第2話 ニ依奈

 再び歩き始めたものの、会話はなし。僕も何を言っていいのか分からない。

まだ無言が心地いいと思える関係ではないのが悲しい。隣にいれて嬉しいという気持ちはあるんだけどさ。

そんな事を考えている内に、家の前に着いてしまった。

「じゃあ、早速兄妹達に話すから。今日はさよなら。またね」

「えっ、あぁはい。また」

それだけ言うと、すぐに家の中へ入って行った一子さん。

結局一子さんの事は、彼女と言って良いのだろうか。まだダメなんだろうか。

分からない、けど照れてはいたし。

喜んでてもいいかな。ちょっとだけ。

ガチャっ。僕の家の扉が開いた。

「あら、玲。おかえり。ちょっと牛乳買ってくるわね。明日の朝の分がなくなりそうで」

トートバッグを肩から下げた母さんが家の中から出てきた。

「母さん。僕一子さんと付き合えるかもしれない」

「は?」

「一子さんと」

「一子ちゃんとって……大丈夫なの?」

「大丈夫だよ? なんか他の兄妹とも付き合えって言われたけど」

「それ本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。何とかやるよ」

「……なら良いけど、無理させちゃダメよ」

「分かってるよ」

母さんは心配性だな。そりゃ僕じゃちょっと頼りないかもしれないし、世間から見れば一子さんは相当な不思議ちゃんだけど。

僕だって男だからね。彼女守れるくらいには強くなりますよ。体力的にも、精神的にも。

「あぁそうだ、ちょうど新聞屋さんからもらったのよ。ディスニーランドのペアチケット。もし本当に付き合うなら、二人で行ってくれば」

「えっ、ほんとに」

「うん。机の上にあるから、見ておきなさい」

「分かった」

買い物に行った母さんを見送り、急いで家の中に入る。

ディスニーランドと言えば、大人でも子供でも楽しめる有名な遊園地だ。そんな場所のチケットが家の中にあるなんて言われてしまっては、浮かれない訳がない。

リビングの机の上、確かに新聞と一緒にチケットが置かれていた。

しかもよくよく見てみると、日付指定がない。期限内であればいつでも行ける、何なら明日にでも行けるような代物。

そして今年のバレンタインは日曜日だ。ポジティブに考えればバレンタインにデートする事も可能なんじゃなかろうか!

よし、それまでに何としてでも正式な恋人になろう。

そのために兄妹達とも仲良く……出来ればいいんだけどなぁ。

正直普通の兄妹じゃないというか、本当は兄妹ですらないんだ。

「彼女にとって」ってだけ。ややこしいにも程がある。

とはいえ僕も一応彼らの事は小さい頃から知っている。全員と仲が悪いという訳ではないし、むしろ良好、という人もいる。

一子さんが何故あんな頼みをしたのか。理由は分かってる。けど、それを大っぴらにするものでもないのも分かる。

複雑な課題だが、彼女のためだ。地道に頑張っていくとしよう。



 時計は午後九時を示していた。突如スマートフォンが音を鳴らし、画面には赤と緑色の電話マーク。それから、一子さんの名前が表示された。

ベッドに腰を掛け、緑色のボタンを押した。

『やっほー』

耳元から聞こえた、女の子の声。

「えっと……ニ依奈?」

『よく分かったね。一子の名前だったっしょ』

「やっほー、なんて挨拶するのニ依奈だけだよ」

『そ? まぁ分かったんなら褒めてあげよう』

褒められる事なんだろうか。

「それで、何かご用ですか」

『……あのさ、その……やっぱ会って話すわ! 明日の夜八時半、家の前でね!』

「え」

『予定あんの?』

「いや無いけど」

『んじゃ決まり。おやすみっ』

一方的に決められ、一方的に切られてしまった。

まぁ悪い奴じゃない。むしろ面倒見のいい、姉御肌ってやつだ。というよりギャルっぽい。

そういや、一子さんの言った通りにすると、ニ依奈とも付き合うって事だよな。いままで同い年の友達として接してきたから、何だか変な感じ。

もしや話すってのも、それ関係だろうか。ニ依奈からしたら勝手に決められた話だしな。

喧嘩っ早い所もあるし、怒られたらどうしよう……。


翌日、家を出る前に外灯のスイッチを押した。カチっという音と共に、暗かった外が少しだけ明るくなった事を玄関の扉越しに確認する。

言われた通り、夜八時半、家の前。

ニ依奈に怒られる覚悟を持ち、青色のダウンジャケットを羽織って外に出た。

空はもう真っ暗で、外灯の光だけが僕の顔を照らす。

僕は隣の家の玄関に目を向ける。まだニ依奈の姿はない。

そう言えば家の前とは言われたけど、僕の家と彼女の家。どちらを指したんだろう。

まぁいいか、似たような距離だ。

「やっほー」

彼女達の家とは反対方向から声が聞こえた。目を凝らして見ると、目の前の道を歩いてきたサイドテールヘアーの女の子がいた。

もう夜だと言うのに、まだ学校指定のスクールバックを持っていた上、制服姿。水色のマフラーを巻いているが、足元が寒そう。スカート短すぎませんか? なんて言ったら怒られるだろうか。

光の内側に入った彼女は、メイクのせいか目の上がやたらとキラキラして見えた。

「二依奈。バイト帰り? お疲れ」

「そ。と言っても今日で終わりだったんだけどね。また……やらかしちゃってさぁ」

「あれ、今回長いと思ってたのに」

「仕事自体は嫌いじゃなかったんだけどねー、ちょっとねー」

何があったのかを詳しく言わない辺り、聞かない方がいいやつ。

「ま、探せばきっと見つかるよ。ニ依奈の居場所」

「だよねぇ。はいこれ。あげる。まだ買ったばっかだから」

スクールカバンの中から取り出した、缶に入ったココアを僕の左頬に当ててきた。

「あっつぁ!」

「ははは、びっくりし過ぎィ」

「そんなん急にやられたらびっくりしますって」

笑いながらココアを渡してきたニ依奈。僕は右手でココアを受け取り、左手で頬を撫でた。持てる熱さではあるけど、やっぱり熱いよ。

こうやってちょいちょいお菓子や飲み物をくれたりする、優しい人ではあるんだ。

兄妹の事をちゃんと考えているし。ギャルメイクするわりに髪は染めようとしなかったり、真面目な所もある。

ただ僕の事をからかって遊ぶのは止めて頂きたい。

「ごめんごめん。好きでしょ、ココア。これで機嫌なおしてね」

「あー……うん」

「何、その態度は。貰ったものにケチつける気?」

「いや、その、それより。聞いてます?」

「アンタと付き合えっての?」

「そう、それ」

「聞いたわよ。だから呼び出したの」

「やっぱりか」

ニ依奈はスクールカバンの中から棒付きのチョコレートを取り出した。

あれ、それって……。

「何、そんなもの欲しそうな顔して」

僕の視線に気づいたニ依奈。棒を小さく振り回した。

「それ一子さんの」

「うん。貰ったの。バレンタイン当日、会えないと困るから各自早めに持ってってーって机の上に置かれてた」

「一子さんらしいなぁ」

「羨ましい?」

「うん」

「……ねぇ、あの子のどこが良いの?」

「あの子?」

「いーちーこ。何で好きになったのよ」

「そんな事で? って言われそうだから教えない」

「言いなさいよ」

「嫌です」

「じゃあ、あたしもアンタと付き合わない」

「それは困るなぁ」

「自分勝手な事言うなし!」

脚を蹴らないでほしい。

「それより、ニ依奈は良いのか。僕と付き合うの」

「別に……アンタの事嫌いだとは言ってないじゃない。ホントに嫌いだったら今までのバレンタインチョコだって届けたりしないし」

少し照れが入ったのか、マフラーで口元を隠したニ依奈。

そんな事されると僕も照れるじゃないか。

「……僕、ニ依奈も好きだよ」

「……一子が一番のくせに」

「それは譲れないからなぁ」

「図々しい」

「でもまぁ、そういう事なので。よろしくお願いします」

「ふん。なるからにはあたしの事も大事にしなさいよね。何番目だろうと構わないから。そんでもって周りの人から、この浮気者、って思われれば良いんだ」

「僕はずっと一途ですよ」

「他の人から見たらそんな事ないわよ。まぁ、可哀そうだから……付き合ってはあげる。あと友達とかには、アンタが付き合ってるのは、一子とだけって言ってあげてもいい」

「ニ依奈優しい」

「別にアンタのためじゃないから」

ツンデレのテンプレートみたいな事言いながら、棒付きチョコのビニールを剥がすニ依奈。

僕はその仕草の一つ一つを目で追ってしまう。自分が貰ったものではないとは言え、目の前で好きな人のチョコ食われそうになりゃ、そらそうなるでしょ。

「見るなし」

「ごめんて」

「一口欲しい?」

「いや悪いし」

「いーよ別に。一応あたしだって彼女なんでしょ。恋人からの贈り物は、素直に受け取っときなさい」

棒部分を持ったニ依奈は、チョコ部分を僕の口元にグイっと差し出してきた。

どうしても欲しいものを目の前に出され、断れるほど僕は強くない。

本当に一口だけ。僕はチョコレートを齧った。パキッ、っと聞こえた小さな音。

ミルクチョコレートの甘さが、僕の口の中を支配する。

「おいし?」

「……うん」

僕の回答に、嬉しそうな顔をするニ依奈。

メイクはしてるものの、ニ依奈は一子さんと同じ顔というのもあって。うっかりトキめいてしまう。

「ふふ、これが本当に一子が買ったチョコだったら良かったのにねぇ」

「いや、買ったやつだろこれ」

「んーん。確かに一子からもらったけど、それはあたしが食べた。今玲が食べたチョコは、あたしが買ってきた別物です」

「なっ!」

だから嬉しそうにしてたのか! またからかいおって、トキめき返せ!

齧りかけのチョコレートを片手に、わざと泣くポーズをとったニ依奈。

「可哀そうなあたしのハート、ボロボロだぁ」

「くれておいてそんな言い方するなよ」

「はは、冗談。っていうかさ、いいじゃん。一子からはさ、バレンタイン当日に貰えば」

「そうだけど、本当に貰えるか分かんないじゃん」

「大丈夫だって。何だかんだ、一子もアンタの事嫌いじゃないし」

「そう? だったら、それは、うれしい、ねぇ」

「あぁもう、ニヤニヤしないでよね。マジうざい!」

ニヤニヤしてただろうか。してたかもしれない。

ニ依奈は僕の左手に無理やり棒付きチョコレートを押し付けてきた。右手にココア、左手にチョコ。相当な甘党食いしん坊に見えてしまいそうだな。甘党ではあるけど。

「何、全部くれんの?」

「アンタの変な顔見てたら食欲失せた」

「そこまで酷い顔してないだろ」

「してるよ。だっらしない顔。だからさ……遠慮なんてしないで、食べちゃってよ。バレンタイン用でもない、何でもないチョコっしょ」

どことなく悲し気な表情なのもワザとなんだろうか。

「くれるなら喜んで貰うけど」

「玲」

「な、に」

突然、僕の胸の中に顔を埋めてきたニ依奈。

寒い外で感じた僅かな温もり。

何だどうした、僕はどうすればいい。とりあえずココアとチョコは手放さないように気を付ける。

「ありがと」

小声でお礼を言ってきた。

「んなチョコ貰っただけで大袈裟な」

僕がどうにかする前に離れたニ依奈。

「そうでもないよ。あ、明日三葉が家来いって。夕方ぐらいには来れるでしょ?」

何事もなかったかのように、いつも通り笑っている。

そんな顔をされてしまったら、僕だっていつも通りにするしかないじゃないか。

「……三葉さん?」

「うん。アンタ三葉とも付き合う事になるじゃん。話したいんでしょ」

「まぁそうだろうなぁ」

「何なら今呼ぼうか?」

「いや、今からだともう遅くなるだろうし。明日会いに行くって言っといて」

「そう? なら良いけど。じゃ、寒いし帰る」

「そうだな、温かくして寝ろよ。風邪引かないように」

「……アンタのその心配は、一子のため?」

「何言ってんだ。ニ依奈も大事だよ」

「……ばぁか」

僕の本音を聞いた彼女が、嬉しそうな顔をしていたのはきっと見間違いじゃないと思うんだ。

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