第4話 虹
「えーっ?! じゃあ、これから数日おきに、ルビー組、トパーズ組、エメラルド組をまわって研修なんですね?」
セシルはつい大きな声を出してしまった。この間まで軍事訓練で、銃撃戦や格闘技を特訓していた自分が、今日は歌を歌う…。しかも、本格的な森の劇場の大舞台でやると言うのだ。でも故郷の星にやっと戻れたからには、ここのやり方に従うしかない。仕方ない…セシルはポーカーフェイスを決めて、みんなと一緒に修道院の隣にある劇団の寮から、森の劇場へと歩き出した。劇場には、現在のルビー組の花形スターを始め、たくさんの先輩たちも集まってきていた。
新入生たちは、それぞれの組の先輩たちと一緒に最初客席の最前列に座って話を聞く。
帝国帰りの鉄の女と、早くも噂されているセシルはなんとなく孤立し、気がつくとやはり孤立していたあのなんとなく不思議な子、サチホの隣に座っていた。目つきの鋭いセシルと、おとなしくてどこか変わったサチホは特に何を話すでもなく舞台を見ていた。
まず、最初に舞台に折りたたみ式の木製の台が組まれ、その上に頑丈そうな小さな木箱が運ばれてきた。すると院長先生が出てきて、鍵で木箱を開けながら話し始めた。
「この箱は歌の心の箱と呼ばれています。中には遺跡から発掘された小さな石板が入っていて、今は宇宙に旅立った先住民たちの歌詞や楽譜が書かれています」
そう言って、院長先生は石板をみんなに見せた。なんでも硬度の高い石の表面に機械で彫ったもので、この記録方式だと二十万年以上の保存ができるのだと言う。
「彼らは歌を生活のよりどころとしていたようです。そしてこの石板の曲を元に、歌劇団の最初の曲が作られました。母なる星トレドという曲です。今でもよく歌われています。この箱には、数千年に渡るこの星の歌や、歌劇団設立の精神が込められています。なにか大きなイベントや今日のように新入生の初めての練習がある日などに、この箱を舞台に持ってきて、心を新たにするものです。皆さんもこの木箱を見るたびに、心をこめて歌ってください。歌は私たちに大きな力を与えてくれるでしょう」
院長先生は石板を木箱に戻すと鍵をかけて、ほほ笑みながら部隊を降りて行った。
次に、ルビー組のリーダーにしてナンバーワン女優のアンナ・フィッシャーが進み出た。
(…わあ、やっぱりすごくきれい…さすが、アンナさまだわ…)
(衣装も見事だわ。あれが本公演の時の衣装なのかしら…)
思わず客席のあちこちからため息やつぶやきが聞こえてくる。そしてアンナから、ルビー組に関わる重要なメンバーの紹介があった。まずは劇場の責任者で有名な演出家、プロデューサーでもある、パエゾ・パバロッティ氏だ。こだわりのありそうな、でもなんとも愉快そうなおじさんだ。しかし、この歌劇団の全体を仕切るえらい人なのだ。
また、パエゾは、連邦随一のワインの研究家としても有名だそうだ。そして、若手の有名な指揮者であるチャールズ・デイビスが舞台に姿を現すと、周囲の若い女性たちから歓声が起こった。少し気難しい感じもするが、才能あふれるなかなかのハンサムだ。彼と一緒に、劇団のオーケストラのメンバーも入場し、オーケストラボックスへと並んだ。合唱の指導や音楽関係はすべてチャールズ・デイビスがやるそうだ。
最後にアンナは続けた。もう一人大事な人を紹介するのだが、とても恥ずかしがりやで気が小さいので、気をつけてほしいというのだ。
「…では紹介します。人類をはるかにしのぐ高レベルの絶対音感を持つ、森のクラリネット演奏家、異星人館より、今年もルビー組にきてくれました、ウッドノーズ人のクラリネアさんです」
客席から拍手が起こった。どうも先輩たちはクラリネアが大好きなようだった。でも異星人館から来たと聞いて、セシルはどう対応したら良いのか分からなかった。
だが、本当に恥ずかしがり屋なのか、あんな紹介があってからも、なかなか姿を見せない。セシルははらはらしてきた。
「わあー…」
客席がどよめく。やがて舞台の上手から出てきたのは、アンナと同じ長いスカートの舞台衣装を着た、明らかに人間とは違う…女性のようだった。
身長は180cmぐらいか、かなり大きい。かわいらしい丸い小さな目の下に伸び縮みするバクのような長い鼻が揺れている。それはセシルの感性にはとても受け入れがたいものだった。本当は大きな声で叫びたい気持だった。でもその時、隣に座っていたサチホが聞いてもいないのにしゃべりだしたのだった。
「すごい、本物は思っていたよりずーっとチャーミングだわ。お目目がとっても優しそう!」
なんだろう、このサチホって子は? セシルはそっとつぶやいた。
「…あなた、詳しいのね」
別に知りたくて尋ねたわけでもなかったのだが、それが引き金になってしまった。
「そうか、あなた帝国帰りだったわね。明らかにしゃべる能力を持つ高等な野生人類を、この星では異星人類って呼んで大切にしているの。今登録されている異星人類は35種類、この星では哺乳類から軟体動物、昆虫類までいろいろな生物がしゃべるのよ」
知りたくもない知識がどんどん流れだす。セシルは困ってしまった。
「…そう、そうなの…。そういえば、私、大きな芋虫みたいなのを見たかも…」
するとサチホの瞳が輝いた…ま、まずい。
「ええ! 凄い、きっとこの星最強の種族と呼ばれる昆虫人類クプラスの幼虫ね…。大人はちょっとこわいけど、幼虫はなかなかキュートだったでしょ?」
「キュート? そう、そうかもね」
セシルは生返事で答えて、もう一度ウッドノーズ人のクラリネアをまじまじと見つめた。花飾りのついた小さな帽子をかぶり、かわいい日傘を持っている。とくに日傘がお気に入りのようだ。
「樹上の演奏家って呼ばれていて、見通しの悪い森の中で音で上手にコミュニケーションをとるのよ。地球で言うとオランウータンに近い仲間ね。でもずっと知能が高く、長い鼻は食べごろのフルーツを確実にかぎ分け、両腕は凄い怪力で、あの重たい体で軽々と木に登るのよ」
その時、舞台の上のハンサム指揮者、チャールズ・デイビスがクラリネアに何かを頼んだ。
「クラリネアです。よろしくね。はい、じゃあ、さっそくいきましょう」
…やさしい声だった。確かにしゃべった。クラリネアはニコニコして前に進み出ると、その長い鼻をちょっと伸ばして息を吸い、上手に鼻を鳴らした。
「おー!」
静まり返った観客から思わずため息が漏れる。やさしいクラリネットかオーボエのような木管楽器の響きが場内に響き渡った。
するとそれに合わせてオーケストラが音合わせを始めた。そう、人間をはるかにしのぐ絶対音感を持つクラリネアは、オーケストラの音合わせに理想的なのだ。
そしてあれよあれよと見る間に、豪華絢爛なミュージカルの一場面が舞台の上で始まった。『リリスとゼビオ』という妖精の王女の純愛ものだった。
才気あふれるチャールズ・デイビスの指揮が全体を突き動かし、雄大なオーケストラの響き、歌姫たちの透き通る歌声が響く。歌姫アンナ・フィッシャーが演じる妖精の王女リリスの可憐な演技に続き、男役の花形スター、男装の麗人クラウディア・ローレンスが天空戦士ゼビオの扮装で出てくると、もう、すごい盛り上がりだ。クラウディアはセシルよりもさらに長身で、その堀の深い顔立ち、背筋の通ったダイナミックな立ち居振る舞いは、突然観客席をクライマックスに盛り上げた。セシルもサチホも思いがけない素晴らしいものを見たように瞳を輝かせた。すると、あの愉快そうなおじさん、パエゾ・パバロッティが進み出た。
「さあ、今年の新入生の諸君、今度は君たちの番だ。上級生とともに舞台に来なさい!」
セシルたち新入生は練習用のマルチグラスと楽譜データカードをもらって舞台へと上がって行った。メガネのようなマルチグラスをかけると、データカードの操作で、パート別の見たい部分の楽譜や、指揮者の注意を自分の思いのままに見ることができるのだ。譜面台もいらないし、両手もフリーで、指揮者を見ている画面でそのまま楽譜を読むこともできる。初心者用には、楽譜の音階を電子音でならすモードもついているほか、合唱団の歌っている音も一人一人解析されて、指揮者に伝わるようになっている。だから、きちんと歌っていないと、すぐに指揮者に分かってしまうので、気を抜くことはできない。
チャールズ・デイビスの指揮棒に合わせて、まずクラリネアの美しい木管の響きが主旋律を奏でる、それに、バイオリンやチェロ等の弦楽器が加わり、さらに木管、金管が加わり、そして、アンナが、クラウディアが、全体がカナリヤ歌劇団のテーマ曲とでも言うべき、あの石板の曲から作られた「母なる星トレド」を歌い出す。
おお、トレド、宇宙の泉、心のオアシス
深き森よ、青き山脈よ、谷川の調べよ
潤せ、乾いた命を
海風よ、寄せる波よ、白い雲よ
運べよ、惑星の息吹を
すべてはすべてを生かし合い
一つの大きな歌になる
一つの大きな歌が響く
おお、トレド、宇宙の泉、心のオアシスよ
母なる星、トレドよ。
あの歌の得意な新入生のアデルや、双子のアイリーンやメリルは、当然とという風に素晴らしい声ですでにハモリながら歌い出す。まったく初心者のセシルもサチホもなんとかマルチグラスのおかげでついていくことができた。
「ブラボー、素晴らしい」
指揮者のチャールズ。デイビスは新入生たちに拍手を送った。
「だが一つ、気になることがある…」
チャールズ・デイビスは突然、指揮台から一人の少女を指差した。
「…そう、君だ…君の歌は空っぽだ。何か別のことを考えて歌っているね?」
「エ? わたし、私ですか?」
なんとそれはセシルだった。みんなの視線がセシルに集まった。見事言い当てられたセシルは一歩前に進み出た。
「君とはこれから、長い付き合いになる。なにか納得できないことがあるなら、今のうちに言っておくがいい」
セシルはチャールズ・デイビスにそう言われると、本当に本音をしゃべりだしたのだ。
「はい…こんな歌を歌っていて、超能力に何か役立つのかって…」
本音を言ってしまったセシル…どうなってしまうのだろう。新入生たちはみんな動揺した。だがルビー組のリーダーでもあるアンナ・フィッシャーは優しく笑うと、なんとセシルを舞台の前に出し、こう言ったのだ。
「トパーズ組のセシル・ミルドレッドさん、帝国の超能力部隊から来た攻撃型エスパーね…。あなたの疑問はもっともだわ…。いいでしょう…お見せしましょう…ルビー組の真の意味を…」
「…真の意味…?」
そういうとアンナ・フィッシャーは何人かのルビー組の歌劇団員を呼び、自分もその中に加わった。
「では、これから私たちは歌を歌い出します。曲の終りの方になったら、私が手で合図しますから、私に向けて念動弾を撃ちなさい。本気で撃つのよ」
「え? どういうことですか?」
「試せばわかるわ。その意味が…」
アンナからは敵意も何も感じなかった、ただまっすぐにセシルを見ていた。
「わかりました。では、始めてください」
止める者は誰もいなかった。アンナはみんなに目で合図すると「虹」という短い曲を歌いだした。
一人の力は小さくて
希望の光も消えそうで
でもいまできることがある
それは声を合わせて歌うこと
希望の虹をかけること
「え? …これはどういう?」
「虹」は4つのパートに分かれる合唱曲だったが、歌いだしてすぐに不思議なことが起こった。アンナは低いパートを静かに歌うと赤いオーラに包まれ、ほかのパートはそれぞれに緑、オレンジ、紫のオーラに包まれた。そして曲のハーモニーが重なりあい響き合うとそれがまじりあって大きくなり、さらにいくつもの色が生まれ、アンナたちの周りに、虹のような七色のオーラが輝いたのだ。そしてその瞬間、アンナがセシルに向かって念動弾を撃てと合図したのだ。
「…撃ちます」
セシルは右腕を伸ばして念動弾を指先から放った。本気だった。
「あー!」
だが、アンナたちは歌を歌い続けた。セシルの放った光るオーラは虹色の壁に砕け散った。なんと強力な生体バリア! ふつうは弾き返したり勢いを殺して落としたりするのだが、粉々になったのだ。…! まったく歯が立たなかった! アンナが進み出た。
「…私たち一人一人の超能力は弱い。でも我々の最初の仲間は偶然発見したのです。歌によって、力を強められる、歌によって超能力を一つに合わせることができる、歌によって、希望の虹を見ることができると。おわかりいただけたでしょうか、歌うことの意味を…。ルビー組の真の意味を…」
まったく予想しなかった結果にセシルは驚きを隠せなかった。でも、確かに目の前で超能力が歌によって合わさり、さらに強い別の力になったのを間違いなく見たのだ! 訓練すれば、強力なバリアを作ることだけでなく、異なる超能力を歌の力で組み合わせることさえできるようになるのだと言う。
「よく…よく、わかりました…。歌劇団で歌を歌うことによって、超能力をもっと強くすることができるのだと…」
するとチャールズ・デイビスが優しく言った。
「先ほどの非礼を許してくれ。私の頼みに素直に答えてくれて…ありがとう…セシル君…」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました」
素直にそう答えながら、セシルはいつの間にか頬を赤く染めている自分に気付いていた…? セシルの心の中で何かが起きようとしていた…。
最後はまたクラリネアたちと『母なるトレド』を、オーケストラに合わせて大合唱し、ルビー組の研修は終わった。帝国帰りの鉄の女にも、素直な顔があると分かり、少し周囲の風向きも変わってきたようだった…。
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