第15話 天界+契約

 空いている左手も使い、光の手を包む可憐。光は可憐に近づけるように再び床に膝をつけた。




「本当にいいんだね。ぼくなんかで」



「私はあなたがいいの。愛の大天使ガブリエル」




 微笑する可憐の表情はどことなく光が思い続けているラファエルそっくりだった。



「私、ラファエルの記憶を見た時にね、彼女がどれだけあなたを愛していたか、他人なのに、まるで私がラファエルのように伝わってきたの。彼女の記憶を引き継いだ人間として、私は彼女をあなたと再会させたい」



 再び微笑む可憐。この時、彼女の表情はラファエルそのものだった。



「分かった。でも今は契約出来ないんだ」



 握りしめられた手を離してもらい、光は可憐の首を撫でた。魔痕は光が初めて見た時よりもはるかに薄くなっていた事に光は気付き、一瞬険しい表情を浮かべたが、すぐにもとの柔らかい表情に戻った。



「どうしてなの? あなた、あんなに切羽詰まったように私と契約を望んでいたのに……。私の器としての才能が無くなったのかしら」



 首を傾げる可憐。光は魔痕をなぞっていた手を離し、ため息をつきながら首を横に振った。



「君の魔痕が治るまでは契約出来ないんだ。悪魔の魔力が君の魔力に反応して、悪化したら大変だからね」



 一度可憐の頭を優しく撫で、光は立ち上がった。可憐が自身を器と表現したとき、彼の動いていない心臓が一瞬だけ押し潰されるような痛みが襲った。六枚の翼が音をたてる。



「ぼくは今から自分の仕事を片付けてくるよ。身の回りの世話はさっきの天使がしてくれると思うから、何かあったら遠慮しないで彼女に言ってね」



 そのまま立ち去ろうとする光に可憐は手を伸ばした。



「待って」



 可憐の方に振り返り、立ち止まる光。



「あの子はどうして天使になったの? 本人には言わないから教えて」



 可憐の言葉に光は一瞬ためらったが、口を開いた。



「エンジェはもちろん天使名だ。転生前の名前は分からないけど、彼女は可憐と同じ国の国民だった。彼女がいた世界はEランク。不衛生な環境で両親が病気にかかり、妹は売春された。それでも彼女の心、魂は強かった。だから天使と契約したんだ。契約内容は、両親の病気を治し、妹と暮らしたい。Aランクの君たちの世界では当たり前の事を彼女は一生の願いで叶えたんだ。契約から数年後、彼女は自分の病気で亡くなった」



 口を閉じる光。可憐は伸ばしていた手をおろした。



「そう。悲惨な人生だったのね」



 長い髪をなびかせる可憐。



「これを本人に言ったら君は独房へ閉じ込められるから。君の事だから言う事は無いと思うけど、一応ね」



 それだけ言うと、光は可憐に背を向け、部屋の唯一の出入り口である扉を開けた。



「ぼくも一日一回は君に会いに行くよ。寂しがる必要はないからね」



 光の言葉に可憐はいつもの無表情に戻った。



「ペテン師が恋しいという日は死んでも来ないわ」



 光は満足げに部屋を出て行った。


 彼が部屋を出たら、猛が光を待ちかまえていた。



「何故契約しなかった」



 光を睨みつける猛。光は相変わらずの笑みを浮かべていた。



「可憐の魔痕はまだ消えてない。サタンがつけた魔痕だとしたら治ってから契約するに越したことはないだろ?」



 猛が剣を取り出し、光に向けた。猛が持っている剣は以前のものとは、はるかに劣っていた。



「俺を見下しているのか」



 猛の鋭い眼差しが光に向けられる。しかし、光は態度を変えずいつもの張り付いた笑みのままだった。



「そんな気休め程度の剣でぼくを斬れるのかい?裁きの大天使ミカエル」



 変わりのない光の態度に猛は剣を鞘に戻した。



「癒しの大天使ラファエルに転生したら、たとえサタンの魔痕でも相殺出来る、いや、ラファエルのみがサタンの魔痕を相殺出来る。お前はそれを知っていて、あいつからの契約を拒んだ。どういう風の吹き回しだ」



 猛の言葉に光は表情を曇らせた。六枚の翼が一度だけ、音をたてる。



「ぼくに契約を望んだのは可憐じゃない。ぼくが蘇らせたラファエルの記憶なんだ。感情の動きが小さすぎる。契約しても充分な魔力を持った状態で転生出来るとは限らないよ。これだと本当にぼくはペテン師だよ」



 苦笑する光に猛は疑心暗鬼の目を向けた。




「磯崎可憐の前に転生し、契約違反により裁かれたラファエルにはそんな情が無かっただろ」



「だからだよ。ぼくは前回犯した過ちを二度と繰り返さないように、ぼくは可憐と契約したいんだ。彼女の望みを叶えたい」




 拳を作る光。猛は光をじっと見ていた。黒い光の瞳は、輝いていた。



「その眼……。お前、惚れたのか? 光明光として、磯崎可憐に」



 嘲笑う猛に光の頬は赤く染まった。それを隠すように猛に背を向ける光。



「ぼくはガブリエルとしての使命を果たすだけだ。ただ、それに人間である可憐を無理矢理巻き込みたくないだけだよ。もちろん、ぼくは彼女を愛しているよ、愛の大天使ガブリエルとして、癒しの大天使ラファエルをね」



 それだけ言うと、光は翼を広げ羽ばたいた。猛も羽ばたき、光の後を追った。



「お前は昔から嘘が下手だな。俺はただ、お前を失いたく無いだけだ、ガブリエル」



 猛の声は光には届かなかった。


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