第36話 塵街+救命



 ジンに弘孝の声が届いたか分からなかった。ジンは既に気を失い、弘孝はそれに気付かずただ魔痕を治す為に自分の魔力をジンに送り続けた。




 ジンと弘孝が初めて会ったのは、弘孝が罪人として、Cランクから追放されてから数日経ったある日だった。弟を殺し、全てを失った弘孝は残された自分が持つ魔力を使ってEランクで絶対的な王になろうかと思っていた。


 魔力を知らない人間は、未知なる力に怯え、自分に服従するだろうと考えていた。しかし、現実は甘くなかった。食事も、質素というレベルではなく、上のランクの人間が食べ残した残飯を食べていたのだ。冬を凌ぐ毛布も無かった。魔力で人を殺し、衣服を奪ってもよかった。しかし、それを行うのは最終手段だと誓っていた。


 そんな時だった。寒さに震え、人殺しすら不可能になるまで体が弱っていた時、ジンに出会った。Eランクで初めて見たよわいの近い少年は、頬にバツ印のような傷を持っていて、何度も罪を犯した目をしていた。



「死にたいか?」



 初めてジンに話しかけられた言葉。それは、凍える弘孝にとって首を横に振って答えることしか出来なかった。



「じゃあ助けてやる。ほら、捕まれよ」



 Eランクで初めて差し出された慈悲の右手。詐欺ではないと弘孝は瞬時に察した。いや、そう信じていた。人殺しの自分を無条件で受け入れる目の前の少年は、弘孝にとって神と同じだった。



「お前、名前は?」



 ジンの手を借り、立ち上がる弘孝。既に衣服は汚れ、髪も少し荒れていた。



椋川弘孝むくがわひろたか



 名前を名乗れば、ジンは何かを察したように弘孝を笑った。



「そんな立派な名前があるって事はお前、上の人間だったんだろ?ここじゃ名前なんて記号と変わりない。オレはジンって呼ばれてる。よろしく、弘孝」



 無邪気な笑顔は年齢相応だった。弘孝が失っていた無邪気な笑顔をジンは持っていた。それが当時の弘孝がどれだけ羨ましかったかジンには理解出来なかった。




「あの時ジンは僕を無条件で受け入れた。だから、僕もお前を無条件で、全力で、この命尽きても助ける!」



 脳内でジンとの出会いを思い出しながら弘孝はありったけの魔力を瀕死のジンに送った。魔痕はある場所が消えたと思えば、別の場所に現れ、絶対的な量は変わらなかった。



「弘孝! お前は大天使ウリエルという天命がある。魂が消えたらウリエルの魂もまたさ迷う事になるんだぞ!」



 猛の言葉に弘孝は首を横に振った。猛もジンを見殺しにはしたくなかった。しかし、人間二人の魔力では不可能だと分かっていたし、猛自身が魔力をジンの体内に送って手伝うと、ジンの体が耐えられない事も知っていた。前回の悪魔の時もあり、これ以上魔力を持たない人間が魔力を人工的に浴びたら、体が朽ち果ててしまうことを直感的に感じたのだ。



「猛の魔力だと、強すぎてジンの体に負担がかかるのだろ。僕を通してでは不可能か? 僕に魔力を一旦送り、僕がジンでも耐えれるところまで抑える。頼む、協力してくれ」



 弘孝が更に魔力の精度を上げた。それは、親友を守りたいと思う気持ちが、周辺の魔力を吸収し、発生していた。猛は、それに答える事は出来なかった。自分でも発想が無かった。



「そうしたらお前の体が朽ち果てしまう可能性だってあるんだぞ。俺自身、やった事が無い」



 弘孝の隣にいた可憐の意識が朦朧もうろうとしてきた。貧血に近い目眩は、これ以上魔力を使用すると自分の体が持たない事を伝えていた。しかし、可憐はそんな忠告を無視してジンにひたすら魔力を送った。


このまま、魂を解放させ、別の人間として生まれ変わる方が楽かもしれない。そう思ったが、いま、自分の隣で命を削りながらも助けようとしている親友は、ジンという存在を求めている。幼なじみであり、親友である弘孝の願いは叶えたかった。



「弘孝が無理なら私がやってもいいわ。私なら、弘孝以上に魔力をコントロール出来るし、体も天界を知っているから、耐えられる確率も高いと思うの」



 息切れしながらも可憐は会話に入った。そんな彼女を否定したのは弘孝だった。



「失敗したらどうするんだ! 僕はジンと可憐、二人の親友を同時に失う事になる。それに、可憐はラファエルとなる義務があるだろ。ラファエルはもとから転生に時間がかかるんだ。可憐がいなくなったら、次は数百年後となる可能性だってある」



 弘孝の言葉に可憐は目を見開いた。そんな情報は無かった。今まで誰も教えてくれなかった情報をなぜ、自分より魔力の知識が浅い弘孝が知っているのか疑問に思った。軽く眉をひそめる可憐に弘孝は可憐から視線をそらしながら答えた。



「夢で見たんだ。ラファエルは転生に時間がかかり、尚且つ見つけるのが難しいと」



 可憐に混血だという事は隠したかった。可憐が悪魔を嫌っている事は知っている。その血が半分混ざっている自分が嫌われるのが怖かったからだ。猛もそれを察したように弘孝が混血だという事は黙っていた。



「そう。でも、これ以上続けたら、私も、あなたも、ジンもいなくなるわよ」



 こういう時、光はどういう行動をとるのだろう。自分を助けるために光自身の魔力を使うのか。あきらめて自分とジンを引き離すのか。不要な思考が可憐の邪魔をした。


 残り少ない体力の中、可憐は冷静に考えていた。部屋の隅で眠りにつく光をちらりと見て、再びジンの魔痕を相殺するのに励んだ。



「……。分かった。猛、頼む。ジンを助けてくれ。失敗したらジンの魂を解放したって構わない」



 可憐の一瞬の視線を弘孝は見逃さなかった。可憐の気持ちが知りたかった。光の事をどう思っているのか、自分と光はどちらが大切なのか。弘孝は可憐の前では、彼女を自分の親友と言っていたが、本音は、それ以上を求めていた。この気持ちを知っているのは恐らくジンくらいだろう。



「分かった。磯崎、俺の剣に触れろ。剣を通して俺の魔力を送る」



 頷く猛。ゴールドの輝きを放っていた剣は色を変え、ゆっくりと可憐の前に差し出された。


 一度深呼吸をし、可憐は意識を自分の猛の魔力に集中させた。そして、ゆっくりと指先を猛の剣に近付けた。



「あなたは死なせないわ。ジン」



 可憐の指先が触れようとした直前だった。今まで三人を傍観していたスズが立ち上がり、一瞬にして可憐の隣に立ち、彼女を突き飛ばした。その後、自分の右手をジンに触れさせた。



「あなた……」



 スズがジンに触れた途端、ジンの体中にある魔痕が薄くなった。それを見た弘孝は、魔力を送るのを止め、スズを見た。突き飛ばされた可憐もまた、彼女を見た。



「スズ、お前……」



 数秒後、ジンの体にある魔痕は嘘のように消えていた。それを確認したスズはジンから手を離した。



「彼はもう大丈夫です」



 それだけ言うと、スズは一瞬にして姿を消した。それと同時にジンが目を覚ました。



「あの子、話せたのね」



 初めてスズの声を聞いた可憐。彼女の美声は名前にぴったりだと思った。



「リーダー……。オレ、死んだ?」



 上半身だけ起き上がり、体を確認するジン。



「馬鹿を言え、死んだら僕たちはいないだろ。スズがお前を助けたんだ」



 スズという名前を聞いた時、ジンの表情が曇った。



「スズ……。そうか、確か光がスズを 」



 自分が体調不良になる前の状況を思い出したジンは、光に殺意を覚えた。勝手な決めつけでスズを殺そうとした光を殴る為に立ち上がるジン。しかし、目眩がして歩けず尻餅をついた。



「病み上がりは動くな。体に毒だぞ」



 ふらつくジンを弘孝が支えた。そんな弘孝にお構いなしにジンは眠る光を睨みつけた。



「なんだよ、あいつ。意味分かんねぇ事勝手に言って、スズを殺そうとした。リーダーがいなかったら今頃……」



 今すぐ殺したかった。しかし、それは不可能なので怒りを拳を握りしめる事により、少し静めた。



「ガブリエルが悪魔を恨むのは当然だ。天界の戦争が無ければ、ラファエルが転生する事が無く、平和に暮らせたからな」



 猛が剣を鞘にしまいながら言った。とたんに姿が人間の姿へと変わった。



「他人の記憶に塗り替えられて死体となっても生き続けなきゃいけない。そんなになるまで、光は何を叶えたかったのかしら」



 ふと可憐が呟いた言葉に猛は微かに目を見開かせた。しかし、それに気付いた者は誰一人いなかった。



「さ、もうこんな時間だ。アイとハルは持ち場についてくれ。サキはスズを探してくれ。猛は、光を部屋に。ジンは自室で安静に。可憐は僕と……。いや、光の傍にいてやってくれ」



 弘孝が右手を上げ、指を鳴らした。それを合図に各自弘孝の指示に従った。猛は光を横抱きにし、部屋を後にした。



「弘孝も、ジンの傍にいてあげたら。彼は、あなたにとって特別なのでしょ」



 可憐もそれだけ言うと、猛の後を追うように部屋を後にした。残された弘孝は、一人座り込み、指先に小さな魔力を灯した。ウリエルとしてではなく、悪魔としての魔力を。



「僕も可憐も変わったって言っていたが、変わったのは僕だけさ。お前は、今でも慈悲深い」



 届かない思いをかかえながら、弘孝はウリエルの魔力を使い、悪魔の魔力を相殺した。



「それは、ラファエルの魂を引き継いでいるからなのか、お前自身の天性の才能なのか……」



 それだけ言うと、弘孝は一人ゆっくりと眠りについた。

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