第38話 塵街+舞踏

 再び差し出された右手。この時、可憐の中で先程とは違う胸騒ぎを覚えた。それは、可憐が初めて光と会った頃と同じ、表現不可能な感情。今会ってはならないという迷信である第六感が可憐の脳に直接響いた。


 しかし、可憐の右手は無意識に光の右手に乗せられていた。光が乗せたのではなく、自分で乗せたのだ。



「私、踊り方知らないわよ」



 乗せられた右手をそっと握り立ち上がる光。可憐もそれにつられ立ち上がった。それと同時に光が握っていた手を左手に変え、右手を可憐の腰に当てた。



「大丈夫、ぼくのテンポに合わせてくれれば、踊れるからね」



 突然、可憐の脳内に音楽が流れた。それは可憐も知っているワルツだった。



「この曲知ってるかい? ぼくの記憶を可憐に伝えているんだけど」



 最初は落ち着いた音。その後にくる壮大なワルツ。それはどこかの宮殿にいる皇帝を連想させるほど堂々としていた。



「シュトラウス二世の皇帝円舞曲ね」



 曲の始まりと同時に光はステップを踏んでいた。それに流されるように可憐の体が勝手に動いた。魔力ではなく、光が自力で導いているのだ。



「正解だよ。よく分かったね」



 二人の間だけ流れるワルツ。それに合わせるように優雅に踊る光。光がするエスコートにより、可憐も次第に踊れるようになった。


 不思議な感覚だった。まるで、今までで一度、ワルツを経験しているかのような感覚だった。右、左、光が少し強めに腰に触れれば、ターンの合図。息がぴったりな二人のワルツは、過去に踊ったことがあるのではないかと可憐を連想させた。



「クラシックは弘孝が好きだったの。特に皇帝円舞曲は、バイオリンで弾くくらいお気に入りだったわ」



 第三者から見たら意味のない踊りに見える。しかし、二人の中では、光の魔力によりワルツが盛大に流れていたのだ。



「この曲は、ぼくにとって、ぼくが人間として生きていた証なんだ。猛君には内緒だけど、これは転生前の唯一の記憶なんだよ。ま、これだけじゃ何も思い出せないから特に注意する事じゃ無いと思うけどね」



 苦笑しながらも華麗にワルツを踊る光。そんな彼に可憐も無意識に微笑していた。先程まであった胸騒ぎは大分落ち着いていた。



「この華麗なワルツと、私を踊りに誘った時の一礼。まるでどこかの貴族のようだったわよ」



 光がターンをした。それに合わせ可憐も続いた。可憐が被っていた帽子が取れて、長い黒髪が美しく揺れた。




「それじゃあ、ぼくは、転生前は貴族だったのかな」



「そうじゃないかしら。ほんと、何年生きればいいのよ」




 光の言葉をつまらなそうに返す可憐。しかし、彼の手を離す事は無かった。契約者独特の冷たい光の手は、可憐の人間らしい温もりを全て受け止めていた。



「本気で言ったんだけどね。あはは。貴族だったら、きっと、美しい馬車にでも乗って、君を迎えにいけるのにね」



 再び苦笑し、踊りを続ける光。曲は終盤にかかっていた。それに比例するように、二人の息が合ってきた。



「光、あなたは私に契約して欲しいの?」



 突然話が変わり、一瞬、光のステップが狂った。しかし、直ぐさま元に戻した。しばらく考えるような表情を見せたあと、光は微笑しながら答えた。



「ガブリエルとしては、今すぐにでも契約して欲しいかな。サタンが復活した今、ラファエルの力は必要なんだ」



 そこまで言うと、光は流していた音楽を止め、立ち止まった。不思議に首を傾げながらも光に合わせて立ち止まる可憐。次の瞬間、光はそっと握っていた手を離し、両手を使って可憐を抱きしめた。



「でも、ぼくとして、光明光としては契約して欲しくないよ。君にこの呪い……。死ぬ事を許されない運命を受け止めて欲しくないんだ」



 罵声や平手打ちは覚悟していた。可憐の事なので呪いなどくだらないと言い返し、更に抱きしめられる事を嫌がると光は思っていた。しかし、今の可憐は、大人しく光の腕の中にいた。



「可笑しいよね。ぼくは君と契約する為に人間界にやってきた。なのに、ぼくは、こうやって君を抱きしめている。可憐が悪魔になったら全てが終わりになるのに、ぼくは……」



 これ以上は話さなくてもいい。そう光に言うように可憐は光をそっと抱きしめた。光の体温が伝わった。死体だと分かっていたのに、温かかったのは不思議だった。



「もういいわ。私が無責任な質問をしてしまったわね」



 ふと、可憐の髪や頬を何かが濡らした。見上げるとそこには、光が涙を流していた。瞳は弘孝と喧嘩をした時と同じ、真っ赤だった。それを見た可憐は、そっと光の後ろに回していた手を離した。光も可憐から離れた。



「私は怖いの、契約者になるのが。自分が死んでも生き続けて、誰にも知られずに消えていく。そこまでして叶えたい事って何かしら。そう考えたら、私は今まで贅沢な暮らしをしていたわ。両親がいて、友達がいて。何も不安や不満無く生きていた。そんな苦しみを知らない私が契約者になってもいいのかしら」



 可憐の脳裏にエンジェの姿が横切った。一瞬にして、老婆以上の姿に朽ち果て、誰にも知られず猛によって魂を解放された。それを引き換えに彼女は今は亡き家族の幸せを願った。そんな彼女は強いと可憐は思った。



「契約者になる人間を決めるのは神だ。ある時は大富豪だったり、科学者だったり。またある時は事故で死ぬ直前の少年だったり―。基準は全く分からないんだ。ぼくが選ばれたのも、可憐が選ばれたのも何か非科学的な関係があると思うんだ」



 優しく可憐の頭を光は撫でた。不思議と懐かしさを感じた。それは、ラファエルとしてなのか、可憐としてなのか可憐には分からなかった。



「でも、ぼくは契約者になった事を感謝しているんだ。昔、どんな生き方をしたか知らないけど、またこうやってぼくとして生きていける。そして、可憐に出会えた。これは契約者にならないと出来ない奇跡だと思わない?」



 首を傾げる光に可憐は撫でられていた手を振り払い、見下すようにくすりと笑った。



「奇跡? 馬鹿馬鹿しいわ。私は実力で生きてみせる。契約者はあくまでも手段の一つと言ったでしょ?」



 光への慈しみは感じられなかった。しかし、光はそんな可憐に微笑した。



「それでこそ、君だよ」



 二人は不思議と笑い合っていた。

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