第2章 天界+ラファエル

第14話 天界+可憐

 可憐が目覚めた場所は見慣れない部屋だった。神秘的な雰囲気を放っているこの部屋は異国にある神殿を思い出させた。


 目を開いて左右を確認すると、一人の天使が可憐に笑顔を見せた。


「あ、お目覚めですか?」


 少女のような容姿をした天使は背中についた二枚の翼を小さく動かした。


「ここはどこ? あなたは誰?」


 可憐は辺りを見回した。天板付きの可愛らしいベッドの上からでは、視界は限られていた。壁のほとんどが本棚で、本が綺麗に収納されていた。


「ここは天界です。あと、私の事はエンジェとお呼び下さい」


 エンジェは可愛らしい笑顔を再び可憐に向けた。彼女の顔から笑顔がこぼれる度に彼女の翼がぴくりと動く。


「天界? 私は確か家で……。はっ! ねぇ、私の他に金髪の女の子やペテン師面した茶髪で黒目の男を見なかった?」


 慌ててベッドから降りようと身体を起こす可憐。しかし、身体を動かした途端、背中に激痛が走った。


「うっ……」


 起き上がれず、再びベッドに横になる可憐。


「まだ動かないで下さい! 可憐様の体内には多量の魔力がまだ残っています」


 慌てて可憐をベッドに痛みを抑えるよう横にさせるエンジェ。可憐が大人しくなったのを確認したら、席を立ち、手鏡を持ってきた。


 それを可憐に差し出すエンジェ。可憐は渡された手鏡から自分の顔を見た。特に異常は無さそうだが、首には腐敗した血のような色をした魔力が絵の具で塗ったようにべったりとついていた。


「その首の痕は上級悪魔が可憐様を攻撃し、そこに魔力を注ぎ込んだ証拠です」


 エンジェの言葉を聞きながら、可憐は首についた痕を指で優しくなぞった。打撲のような痛みは無く、強く押しても痛みは特に感じなかった。


「症状を見たところ、これは打撲のようなものでも無く、ただのペイントにしか見えないわ。洗い流せば取れるんじゃないかしら」



 痕を押すのをやめて、可憐は次にこすってみた。しかし、それは落ちることも伸びる事も無かった。



「普通の人間はそう思い、これを放置します。しかし、これがあと数日経てば身体中に染み渡り、やがて悪魔となり人間を襲うのです。人間界の病名で可憐様の今の症状を例えるならば、癌と同じですね」



 急に笑顔を消し、真剣に話し出すエンジェ。可憐はその気迫にしばらく何も言い返せなかった。



「私に悪魔になれと言うの?」



 可憐の言葉にエンジェは首を横に振った。そして先ほどの真剣な顔ではなく、最初の笑顔を可憐に見せた。



「大丈夫です。ご安心下さい。この悪魔の魔力の痕、通称魔痕は天界にいるだけで天界の魔力に負け、浄化されます。可憐様の魔痕は深いものですが、天界にいる限り、進行する事はありませんし、必ず浄化されます。目安的には四日から五日程度でしょう」



 身体を起こすだけで激痛が走る事が四日から五日で治るはずがないと可憐は口にしようとしたが、ここ数日の出来事は可憐の常識をはるかに越えていた。


 なので、簡単に口にしたら自分が非常識な人間と思われてしまうので、開きかけた口を閉じた。



「そう。私の他にここに来た人はいるの?」



 可憐の問いにエンジェは少し首を傾げ、エンジェの隣に置いてある一枚の紙を机の上から取り出し、何かに目を通した。



 「昨日天界に来たのは人間が一名、天使が二名ですね。人間はもちろん、可憐様。残りの天使二名は大天使様という事しかお伝え出来ません」



 申し訳ありませんと付け足し、紙をもとあった場所に戻すエンジェ。予想はついていたが、確信は無かった。



「たった三人……。私以外の人間は本当にいないのね?」



 可憐の問いにエンジェは首を横に振った。恐らく大天使二名は光と猛と可憐は予想した。しかし、一番気になる優美の居場所が分からないので歯がゆい気持ちでいた。



「ええ。天界への入界は天使のみ可能ですので。可憐様は例外ですが……」



 頷きながら苦笑するエンジェ。可憐の表情が読み取れなく、彼女の扱いに眉をひそめていた。



「私が例外? 何故?」



 首を傾げる可憐。



「それは、ぼくから説明するよ」



 ふとベッドから離れた部屋の入り口から聞き慣れた声が聞こえた。エンジェが声の主の姿を確認すれば、目を見開き姿勢を正した。



「ガ、ガブリエル様……」



 急に立ち上がり、起立するエンジェ。可憐は身体を起こして声の主を確かめたかったが、魔痕が可憐に激痛を与えるので動けなかった。



「可憐の世話をしてくれてありがとう、エンジェ。後はぼくが説明するよ。彼女もその方が遠慮無く言えると思うからね」



 声の主は、一歩ずつ可憐の側に近づいた。エンジェは自分が座っていた椅子を彼に差し出し、そのまま走り去るように部屋から去っていった。



「ガブリエルって……まさか、ペテン師!?」



 ガブリエルと呼ばれた彼が椅子に座ると同時に声を上げる可憐。椅子に座ったので、ガブリエルの顔が可憐の視界に入った。それは、紛れもなく、光明光だったが、六枚の翼が生えていて、神々しかった。



「気分はどう?」



 心配するような眼差しを可憐に向け、足を組み、翼を床に着ける光。可憐はそんな光と目を合わせないように視線をずらした。




「あなたが出てくるまでは最高だったわよ」



「そこまで皮肉が言えるなら安心だよ」




 いつもの笑顔を可憐に見せる光。可憐は相変わらずの無表情を笑顔の代わりに返した。



「優美はどこ?」



 背中を痛めないようにゆっくりと視線を戻す可憐。光の顔からは、笑顔が曇った。



「彼女は悪魔に転生した。君が今苦しんでいる魔痕は彼女がつけた」



 可憐の首にある魔痕を指差す光。可憐は首を横に振った。



「嘘よ。優美がそんな酷い事するはずない。あの子は優しくて、とてもいい子よ」



 自分の首にある魔痕をなぞる可憐。なぞっただけでは、魔痕の痛みは感じないが、首には原因不明の痛みを感じた。



「でも君が痛みを感じているのは事実だ。そして、沖田さんが転生したのも事実。君の思う沖田さんは君の意見だろ?」



 今まで議論していた立場が逆になったような気がした。可憐は光に沈黙で返した。



「確かに沖田さんと一番仲がいい君の意見が正しいのかもしれない。でもね、可憐、今はこの現実を受け止める必要があるんだ。現に今君は魔痕の痛みに耐えている。可憐が天界に入って魔痕を治せるのは、君に契約者となる才能と義務があるから」



 光は座っていた椅子から降り、床に膝をつけ、可憐の右手をそっと握りしめた。可憐は一度握られた手に視線を移したが、直ぐに逸らした。



「光、私と約束して」



 握られた手を握り返す可憐。光は一瞬だけ目を見開き、そのまま握られた手にあった視線を可憐に移した。



「今、私には分からない事ばかりだわ。今後、天使や悪魔について私が疑問に思った事に全て正直に答えて」



 握りしめた手をさらに握りしめる可憐。空いている左手はかすかに震えていた。



「どうしたんだい? 急に。ぼくの事を名前で呼ぶなんて。さらに天使や悪魔を信じるようになったなんて」



 光の言葉に可憐は視線を泳がせながら答えた。



「勘違いしないでよね。私はまだ天使や悪魔を信じていない。ただ、今起こっている現実を受け止めているだけ。それに、あなたは私の事をいくら注意したって、名前で呼ぶ。私が名前で呼んだって、対等な立場なのだから、おかしくないはずだわ」



 いつもの無感情な口調で答える可憐だが、視線は落ち着きが無かった。そんな可憐に光は笑顔を返した。



「分かった。君の質問にぼくは全て事実を答えるよ。約束する」



 光の言葉を聞いて、可憐は初めて光に微笑んだ。握られた手の力も緩められていたので、光は可憐の手を離した。




「まず、天界って何?」



「天界は天使と契約した人間の魂が死後集められる場所。魂は神や天使により復活した身体を手に入れ、天使として転生する」




 光の言葉に頷く可憐。




「では次、どうしたら悪魔を倒せるの?」



「悪魔と天使は対のような存在。互いが弱点なんだ。悪魔を倒す方法は、ぼくたち天使の魔力を悪魔が持つ魔力以上の魔力を彼らに注ぎ込み、悪魔の魔力を消し去る事。逆を言うと、悪魔の魔力が天使の魔力を上回ると、天使も消される」


 光の答えに可憐は、数回まばたきし冷静に脳内で光りと陰を連想しながら考えた。



「これで多分最後。悪魔になって天使に倒された悪魔の魂はどこに行くの?」



 可憐の言葉に光は答える事をためらうように一度視線を床へ移した。しかし、可憐との約束を守る為に、再び視線を彼女に向けた。



「悪魔の魂の在りかたと天使の魂の在り方は違う。天使に倒された悪魔の魂は、粉々になってこの世に存在すらしなかった事になる」



 俯く可憐。そんな彼女に光は申しわけなさそうに頭を下げた。



「私が優美を倒しても、優美は人間に戻る事はおろか、無かった存在にされるのね」



 自分の手を拳に変える可憐。首にあった魔痕が微かに薄くなっている事は誰も知らなかった。



「悪魔の転生は転生元の悪魔の記憶が人間の魂を食べるんだ。だから、悪魔になった人間は徐々に自分が人間であった事を忘れ、記憶を引き継がせる為に、また人間の肉体や魂を使う。外側は人間のままだけど、中身は悪魔だから倒しても人間に戻る程の魂が残っていない。だから、悪魔を倒したところで、人間として不足した魂は消えてしまうんだ」



 握りしめていた手を緩める可憐。そしてそのままシーツを握りしめた。



「そう」



 短い返事をし、光から視線を逸らす可憐。光は一度立ち上がり、壁の本棚から一冊の本を取り出した。辞典並みの厚さをしているその本をパラパラとめくり、ちょうど半分くらいの所を可憐に見せた。



「これはぼくたち天使が遥か昔に起こした戦争の絵だ。ルシフェルを筆頭に天界にいる約三分の一の天使が彼につき、ぼくたちに反乱を起こした」



 光が見せた本を手に取り、開かれたページの絵を見た。同族同士が斬り合う姿は、可憐が見た夢を連想させた。



「ここの戦いの後、ラファエルとウリエルはミカエルによって魂を解放された」



 可憐の言葉に光は一度目を見開き、可憐の顔に視線を移した。




「その夢も見たのかい?」



「ええ、優美が私の家に来る前に。今回は起きている時に急に頭に映像が入ってきたの。途中で眠って夢という形になったけど」




 可憐は光に自分の夢を細かく話した。ラファエルの心境やガブリエルのラファエルに対する思い、ラファエルがどれだけ仲間を大切にしていたか、神に言われ推測した予言、全てを光に話した。


 話し終わり、口を閉じる可憐。光は彼女の話に一切口を挟まず聞いていた。



「ぼくもその記憶はある。ぼくがどれだけラファエルを愛していたか、でもラファエルはぼくじゃなくウリエルを選んだ。ぼくはラファエルの前ではああ言ったけど正直辛かった」



 可憐が持っている本を光は受け取り、本棚にしまった。歩くたびに彼の翼が音をたてる。



「可憐、君は大天使ラファエルの記憶を引き継いでいる。これは紛れもない事実だ。君がぼくたち神話の登場人物を信じるか信じないは自由だけど、いずれ君は大天使ラファエルとなり、ぼくたちと共に天空を守り続ける。この意味が分かるかい?」



 本をしまった光は椅子に腰掛け、可憐に問いかけた。可憐は握りしめたシーツを離した。



「私が今、あなたの存在をいくら否定しても私はあなたたちと同じ立場になり、人間ではなくなるという事かしら」



 鼻で笑い、顔にかかっていた前髪をどかす可憐。



「君に言ったよね、ぼくが君のラファエルとしての記憶を蘇らせたって。ぼくのせいで君が君ではなくなるんだ。あの時ぼくは、君だけが記憶を思い出し、ぼくと契約してくれるようにとった強引な手段だった。でも、結果的にそれは磯崎可憐という存在を殺すことになってしまった。ごめんね、可憐」



 深々と頭を下げる光。過去の可憐ならば、きっと彼を殴っていただろう。しかし、今の可憐は妙に穏やかだった。それは、ここが天界という異世界で、可憐の精神が人間界にある怒りという感情が、無くなっているのか、分からなかった。



「何を今更。何があっても私は私よ。私が生きていたという事実を誰かが覚えてくれればそれでいいの」



 微笑し、手を光に差し出す可憐。光は差し出された手を握りしめた。



「私があなたと契約したら、私の死後、あなたは消えるの?」



 可憐の言葉に光は首を横に振った。


 可憐の手に握られた手は暖かかった。人間の心の底からの優しさが流れているような心地よさだった。



「ぼくは大天使だ。契約違反をしない限りぼくは消えない。ぼくが地上に降りた理由は失った仲間であるラファエルとウリエルの魂を引き継いだ人間を探しに来たんだ。大天使は、下級天使が契約違反を起こし、天使の数が減った時のみ地上に降り立ち、人間と契約する事が出来る」



 可憐はそれを聞き、安堵の表情を光に見せた。握られた手をそっと握りしめる可憐。



「良かった。あなたにはまだ聞かなければならない事が沢山あるから」



 握られた手を自分の頬まで寄せ、光の手を自分の頬に当てる可憐。彼女の身体は天使の光にとって暖かすぎた。



「光、私あなたと契約したい。私の願いを叶えて欲しいの」

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