第20話 躊躇

 葵は、ベッドに腰掛けた俺の事をまっすぐと見据えたまま、口を真一文字に結んでいた。それに引き換え、俺の顔はさっきよりも青ざめているのだろう。


 突如として葵はアバターを解除し、オタク姿から少女へと変わる。


「あっちの姿じゃふざけてる様に見えるからね。こっちで話すよ。それで……何があったの?」

「…………説明すると長くなるかもしれない。座ってくれ」


 俺がそう促すと、葵は俺の左にぽすん、と座る。心配げな視線を感じつつ、俺は心境を語り始めた。


「さっき、震度がどうたらって話をしただろ?あれは俺の居た時代じゃ常識だったんだ。地震、地面が震えるって書いてそう読むんだが、三人とも知らない様子だったのが気にかかった俺は自室ここに戻ってからなぜみんな地震を知らないのか聞いた」


 そこで一旦言葉を切るが、葵は何も言わずにただただ俺を見つめているようだった。俺はそのまま続ける。


「俺が元いた時代、2020年代から何があったのかをバウゼルから聞いた。2040年に第三次世界大戦が発生し、その10年後には総人口が一億を切る事を聞いた。元いた時代は平和だった。そりゃ何事もなく全員が幸福かと言われれば否定するけど、少なくとも戦争なんて無かったし、これから起こるとも思わなかったんだ」


 自然と視線が落ちてゆき、祈るように組んだ両手を見つめながら続ける。


「それを聞いて……死ぬのが怖くなった。今まではそんなこと無かったんだ。人は必ず死ぬってことはちゃんと理解してた。けどそれはずっと先の事で、老衰とかで痛みなく死ねるかもしれないとも思ってたんだ。だけど違った」


 70億居た人類が、1億未満にまで減った。戦火か、それに伴う被曝か。ともかく、安らかに死んだとは思えない。


「この時代に来て、老衰で死ぬことは殆ど無いだろうと実感した。そして、仮想現実で死を体験した。想像を絶する痛みだった」


 モバイルウォーオンライン。フルダイブ型のFPSてあるこのゲームは、設定次第で死んだ時の痛みをそのまま体験できる。


 俺は二度、あの世界で死んだ。それも、死んだ時の痛みそのままの状態で。


 葵からの攻撃で爆死した時と、フチカの誘導弾で死んだ時。両方とも思い出したくない。この二回の後、すぐに設定を変えて死んだ時だけ痛みのフィードバックをオフにする様にした程に。


「だから、過去に帰るのは諦めた方がいいんじゃないか、このままこの時代で楽しく生きていた方が良いんじゃないかって思うようになったんだ」


 この時代には俺が夢にまで見たフルダイブ型のゲームがある。それ以外にも、元の時代より数段進んだ技術だ。不自由はしないだろう。


 言葉を切り、考え込む俺に葵は質問を投げかけてきた。


「話を聞く限り……過去に帰らないんだよね?なら、これ貰っても良いってことだよね?」


 いつの間にか俺のそばに置いていたスマホは葵の右手に収まっており、彼女はそれをヒラヒラと見せびらかす。


「それは……」


 一昨日、この時代に来たばかりの時は速攻で断った。元の時代に戻った際に困るから、と。帰る気持ちでいっぱいだった。だが、今はどう答えようか悩み、言葉を喉元で詰まらせる。


 そんな俺を見かねてか、葵はため息を一つ吐くと持っていたスマホを俺の胸へと突き返す。


「あのね、そこで肯定しないってことはまだ元の時代に未練があるってことだよ。そんな状態でこの時代にずっと居ていいの?後悔しない?」

「…………」


 黙りこくる俺に、葵は二の句を継ぐ。


「本当に未練がないか調べる方法って知ってる?コイン一枚あれば出来る物なんだ。例えば、捨てるか迷ってる物があるとします。そこでコイントスで決めます。裏が出れば捨てる、表なら捨てないことにしましょう」


「これで裏が出て、『じゃあ捨てよう』ってなれば未練なんて無いんだよ。たかがコイン一枚の裏表で決められる程に大事なものじゃないんだから。だけど、裏が出ても『やり直そう』とか『やっぱり捨てられない』って思った物は絶対に捨てちゃダメ。即決出来ない程に思い出とか、思い残しがある物だからね」


「さっきのスマホについての質問、即答しなかったよね?まだ絶対何かしらの心残りがあるはずなんだよ。だから私から言えることは『残るなら後悔はしないこと』それだけだよ」


「それに、まだこの時代に来て数日だよ?海外旅行に来てるようなものだよ。その時点で移住を決めるなんて、後々『やっぱり日本にいればよかった』って後悔するのが目に見えてるよ」


「良いところしか見えてないってことか?」


「そう。絶対に後悔するって言える。この時代がそれほど良くないって分かった時もそうだけど、ふとした瞬間に元の時代じゃないと出来ないことをしたくなる。友達や家族とかに会いたいとか、好きだったあの味が食べたいとかね」


 葵はそこまで言って一息吐き、真剣な表情で改めて問いただしてきた。


「もう一度訊くよ。元の時代でやり残したことは無いの?この時代から帰りたくなったきっかけは諦めていいの?」


 この時代から帰ろうと決意したきっかけ――。


 そんなもの決まっている。母さんの元へ戻る為だ。この時代で暮らすなんて、母さんを見殺しにするようなものだ。


 もちろんこの時代では既に亡くなっていることは分かっている。だからといってそのまま何もしないなんて俺の心が耐えられない。


 それに、病気で苦しんでいる母さんを放っておいて俺だけこの時代でなんとなく、働きもしないで遊んで暮らす?


 それこそあのクソ親父と一緒じゃねぇか。数年前俺と母さんを置いて出ていったアイツと同類になんてなりたくない。それこそ、ゴメンだね。


 そういえば、まだアイツhikariにも勝ってない。やられっぱなしは癪だ。元の時代に戻るとしたら優勝してからだ。『未来でチャンピオンになったんだぜ』と言いながらアイツと一戦カマしたい。


それに、あの時代での経験がこっちで生きているのなら、逆も言えるはずだ。こっちでチャンピオンになるまで必死こいて頑張れば、元の時代の大会でも優勝出来るはず。


それで稼ぎに稼ぎまくって、核シェルターでも建てりゃ生き残れる確率はぐんと上がる。なにせ30年もあるんだ。それくらいの準備は出来るはずだ。


 なんだ、心残りはあるし、死んでもやりたいこともあるんだ。なら、さっきの答えは撤回しないとな。


 俺が腹を決めたのを分かったのか、葵は再び先程の質問を投げかける。


「で、さっきの質問に戻るけど。スマホ、貰ってもいい?」


 俺は立ち上がり、彼女の方へ向き直って答えを告げる。


「ダメだな。俺はコイツでチャンピオンになってやる。そんでクソ親父をはっ倒して引きずってでも母さんの元に連れ戻す。アイツの土下座姿を見るまでは止まれない。それに、向こうの時代で勝てなかった奴にリベンジもしたいしな」

「そっか。貰えないのは残念だけど、応援してるよ」


 穏やかな顔をして、葵も釣られて立ち上がる。その言葉とは裏腹に彼女の口調には残念だ、という気持ちは一切なかった。


「そうだ、俺が元の時代に戻る時、葵も来るか?今の時代じゃ見れない物がたくさん見れるぜ。それこそスマホなんてよりどりみどりだ」


 その突拍子もない提案を受けて、葵はくすくすと笑って返す。


「戻れなくなっちゃうじゃん。遠慮しておくよ」

「俺がこっちに来れたように、この時代に戻る手段は必ずある。あの親父をブン殴ってでも行き来できる様にしてみせるさ」

「ふふ、期待…してますぞ」


 いつの間にかオタク姿に戻っていた葵は一言だけ答えるとワープでその場を後にした。


「さてと、やる気チャージできたことだしランクマ潜ってポイント稼がねーとな!」


 旅行に来て、見慣れないホテルのベッドにダイブする子供の様に俺はベッドへとその身を投げ出し、仮想現実へとその意識を沈めていった。

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