第3章 塵街+ウリエル
第25話 塵街+現実
翌日午後五時。可憐は両親に行ってらっしゃいとメモをリビングにあるテーブルに残し、家を後にした。普段はエレベーターを使い、集合住宅から出るが、今回は階段を使った。
誰かと鉢合わせを防ぐ為だ。今の可憐の格好は、普段着ている服の雰囲気とは真逆の服を着ていた。ジーンズに男性用のシャツ。長い髪は黒いキャプの中に綺麗に入れていた。男性用の上着を着ていたが、今日の気温は可憐にとって肌寒かった。
「お待たせ」
外で待っていた光と猛。二人は可憐の服装に数回瞬きをするしかなかった。
「磯崎、その格好は……」
猛と光の反応に首を傾げる可憐。
「Eランクでは売春が日常茶飯事。女と分かった途端、さらわれる可能性だってあるのでしょ? それなら気休めだけど男装した方が少しは身を守れると思って」
自分の理論を言った可憐は二人に感想を求めたが、二人は何も服装についてこれ以上言わなかった。
「可憐の男装……。違和感が無いと思うのはぼくだけかな」
「奇遇だな。俺も同じ事を考えていた。」
二人の呟きは可憐には届かず、可憐は未だに首を傾げていた。
「似合わない? それとも私が自意識過剰と思われているのかしら」
キャプを取ろうとツバに可憐が触れると、光が慌てて両手を左右に振った。
「ち、違うよ! むしろ逆で似合いすぎて可憐って胸が無いんだなって」
この言葉を最後に光はこれ以上可憐に感想の言葉を述べる事は無かった。理由は可憐が自分の魔力を光の口に押し付け、光の口内は刺激物を食べたように腫れ上がったからだ。
「魔力の無駄遣いだろ」
ため息をつく猛に可憐はそっぽを向いた。
「天使にはわからないと思うけど、私だって一応女の子なのだから傷つくの。なんなら、一色君もペテン師と同じ運命にしてもいいのよ」
にっこりと笑顔を見せる可憐。しかし、言葉次第では攻撃するという威嚇の意も込められていた。
「……。遠慮させてもらおう。ところで、七部海はどうだったんだ?」
重要人物の名を聞いた時、二人の表情が一瞬にして険しくなった。
「それが、今日は学校を休んだの。昨日から風邪をこじらせたみたいで。お見舞いに行こうかと思ったけど、クラスメートは誰ひとり彼女の集合住宅の場所さえ知らなかった。一緒に帰っている子も途中で別れるみたいで」
契約者二人は、吹雪の動きを偵察する為学校を休んでいた。幸い、吹雪は学校には行かず、街を散歩していただけだった。
「そうか。良ければ確実に調べて欲しいと言いたいところだが、時間がない。今はウリエルを探すのが最優先だ」
この言葉を境に猛と光は全身に魔力を放った。魔力は徐々に二人の背中に集中し、二枚の美しい翼へと変化した。それと同時に猛は歩きだし、可憐と光は猛についていった。
「さぁ、人間たちにひと時の夢を見せよう。非現実な現実の美しく人工的な夢を」
猛がこの言葉を境に瞳を閉じ、可憐には理解出来ない言語を口にしだ。それは、可憐が光と出会った時、傷を治している時と似た言葉であった。
「呪文?」
可憐の問いに魔力を集中し、答える事が出来ない猛に代わって光が答えた。
「君たちが想像する呪文は恐らく、呪文を唱えることで、魔法が使えるという事かな。でもこれは口で話しているだけ。何も意味が無いよ。強いて言うなら威嚇と同じかな。猛君の場合、今唱えている言葉はルシフェルへの怒りをぼくたち契約者の言葉で代弁しているだけさ」
「光は? あなた、私と契約者として初めて会った日、私があなたの怪我を治療した後、私には分からない言葉を呟き、魔力で怪我を治した。あれはなに?」
可憐の問いに光は一瞬だけ歩みを止め、再び歩きだした。しかし、それに気付く人間はいなかった。
「僕が何か言っていたの?」
首を傾げる光に首を傾げる可憐。
「記憶に無いの?」
「残念だけど、ぼくはあの時、君に会えた事で頭がいっぱいだったから君が手当をしてくれた事と契約者の説明をしたくらいしか覚えていないんだ」
儚く笑う光。可憐はそれ以上何も聞かなかった。
「そう。あなたも大変なのね」
可憐の言葉を境に、猛が立ち止まった。猛以外の二人が猛の視線の先を見た。そこには古びた教会があった。
「この建物は?」
雑草に囲まれた教会をまじまじと見る可憐。無神論の世界に生きている彼女にとって教会は初めてだった。
「これは教会だ。神を敬い、祈る為の場所。今は使用者がいない為、魔力も薄れ、悪魔さえも侵入出来る形だけの建物になってしまったけどな」
初めて聞いた教会という建物に可憐は微かに吹雪の魔力を感じた。光もそうだった。彼の魔力を感じた途端、険しい表情を見せた。
「南風君の魔力を感じるけど、猛君、何かあったの」
教会の扉から漏れている吹雪の魔力。しかし、それには敵意は感じられなかった。
「扉を繋ぐ時、やつがここにいた。自分の手下の能力を暴露して消えた」
右手に拳を作る猛。先刻、吹雪からうけた仕打ちを思い出す。
「手下の能力?」
光が首を傾げる。
「やつの手下の一人に、過去や未来を見透かす力があるらしい。それだけ告げるとやつは消えた」
猛の拳が更に強く握りしめられ、奥歯を噛み締めた。光は目を見開き、可憐は微かに目を見開いた。
「有り得ないわ。いくらあなたたちが科学を超越した存在でも、時間枠を越えて未来や過去を見るなんて不可能よ」
可憐の言葉に光も同意するように頷いた。
「ぼくたち天使と悪魔は、元は同じ契約者だ。僕たちが出来ない事は彼らには出来ないはずだよ」
「それはもう、二千年以上も前の話しだ。俺たちが以前と比べて強くなったのと同じで、奴らも奴らなりの能力をコキュートスで身につけた可能性はゼロではない」
猛の言葉に反論する言葉を失う二人。その時、教会の扉が勝手に開いた。中からはまばゆい光りが溢れていた。
「そうね。南風君が何と言っても今は弘孝に会って彼を味方につけるのが最優先。あの扉をくぐればEランクへ繋がるの?」
頷く猛。可憐は上着の裾を握りしめた。
「可憐、約束して。ここから先は今までの常識は全く通じない。窃盗はもちろん、強姦や人身売買は当たり前。死体だって散らばっているかもしれない。誰にも狙われず彼の所に会うのは不可能だと思って欲しい。そして、無事に会えるには、ぼくたちがEランクの人間よりも強いと教えなきゃならないんだ。君は弘孝君に会うまでは何もしゃべらないでぼくか猛君の後ろに隠れていて欲しい」
いつにも増して真剣な光の眼差し。彼の漆黒の瞳は微かに赤みを帯びていた事に可憐は気付いたが、今まで感じていなかった威圧感に頷く事しか出来なかった。そんな可憐を見て満足した光の瞳は、元の黒い瞳に戻り、儚く笑っていた。
「ありがとう。君は絶対にぼくが守るからね」
光は可憐の左手首を握った。そのまま可憐の手を引きながら光りが溢れる扉の中に入った。
光りが消えたかと思ったら、そこは可憐が想像した以上に不衛生な景色が広がっていた。
血で湿った茶褐色の地面。屋外に長時間置かれた食べ物の腐敗した臭い。その中から微かに漂う死臭。そして、そこから感じる必要以上の魔力。それらは可憐の脳内に天界を思い出させた。
「何度来ても、ここは天界を思い出させるね」
無意識に口角が上がる光。猛も交戦的な目をしていた。
「ああ。腐った死臭と血の臭い。そして、人間の疑心や悪意から生まれる憎しみの魔力。いつ来てもここは変わらない」
猛の指先に魔力が現れる。それは、まるでスタンガンのような電気を帯びているように見えた。
「ここから彼の所まで約二百メートル前後。少年に会えるまでに何回命を狙われると思う?」
光もまた、指先の魔力が異様に輝いていた。
「十……いや、二十か。何度狙われても跳ね返すだけさ」
二人の異様さに可憐は口を挟もうとしたが、光との約束を思い出し、慎んだ。
猛の言葉を境に背後に数人の人間の気配を感じた。しかし、猛が軽く魔力を放つと、人々は蛇に睨まれた蛙のように動かなかった。
「そうだね。可憐も退屈しているからそろそろ行こうか」
光の行動に合わせるように残りの二人も足を動かした。
簡単な建物と建物の隙間には、やせ細り、男か女の区別もつかない人間が、可憐たちを睨みつけていた。可憐はその視線に恐怖し、光の服の裾を握りしめた。それに気付いた光は優しい笑みを可憐だけに送りながら彼女の手をそっと握った。
「これがこの国の現実だよ。弱者を土台に強者が立つ。まるで天界とコキュートスのようだろ。弱者を見ることで君は何を感じるんだい? 哀れみ? それとも優越感?」
答は聞いてないと言うように可憐の手を強く握る光。それはあくまでも自分の独り言だと主張するかのようだった。
突然、錆びたナイフを持った男が現れた。汚れ果て、元の色を失ったシャツとジーンズ。荒れた髪。頬にこびりついている血の跡。そして、死んでいるのか生きているのかわからない濁ったビー玉のような瞳を目に埋め込んでいた。
「金を出すなら命は見逃してやる。有り金と服を捨てて消えろ」
男は錆びたナイフを躊躇無く光に向ける。光は動じず、笑っていた。
「それはぼくのセリフだよ。僕たちに挑む所は褒めてあげるけどね」
男は光の言葉を最後まで聞く事は出来なかった。光から放たれた魔力が男を通過した。すると、男は一瞬だけ目を見開き、その後は身体中から鮮血を噴き出した。
可憐はあまりにも突然な出来事に目を背ける事が出来ず、胃の中にあった食べ物を吐き出しそうになった。それを察した猛が可憐をそっと抱きしめ、視界を背けさせた。
「何故ここまでする必要があるのか。それは、ここでの権力を一気に示す為だ。ここで生かしてあの男を逃してみろ。あの三人組に負けても命はある。そう思われたら敵が増え、椋川弘孝に会うことが遠退く」
悲鳴すらあげられない少女を猛は抱きしめ、人間の死体から目を逸らさせる事しか出来なかった。これ以上の光景があると知っていながら、猛は無意識に可憐を無様な現実から隔てていた。それは慈しみか本能なのか大天使ですら分からなかった。
「肉だ!」
「新鮮な肉だ!」
建物の間から死体を求める声があがった。光は先ほどまで生きていた男の骸の上を躊躇いもせず踏んで通過した。
血と肉が混ざり合う音が可憐の耳を犯す。しかし、耳を塞ぐ事は無かった。それは可憐なりの覚悟の象徴だった。代わりに、涙が無意識に流れた。
「時間が無い。行こう」
猛が可憐をエスコートするように歩きはじめる。可憐もまた、足を動かした。三人が通った後、数多の人間たちが男の死体から肉を引き裂いていた。
それから数秒おきにナイフや拳銃を持った人間たちが彼らの前に現れたが、光と猛により数秒後にはただの肉の塊となっていた。時には背後から可憐を狙った男がいたが、可憐に男が触れる前に光が骸へ変えた。
二人の行動に可憐が何か叫ぼうとしたが、いつの間にか光の魔力が彼女の喉を縛り、言葉を放つ事が不可能だった。怒りをぶつけることが出来ず、ただ自分の服の裾をこれでもかというほど強く握りしめることしか出来なかった。
「二十八。予想以上の殺生をしたな」
移動中猛の言葉に光の口角がゆっくりと上がる。
「最高は四十だったっけ? でも時間は最短だった」
光がポケットから懐中時計を取り出した。微かに可憐の視界に入った文字盤を見ると、Eランクに足を踏み入れてまだ5分も経っていなかった。可憐にとってはこの時間は何年もあったかのように感じていた。
「そろそろ本命も現れると思うが……。ウリエルの魔力を感じる」
猛の言葉に反応するように光は目を閉じ、意識を集中させた。彼の周りから魔力が溢れ、それが蜘蛛の巣のように光を中心に放たれた。
「うん。確かに感じるよ。彼もまた、ぼくたちに感付いているね」
ここまで言うと、光は何かを感じ、目を見開き、表情を一変させた。拳を作り、再び意識を集中させる。路地裏にここがテリトリーとしているEランクの人間が殺されぬようにひっそりと息を潜めていた。
「猛君。悪魔がいるよ。悪魔がウリエルと一緒にいる。しかもこの禍禍しい魔力……。地獄長クラスの悪魔だ」
更に詳しい情報を求め、光は放つ魔力の量を増やし、感度を上げた。
「悪魔だと!? 馬鹿な。もう転生したのか!?」
「違う。この感じるウリエルの魔力は間違いなく悪魔以外から放たれている。その近くに地獄長クラスの悪魔が敵意無くいるんだ。まるで傍に仕えているような……。そんな感じだよ」
光が放っていた魔力を元に戻した。それから数秒後、人間である可憐でも分かるくらい邪悪な魔力が近付いた。路地裏の闇から一人の青年と美しい身体をした少女が三人の前に現れた。
「お兄さん、今暇?」
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