第2.5章つかの間の休息
第22話 一拍+休息
可憐が目を開けたら、そこは見慣れた街だった。月光と街灯が可憐の家である公共住宅を照らしていた。
「夜?」
可憐は自分が通学用としてはめている腕時計を見た。腕時計は二十時を指していた。
「夜八時……。夜になるまで時間がかかったようには感じなかったわ」
「天界は地球のような自転などない。常に日が当たるから夜が無かっただけだ。」
猛の言葉に可憐は少々不思議に思いつつも、無理やり納得した。その光景を見ていた光がくすりと笑った。
「可憐も随分ぼくたちの言葉に耳を傾けてくれるようになったね」
少しだけ口をへの字にし、光を軽く睨む可憐。スカートをシワができない程度に少しだけ握りしめた。
「私だって信じたくないわよ。でも、今まで信じていたものが信じられなくなるのだから、信じるしかないの。あなたたちに心を開いた覚えは無いわ」
苦笑する光。猛が可憐の頭をそっと撫でた。
「信じろとは言わない。ただ、お前は知る義務があるだけだ。それが、サタンの宿命からお前の親友を解放する近道だからな」
猛の言葉に微笑する可憐。その笑みには可憐らしさは無く、ラファエルの面影が強かった。
「あなたはいつもそう不器用に励ますのね」
猛が可憐の頭から手を離した時にはすでにラファエルの面影は無くなっていた。
「さ、時間が無い。ぼくと猛君は南風君の情報を集めに行ってくるね。可憐はいつも通り、学校に行くんだ。そして、七部海さんの正体を突き止める。それが終わったらウリエルの魂を引き継ぐあの長髪の少年の所へ行く。明日の夕方五時にまた、ここに集合でいいかな?」
光の言葉に猛は無言で頷く。そのまま視線を可憐に向けると、可憐も同じ反応をしていた。
「明日の夕方五時ね。了解」
可憐の返事を聞いた二人は全身を魔力で包み、天使の容姿から可憐が初めて会った翼の無い人間の姿へと変わった。服装も、白い一枚布のような服から、可憐の見慣れたブレザーへと変わっていた。
「その格好、すごく殺意を覚えるわ」
可憐の皮肉をいつもの張り付いた笑みで受け止める光。猛はそんな二人にため息をしていた。
「ほら、早く帰ったら? お母さんたちが待っているよ」
「生憎、私の両親がこんな時間に帰ってきた事なんて一度も無いの」
光の言葉に対し、いつもの無表情に戻る可憐。しかし、彼女の周りにはラファエルとしての記憶を引く継ぐものとしての魔力が漏れていた。
それを確認した光は魔力を自分の手の中へ集中させ、手のひらくらいの大きさの魔力の固まりを作った。ガブリエルとしてのオレンジ色の魔力が少し眩しいくらいの輝きを放つ。それを可憐の目の前に差し出す光。
「触ってごらん」
言われるままに可憐は光の魔力で出来た固まりに触れた。すると、魔力はガラスが割れるように消え去り、光の手の中にはオレンジ色のストーンで十字架が作られたネックレスが現れた。
「何、これ」
可憐の質問を無視し、光は自分の手の中にあったネックレスをそっと可憐の首につけた。光の手が可憐の髪に触れ、揺れた。
「天使からのプレゼントだよ」
笑顔を見せる光。ネックレスが可憐の首もとについた時、魔力はもう漏れていなかった。
「これが嘘じゃないのが鬼畜だわ」
首にあるネックレスを軽く手に取って見る可憐。見るだけで、外したりなどは一切しなかった。十字架が月光に反射し、自然な輝きを放つ。
「天界と違って、ここは魔力が限られている。お前が魔力を漏らしていたからそれで防いでいるだけだ」
ネックレスを見つめる可憐に猛が補足するように口を開く。それを聞いた光が口をへの字に曲げた。
「どうして種明かししちゃうのさ。せっかくロマンチックに言ったのに」
頬を膨らます光に、呆れるようにため息をつく猛。
「理由をちゃんと述べなければ磯崎がいつ外すか分からないだろ」
ふと、可憐が見た人間の格好の猛は天界で見たミカエルの時よりもどこか幼かった。可憐のクラスメートと同じブレザーを違和感なく着こなす猛は、何も知らなければ、転校生の一色猛と何一つ変わっていなかった。
「そう。これで魔力を……。ありがとう」
光に向けて微笑する可憐。不意な笑顔に光の頬が赤くなった。動いていない心臓が音を立てたような気がした。
「言ったでしょ。ぼくは何があっても君を守るって」
誤魔化すように笑う光。彼の笑みはやはり儚かったが、それに気付いたのは猛だけだった。既に光の心臓の違和感は消えていた。
「善は急げ。磯崎も早く家に帰れ。せっかくの時間がもったいないぞ。行くぞ、光」
猛は光の腕を掴み、夜の闇へと二枚の翼を羽ばたかせた。光も慌てて自分の持つ翼から二枚魔力で具現化させ羽ばたいた。数秒後、二人の姿は可憐には確認出来なくなった。
「久しぶりの一人だわ」
誰もいない場所で一人呟く可憐。その後は、無言で自分の家へとつながるエレベーターに乗った。普段は優美と乗っていた小さい空間は、魔力を自由に使えるようになった人間をそっと運んだ。
「優美……」
光から貰ったネックレスを強く握りしめる可憐。握りしめる彼女の手からは魔力が放たれていた。しかし、彼女はそれに気付かず、ネックレスの十字架がそった漏れている魔力を吸収する。
「私は、あなたが悪魔だなんてまだ信じられないわ。いつか、必ず私が救ってみせる」
エレベーターの表示が七を指した。扉が開き、可憐を七階へ導く。家の前に着いた時、ふと、家の中に可憐は人の気配を感じた。そっとドアノブを回す。すると、鍵をかけていたはずだが、ドアノブはきれいに回った。
「開いている……」
音をたてないように警戒しながら玄関に入る可憐。すると、そこには暫く姿を見ていない母親の姿が可憐の視界を支配した。
「お帰りなさい。可憐」
久しぶりに聞いた母親の優しい声色。それだけで可憐の瞳には涙が溢れた。
光たちとの出会いから優美が悪魔の王となり、天界という非科学的な世界で過ごす。今まで可憐の中で張り詰めていた緊張が母親の姿を見ただけで一気に緩んだ。
「お母さん……」
靴も脱がず可憐は母親に抱きついた。それを受け止め、頭をそっと撫でる母親。
「ほら、靴を脱ぎなさい」
言葉とは逆に強く抱きしめる母親。可憐の涙が母親のエプロンを濡らした。
「ただいま。ただいま、お母さん」
久しぶりの母親のぬくもりに頬をすりよせる可憐。甘える娘の頭を撫でる母親。互いの体温を確かめるようにするように二人は密着していた。
「夜ご飯の準備、手伝ってくれる? 可憐」
「もちろんよ」
心から笑みを浮かべる可憐。靴を脱ぎ、普段は一人で食事するリビングへ向かった。そこでは、テーブルに料理や食器を並べる父親の姿があった。
「お帰り、可憐」
優しい笑みを送る父親に可憐も笑顔で応える。可憐の目尻には未だにやや涙が残っていたが、それ以上の笑顔が父親の頬を緩ませた。
「ただいま、お父さん」
そのままキッチンへ小走りで向かい、空いているシンクで手を洗う可憐。濡れた手をシンクの近くに掛けてあるハンドタオルで拭き取ると、そのまま母親の横に立った。
「でも、不思議ね。今日突然部長が、帰っていいって言ったのよね。こうやって家族三人揃うなんて何ヶ月ぶりかしら」
キッチンで野菜を切る母親の言葉に父親も共感の言葉を述べていた。可憐も素早く冷蔵庫から飲み物を取り出すなどをして、一秒でも三人で食事をする時間を長く確保しようと努力する。
「半年ぶりくらいかしら。こうやって食事をするとなると、もっとすると思うけど」
可憐にの言葉に父親の目がやや見開いた。しかし、その後は可憐を父親として愛する慈悲深い微笑をする。
「もうそんなに経つのか。どおりで可憐が美人になったと思ったよ」
笑う父親に微笑する可憐。美人になったという言葉を聞いて、彼女の頬がほんのり赤く染った。それを見た母親も笑っていた。母親の笑顔と可憐の笑顔は親子らしく、どことなく似ていた。
「それに、あなたは少し性格が丸くなったわ。こっちに上がってきて五年が経つけど、最初はツンツンしていたから心配だったのよ。でも、最近は笑顔が増えたと思うのよね」
母親の言葉に可憐は一瞬だけ表情が曇ったが、それを悟られないように脳内で優美の笑顔を思い出す。五年程の付き合いのある愛おしい親友の笑みは思い出すだけで自然と笑みがこぼれた。
野菜を切り終わり、包丁を洗う母親。可憐は切り終わった野菜を皿に盛り付けた。普段は一人で食べるのであまり意識しないが、母親がいつも以上に丁寧に切られている野菜を見て、可憐もいつも以上に丁寧に生野菜のサラダを盛り付けた。
トマトやレタス、きゅうりなどが綺麗に並べられているサラダは、彩りにゆで卵がトマトときゅうりと同じようにスライスされ、一緒に並べられていた。それと同時に、キッチンに置かれていた母親の手作りのフレンチドレッシングを作られていたボウルからサラダに満遍なくかける。オリーブオイル独特の輝きが生野菜とゆで卵を包み込み、サラダそのものが目を引くような輝きを放つ。
「あの時は、Cランクから昇格したばかりで、周りから下で生きていた人間としての冷たい目があったから、つい張り詰めたような顔をしてしまっていたわ。でも、私はこのランクで素晴らしい友達と巡り会えたの。いつか、お母さんやお父さんに紹介したいわ」
微笑する可憐。しかし、その笑みに希望は無かったが、光のような張り付いた笑みを無理やり作り出し、両親に本心を悟られることは無かった。
「あら。椋川さんのお子さん以外にも大切なお友達が出来たの? あの子も凄くいい子だったわね。楽器が何を弾いても上手で。特にバイオリンは感動したわ」
「それは楽しみだな。さ、サラダも出来上がった所だし、食べるか」
ふと、弘孝の話題に触れる母親。それを聞いた可憐は一瞬だけ、表情を曇らせていたが、両親に悟られないように偽りの笑みを浮かべた。
父親の言葉に二つ返事し、エプロンを外し、席に着く母親と可憐。食卓には先程母親と共に作ったサラダや既に用意されていた魚介のクリームパスタといった可憐の好みの夕飯が並べられていた。
「いただきます」
家族三人声を揃えて言った。久しぶりに口にする出来たての食事は、可憐を無意識に笑顔にさせた。電子レンジで再加熱されていない自然な温もりは、冬の風で冷えた体を優しくあたためた。
「美味しい。とっても美味しいわよ」
娘の感想に満足な表情を浮かべる母親。
「よかったわ。可憐の食の趣味が変わって不味いって言われたらどうしようと思っていたの」
魚介類が入った白いスパゲティを再び口にする可憐。イカやシャケといった魚介がやや大きめにブツ切りに近い状態でパスタソースの中に混ざっており、それを見事に引き立てるミルクの味がたまらなく美味だった。
「そんな事ないわ。私は、お母さんが作る料理全てが大好きなの。毎日仕事で忙しいのに、こうやって手の込んだ料理を作ってくれる。どこのランクでも変わらないのはお母さんの料理くらいだわ」
無心にパスタをフォークで巻き付け、スプーンを使い、丁寧に口にする。すると、パスタが母親の手作りである魚介のクリームソースと絡み、口内を幸せで満たす。
「やっぱり母さんの料理は最高だな」
父親に同感するように頷く可憐。口元は未だに緩んだままであった。
「ええ、久しぶりに食べる、お母さんの作りたての料理はすごく美味しいわ。お母さん、いつも愛情たっぷりのご飯をありがとう」
自分の言葉にやや恥ずかしがりながら頬を赤く染める可憐。照れ隠しのようにサラダを口にする。こちらも、可憐好みの野菜の種類や切り方をしてあり美味だった。フレンチドレッシング独特の風味と酸味、黒胡椒の辛みが可憐が食べている野菜より新鮮な野菜たちと融合し、食欲をそそる。
母親手作りのドレッシングは淡白な味のレタスやキュウリを特別な味にし、甘みが強いトマトを酸味で包み込み甘味を強調させ、ゆで卵を黒胡椒の辛みで引き立てていた。
「よかった。ところで可憐、お母さんたち、急な話しだけど、明日から海外に一週間出張しないといけないの。悪いけど、一週間だけはご飯自分でしてくれる?」
申し訳無さそうに表情を曇らせる母親。可憐はその時、微かに両親から猛の魔力を感じた。
「一週間ね、大丈夫よ。それくらい。私の事は気にしないで仕事に集中してね」
笑顔を見せる可憐。それは安堵と壮行を意味していた。
「ごめんね。こうやって一緒に食事すら出来なくて」
フォークを皿に置く母親。可憐は首を横に振った。 フォークと陶器でできた皿が軽くぶつかる音が可憐の耳に入る。
「いいの。私は仕事を頑張っているお父さんやお母さんが大好きなの」
照れくささを誤魔化すようにサラダを口にする可憐。慌てて口にしていたので、ドレッシングが口元を汚していた。それを見た両親は満面の笑みを浮かべていた。
「ねえ、話は変わるけど、お母さんやお父さんは一つだけ願い事が叶うなら何を望む?」
口元を拭いながら不意に可憐が口にした質問に両親は暫く考える素振りを見せ、口を開いた。
「そうね。私だったらもう何も望まないわ。家族がいて、少ないけどこうやってみんなで食事が出来て、充分幸せなの」
「そうだな。母さんの言うとおり、可憐がいて、食事が出来て、これ以上の幸せを求めたら神様から罰が当りそうだ」
冗談めかしに笑う父親に可憐は苦虫を噛み締めたような表情をした。無意識に右手に持っていたフォークを強く握りしめる。
「神……。ねえ……。私は信じていないわ。だって、こんなに科学が発展した世界なのよ。神や天使といった非科学的なものが存在していたら、それこそ、その存在理由や存在できる仕組みを人間が血眼で調べるはずよ。」
天界での光たちの事をふと思い出した可憐。口調も思わず彼らの前で話すような張り詰めたものに無意識に変わってしまった。しかし、その後にパスタソースに絡んだシャケを口にすることで、先程の怒りに近い感情を無理やり忘れさせた。
「私は信じるわよ。だって、お父さんに会えたのも、可憐に会えたのも奇跡なのよ。科学がどうこうって考えないで、これは神様がきっと、私たちを繋げてくれた。そう考えたらなんだかロマンチックで心が幸せになるわよ」
優しい笑みを浮かべる母親。可憐もつられて笑った。しかし、その笑みは光と同じように儚く、美しかった。
「それなら私がもしも、神様に近い存在に出会えたら、私からありがとうと伝えとくわ」
「おや、可憐、さっきまで否定していたじゃないか。変わった奴だな」
美しく笑う可憐。その面影はラファエルそのものだったが、それに気付く者は誰ひとりいなかった。
「ちょっとね。最近神話の勉強を始めたの。信じて
いないけど、すごく興味深い話しだわ。あ、お母さん、お父さん、学校の話を聞いてくれないかしら」
これを境に可憐は料理を食べながら家族で幸せな会話を続けた。
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