと言って私を責めないけど、内心は一日でも早く上がりたいと思っているわ、きっと。でも、これじゃあ受験料を国に捧げているだけだわ」



 反対する可憐に、弘孝はバイオリンを入れるケースの中から何か書物をコピーしたような冊子を取り出した。差し出す弘孝に受け取る可憐。ぱらぱらと冊子をめくると、それは今までにない数学の公式や科学式が書かれてあった。



「僕は一ヶ月後のテストを受けるように国から言われた。それと同時に渡されたのがこのテキストの原本さ。これがあれば今まで受けたテストで分からなかった所が分かるようになる。でも、絶対に他人には見せるなよ。これは犯罪なんだ、可憐」



 弘孝の言葉を理解した時、可憐はこの国の理不尽さを感じた。弘孝にはバイオリンの才能がある。だから上のランクに上がらせ、才能を伸ばさせる。自分は何も特技がないので、税金を徴収するためにCランクに停滞させる。


 おかしいと思っていた。毎回テストを受ける時、上がる人は今までテストを受けてなく、気まぐれで受けたら上がると決まっていた。逆に、自分のように何度も受けている人は、顔を覚えるくらい上がる事は出来なかった。それは、上がらせる人物には、国は事前に点数を与える為にCランクでは絶対に教えてくれない勉強の内容が書かれてあるテキストを渡す。これにより、受かる人間は受かり、受かる必要が無い人間は受かれないというシステムが完成するのだ。



「分かったわ。私は、あなたと一緒に上に行く」



 テキストを膝に置き、弘孝の手を握りしめる可憐。彼女の無意識な行動に弘孝は頬を染めた。



「でも、これは国に知られたらEランクへ降格以上の罪だ。しかし僕は決して可憐を罪人にはさせない。もしも、二人で上手く上に上がれたらその時は僕と―」



 ふと、可憐がいた方へ視線を向けた。しかし、そこには可憐の姿は無かった。弘孝は辺りを見渡した。可憐はテキストを片手に声がやっと届くような場所にいた。



「何をやっているの?早く勉強しましょうよ。あと一ヶ月しかないのよ」



 独り言のようになった弘孝の言葉は可憐には届かず、一人ため息をついた後、ゆっくりと立ち上がった。



「分かった。今行く」




 手を振る可憐に手を伸ばした時、弘孝は目を覚ました。


 座りながら眠っていたので、首や腰が少し痛かった。



「よりによってこの夢とは……」



 長い髪を手首につけていた髪ゴムで簡単にまとめる弘孝。深呼吸をし、時間を確かめる。予想外にも、十五分程しか仮眠はしていなかった。



「入るぞ。弘孝」



 ふと、扉からノックが聞こえた。扉を開いたのは猛だった。



「光はもう大丈夫なのか?」



 弘孝の質問に苦笑しながら頷く猛。



「磯崎の顔を見たら直ぐに元気になった」



 猛の言葉に表情を曇らせる弘孝。だが、直ぐに元の表情に戻った。



「そうか。確かに、ガブリエルにはラファエルが全てだからな。猛、ジンの件で遅れたが、僕と契約して欲しい。契約内容は変わらない」



 ゆっくりと立ち上がり、片膝をつき、忠誠を示す態度をとる弘孝。それを見た猛は、大天使ミカエルの姿へと変身した。そして、腰にある剣を抜き、ゴールドの魔力を剣にまとわせた。



「俺もお前と契約する為にお前に会いにきた。弘孝、お前の願いと引き換えにお前の死後の肉体と魂をもらう。覚悟があるならこの剣に誓え」



 炎のように光る猛の魔力。弘孝はそのまま剣に触れた。熱くは無かった。ただ、悪魔として弘孝の体内を駆け巡る魔力は、それを拒むように弘孝に悪戯に痛みを与えた。



「この命、死してなお神に全てを捧げよう」



 痛みを我慢し、弘孝は猛の剣にゆっくりと口づけをした。次の瞬間、弘孝の身体が燃えるように熱くなった。猛の炎となった魔力が弘孝を包み込んだ為ではなく、身体の中心から爆発しそうなくらいの熱さだった。




「熱いか?」



「もちろん。火傷の熱さではない。心臓が燃えているようだ」




 剣を支えている手は逆の手で自分の胸に手をあてる弘孝。汗が額を濡らした。



天使アルアク悪魔サタン、二つの血を受け継ぐ者よ。この剣に誓う。お前の命、時間は神に全てを捧げられた。人間を捨て、戦いの大天使ウリエルとして神に遣えよ」



 炎がよりいっそう激しく燃え上がり、弘孝と猛を包み込んだ。先程の熱さは無くなっていた。数秒後、炎は光りへと変わり、弘孝には六枚の美しい翼と、腰には光たちと同じ剣が与えられていた。



「契約完了だ」



 猛の声に反応し、ゆっくりと目を開ける弘孝。それと同時に猛の剣からも手を離した。剣を鞘にしまう猛。



「混血の弘孝は例外として、人間時でも、俺たちとほぼ同じ魔力を使用出来る。しかし、弘孝が使える魔力の絶対値は変わらない」



 ゆっくりと立ち上がる弘孝。六枚の翼が音をたてた。



「魔力の威力は上がったが、使える時間が減ったという解釈で構わないか?」



 頷く猛。それと同時に弘孝の翼と剣は光りになって消えた。



「あぁ。そっちの方がわかりやすいなら俺は構わない」



 猛も大天使ミカエルの姿から人間の姿へと戻った。



「これで、僕は悪魔になる事は無くなったんだ……。そして、これから先の未来も……」



 魔力を指先に灯す弘孝。今まで以上に魔力の光りは赤く、美しくなっていた。



「これに引き換えで、僕はきっと沢山の宝を失う事になるだろう」



 弘孝の言葉に猛は再び頷いた。そんな猛を見て、弘孝の表情は曇った。




「ジンを助けた悪魔。初めは恐らくお前と契約するために近付いたのだろう。しかし、今は、お前はこちら側となった。混血は通常の契約者よりも魔力の威力が高い。それぞれの魔力を他の契約者達と同じだけ持っている。単純に言うと、二倍の魔力の持ち主だ。故に敵になったと知った途端、お前を殺しにかかるぞ」



「待て、スズには僕が混血とは言っていない。そもそも、彼女が悪魔と知っているのはお前らと僕だけだ。ジンたちは僕と同じただ魔力が使える人間だと思っているんだ。スズが僕を襲うなんて、考えられない。」




 弘孝の言葉に猛は顔をしかめた。混血とは言ったが、弘孝は人間として育てられた。天使と悪魔の子どもは人間になれないという事は、猛は知っていた。それは、何度も繰り返している契約者選びで学んだ事だ。弘孝は最初から人間ではなく、天使か悪魔、どちらかに属さなければならなかった事は自分が人間だと思っている為、猛は黙秘した。



「ジンの事を見ていたのに、わからないのか。奴は地獄長レベルの悪魔である事は間違いない。地獄長が動く契約なんぞサタンか同じ地獄長になれる素質を持った人間が現れた時のみだ。お前が混血だろうが純血だろうが、魔力が強いという現実は変えられないのだ」



 猛に返す言葉が見つからず、俯く弘孝。



「スズを、殺さなければならないのか」



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