第13話 裏切り+侵食
「可憐!」
優美の言葉に可憐は我を取り戻した。どうやらあのまま眠っていたらしい。優美が心配そうに可憐を見ていた。座って寝ていたので首や背中が痛かった。
「優美……?」
可憐から声が聞こえると、優美は可憐を抱き締めた。
「よかった……。まだ可憐なのね」
状況が理解出来ない可憐はとりあえず、優美が落ち着くように抱きしめ返す。
「私はずっと可憐よ。どうしたの? 急に」
優美が落ち着いたのを確認し、ベッドに座らせた。可憐も椅子からベッドに移動する。
「急に可憐に会いたくなって。電話してもベルを鳴らしても返事が無かったから急に心配になっちゃって。そしたら、玄関のドアが開いていたから可憐に何かあったんじゃないかと思うと、心配で勝手に入っちゃった。ごめんなさい」
俯く優美。可憐はそんな優美の頭を優しく撫でた。
「いいの。気にしないで。私を心配して来てくれたんでしょ。ありがとう、優美」
優美の頭を優しく撫でながら抱きしめる可憐。可憐に表情が悟られないように笑う優美。
「可憐……」
優美の指先から魔力があふれた。禍々しい魔力は可憐の背中を血のように伝っていく。
魔力が可憐の服の上から染みて、彼女の肌に直接触れた時、可憐は火傷を負った時のような痛みを感じた。
「優美、熱い……。くっ……」
優美から離れようと優美を軽く突き放す可憐。しかし、優美はそれを無視し、更に可憐を抱き締めた。
「ねぇ、可憐。光明光って本当にペテン師ね。悪魔は魂なんて食べないのよ」
痛みに苦しむ可憐の耳元で囁く優美。
「それに悪魔は悲しい存在。神に見捨てられ、天使に裏切られた。だから悪魔は、人間の願いを叶えるの。天使には不可能な願いも全て。慈悲深いでしょ」
優美の魔力が徐々に可憐の身体を犯していく。火傷のような痛みから徐々に、憎しみが込められた鞭打ちのような痛みに変化する。
「止めて……。優美、あなた何を言っているの?」
可憐の言葉は優美には届かなかった。優美が着ていた服が溶け始め、背中には黒い翼が顔を出した。
「可憐、あなたも悪魔になりなさい。あたしが何でも願いを叶えてあげる。あなたには才能があるのよ、あたしと一緒に悪魔になって天界を滅ぼしましょう」
優美の首もとに巻かれていたリボンが蛇へと変わった。蛇は可憐を見つめながら舌を出していた。
「優美、何なの? その格好……。まるで南風君みたいじゃない。あなたまで私を騙す気……?」
可憐の背中への痛みはもう限界だった。恐らく、皮膚は溶け、肉が見えているだろうと可憐は感じた。
「あなたを騙す? あたしが? 私は可憐に一度も嘘をついた事ないよ」
可憐の頬にキスをする優美。蛇が可憐の腕を緩く締め付ける。そんな優美に可憐は恐怖を感じた。
「いや……。怖いよ、優美。お願い。止めて、背中が痛いの。南風君よりも、痛くて怖いの」
可憐がそっと優美の服を握った。化学繊維で出来ていない優美の服は、可憐の生きる気力を奪っていた。
「もういい。私が悪かった。だから、優美、やめて。何でもするから」
可憐の頬に涙が伝う。その涙を蛇が回収するように拭った。
「じゃあ可憐、あたしと契約して。あたしに願いを教えて。あたしがあなたの願い、叶えてあげる。何が欲しいの?お金? 権力? それとも永遠の命?」
可憐の額に数度キスを落とし、優美は可憐の目尻についた涙を舐めとった。
「私は……」
可憐が口を開こうとしたとき、二人の背後からガラスが割れる音が聞こえた。
「っあ!」
光の苦痛の声と共に、可憐の部屋の窓ガラスが割れ、三名の天使と悪魔が可憐の部屋へと入ってきた。
「お前は何百年経っても、俺に勝てねぇんだよ!」
吹雪が魔力を具現化させた剣を作り、光に向かって振りかぶった。猛が光を守るように前に出るが、吹雪の方が早く、魔力で作った剣で光を床に叩きつけた。
「ガブリエル!」
吹雪が光の腹部に拳で殴る。口から血を吐いて数メートル飛ばされる光。
急な展開に可憐に魔力を流していた優美の指先から魔力が途切れた。可憐の背中から痛みが引いた。
「なっ!? ペテン師!? 一色君!? それに南風君!?」
三人の登場に優美は舌打ちした。
「磯崎! 俺に掴まれ! そいつは悪魔だ! 離れろ!」
猛が可憐に手を差し出す。彼の容姿は光と出会った時のような白い翼が生えていた。
「可憐! 騙されちゃ駄目!」
優美が可憐を両手で抱きしめる。しかし、その抱擁は可憐の動きを封じる為だった。
「お願い、可憐……。ミカエルの、猛君の手を取るんだ」
ベッドの下にはあの時のように頭から血を流した光がいた。彼の右手には可憐が夢で見たガブリエルと同じ剣を持っていた。
「クズは黙って消えろ!」
光の腹部に吹雪は蹴りをいれた。再び口から血を吐き出し、ベッドの足に背中を強打する光。
「南風君! それはやりすぎよ!」
可憐の怒鳴り声を笑って聞き流す吹雪。
「コイツにはこれくらい躾ねぇとまたお前に付きまとうぞ」
更に光の腹部を踏む吹雪。光を守る為に猛が持っていた剣を吹雪に向かって振りかぶった。しかし、吹雪の口元には笑みがこぼれていた。
「いつも剣術が甘いぞ! ミカエル!」
吹雪はそれを片手で受け止め、猛の剣を二つに折った。余裕の笑みを浮かべる吹雪。
「俺の剣が……!」
折れた剣の先端が光の傍に落ちた。
「さぁ! サタン様! 早くご契約を!」
吹雪が優美に向かって叫ぶ。吹雪の言葉に光と猛の目が見開いた。
「嘘だろ……。サタンがもう転生したと言うのか!」
猛が折れた剣を投げ捨て、可憐の所へ向かった。しかし、優美が魔力を猛に向かって放ち、妨げる。
「あたしは、十地獄第一地獄〝いと高き者どもの地獄〟地獄長のサタンだ! あたしは磯崎可憐と契約し、天界を滅ぼす!」
優美はそのまま立ち上がり可憐の首もとに蛇を巻かせる。蛇は可憐の皮膚の味を吟味するように巻き付いた。
「可憐に触るな!」
光が大声をあげたが、吹雪が彼を踏み倒す。光の口からは三度目の大量の血が吐かれた。
「別に今この子を殺してもいいのよっ。でも、こんなに美味しそうな人間、滅多にいないわ。魔力は勿論、肉体も精神も全て欲しいの」
可憐の首に巻き付いている蛇が彼の首を締め付ける。苦しい表情を見せる可憐。
「ゆ……み……」
微かな声で親友の名を呼ぶ可憐。しかし、優美は彼女の言葉に耳を傾けず、猛に挑戦的な笑みを送っていた。
「お前は悪魔に転生する程の魔力を持っていなかった。何故転生出来たんだ!」
猛が指先に魔力を込める。優美もそれに対応するように同じ量の魔力を指先に表した。
「今から消えるあなたに言っても無駄でしょ? でもいいわ。取り引きしましょう。あなたたちの命と可憐の命。あなたたち二人が今ここで死ぬと言うならあたしは、可憐に手を出さない」
可憐の頬を撫でる優美。冷たい彼女の指先は可憐の体温を奪うように頬から首へ移動された。
「悪魔と約束しろと言うのか? 冗談じゃねぇ」
倒れている光の右手から剣を抜き取り、自分の魔力を込める猛。剣からは鮮やかな紫色の炎が放出されていた。
「サタンとなったあたしと戦うというの? 知っているでしょ。悪魔の強さは下の階級から上の階級に行くたびに二乗されるって」
優美と可憐の前に吹雪が立ちはだかった。
「サタン様の前にオレを倒しな。裁きの大天使ミカエルさんよ」
吹雪の翼がバサバサと音をたてる。彼の翼からは微かに死体の臭いがした。
「うっ……」
今は可憐を巻き付けている蛇の締め付けは緩くなっているが、吹雪の翼から臭う死体の臭いは可憐に吐き気を覚えさせた。
「と言うか、先にガブリエルを心配しなくていいのか? 地上で使える魔力を使い果たしたから、もう魔力で回復する事は不可能だぜ?」
猛は足元にいる光の状態を伺った。意識を保つ事がやっとの光はもう虫の息だった。
「ペテン師! 起きなさいよ! あなた自称天使なんでしょ!」
可憐の言葉に光は目を開いた。そして、口内に残っている血を吐き出しながら微かな声量で呟いた。
「可憐に……触れるな」
光がやっとの事で呟いた言葉。それを聞いて優美と吹雪は笑っていた。
「ここまでやられてまだそんな口叩けるのか!」
吹雪が魔力を光に放とうと魔力を手に集中させた時、彼の背後から恐ろしい程の量の魔力を感じた。
「もう、やめて……」
可憐の首にいた蛇が慌てて主の首に戻る。可憐の胸周辺からエメラルドグリーンの光線が放たれる。
「おい、まさか契約無しで転生とか反則だぜ!」
翼を使い可憐から離れる吹雪と優美。あまりにも眩しい光線に猛も動けなかった。
「やめて!」
可憐が二言目に放った言葉と同時に彼女の持っている光線が、先ほどよりも数倍の明るさで放たれた。
「くっ……!」
吹雪と優美は光線に紛れ姿を消した。猛と光は目を閉じた。
数秒後、光りはおさまり、可憐はそのまま倒れこむように気絶した。
「磯崎!」
猛が慌てて可憐の様子を確認した。彼女からは寝息が聞こえた。
「生きている……」
安全を確認した猛は可憐をベッドに寝せ、光を抱きかかえようと彼の方に視線を移した。しかし、光は既に立ち上がっていた。
「驚いたよ。ぼくも一瞬契約無しで、転生したのかと思ったくらいさ」
「ガブリエル、お前大丈夫なのか!?」
猛の見た所、服は多少破けていたが、光の身体には怪我は無かった。彼の翼が力なく音をたてる。
「彼女が放った光線のおかげでね。まだ痛みは多少あるけど人間としては問題ないよ」
微笑で応える光。その後落ちていた猛の折れた剣を拾いあげた。
「でも魔力は使えない。一度天界へ帰らなきゃ、ぼくはただの翼が生えた人間だよ」
指先に魔力を込める光。だが、それは数秒も持たずに消えた。
「ミカエルも一度帰らなきゃいけないでしょ? 鍛冶屋に頼んでこの剣を修理してもらわなきゃ」
折れた剣を渡す光。猛は持っていた剣を持ち主に返した。
「磯崎はどうするんだ? サタンが転生した今磯崎を一人にしたら、確実に契約を求め、南風たちが再び磯崎の前に現れるぞ」
横目で可憐を見る猛。光は可憐に近づき頭を優しく撫でた。
「可憐を天界に連れて行く。これなら確実でしょ?」
笑う光に猛は魔力を指先に集中させ、固形化させた物体を光の喉元に向けた。先端が鋭くなっているため、光に恐怖心を与える。
「人間を天界に連れて行くのは違反だ」
「ミカエルも見たでしょ? 彼女が持つ魔力を。人間なのに自分で魔力を作る、しかもあれほどの強い光線を放った。どう見たって癒しの大天使ラファエルの後継者だよ」
光の言った事実に猛は反論出来なかったので、沈黙で返した。すると、光は可憐の髪を首もとから退け、蛇が彼女の首を締めた痕を猛に見せた。ただ蛇が首を締めた痕ではなく、そこには、悪魔の魔力によって、腐敗した血のような色をした痕があった。
「悪魔の魔力にやられて、魔力が可憐の身体に染みている。これは、天界じゃなきゃ治せないよ。他にも悪魔に汚された部分があるかもしれないしね。それに、物的証拠があるからこれは例外じゃないかな?」
首を傾げる光。猛は可憐の首もとを見た後、魔力で作った武器を元の光りに戻し、腕を下ろした。
「分かった。磯崎可憐を例外として認める。ただし、条件がある」
猛の背後から更に四枚の翼が生えた。神々しい姿は一色猛という面影を微かに残していただけで、一目見たら別人のようだった。
「俺の剣が修理完了する時までに、必ず契約しろ。出来なければお前を違反者として裁く」
猛が眠っている可憐を両手でそっと抱き上げる。可憐が目覚める事は無かった。
「また、お前が違反者となったと同時に、磯崎には強制的に人間の記憶を消去し、天界で拘束する。もちろん、この事を磯崎本人にお前の口で言うことも違反者扱いとする」
「待て! 裁かれるのはぼくだけでいいだろ!」
無表情な猛に怒りを表す光。
「ガブリエルが裁かれたら、磯崎と契約出来る天使がいなくなる。必然的に地上に戻ったら悪魔たちに狙われる。それならガブリエルが転生するまで磯崎を安全な天界に閉じ込めておくのが的確な判断だろう」
光を無視し猛は魔力を放ち、可憐の部屋を綺麗に元に戻した。割れた窓ガラスが時間が巻き戻るように戻っていった。
「勘違いするな。これは裁きではない。サタンがあの魔力を吸収するのを防ぐ手段だ」
窓を開け、出発の準備をする猛。光は不満げに唇を尖らせながら猛の後を追った。
「ぼくは必ず可憐を守る」
光の言葉は誰にも聞こえなかった。
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