06話.[なにも知らない]

「……あれ、ここは……いたっ」


 体は痛いし、場所がよくわからないしで困惑しかなかった。

 でも、すぐにベッドの上に転んでいることがわかって、これまであまり来たことがなかった保健室だとも理解できた。

 ベッドから下りたら色々なところにダメージを受けていることに気づいたけどとりあえず時計を確認。


「えっ、もう15時前じゃん……」


 遅刻も遅刻、大遅刻だ。

 いまから行っても仕方がないからベッドに転んで休んでおくことにした。

 ライフが0になって強制移動、なんて便利な設定はないわけだし、誰かが運んでくれたのだろうと判断する。

 大城先輩か一輝か、でも、まだご飯を食べていたわけだから違う人の可能性がある。

 春海という可能性は……ないだろう。

 冷静になると、というか、少し時間をかければなにをされたのかがわかった。

 いきなり感じた背後からの衝撃、あのときみたいにぶつかったか押してきたんだろうな。


「あ、起きた?」

「すみません、占領してしまって」

「いや、寧ろ安静にしてくれていなければ困るから」

「体のあちこちが痛いです……」

「当たり前だよ」


 あ、よく考えたら初めてじゃないか。

 まあいい、もう授業時間も終わったのでお礼を言って保健室をあとにした。

 ちょっと面倒くさいからHRや掃除なんかはさぼってしまうことにする。

 その間は空き教室の床に寝転んで休憩。

 みんなが部活や帰宅を始めた頃に教室に忍び込んで荷物を~としようとしたんだけど荷物がなかった。

 意地悪をされたのかと思ったけどどうやら違うみたいだ。


「どこ行ったんだ……」

「かーずきくん」

「おわっ」


 安心する、痛い以外にはなにもないようで。

 一輝にまた元気な状態で会えただけで十分だろう。


「帰ろ――わっ!?」

「……大丈夫なのか?」

「いやー……」


 会えただけですっきりしてしまうのもまた問題だね。

 なんか凄く恥ずかしい、寝ていて遅刻したことよりも恥ずかしい。


「それなら運んでやるしかないな」

「違う違う、こんなところで抱きしめられていることの方が問題だよ」


 通行人生徒がいるんだからっ。

 幸い、一輝は大人しく離してくれたから荷物を受け取って帰ることになった。


「あ、先生に言ってきた方がいいのかな?」

「そうだな、担任の先生ぐらいには言っておいた方がいいかもな」

「ちょっと行ってくるよ」


 こちらも特に怒られるようなこともなかった。

 逆に凄く心配されてしまったものの、謝罪及び大丈夫だと何度も重ねてから職員室を退出。


「やっぱり運んでいくわ」

「え、きゃっ!?」


 ……それよりもだ、春海のことを口にしないのはなんか不安になる。

 もしかして殴ってしまったのだろうか、この前から頑張って抑えていたみたいだけど……。


「せ、せめておんぶにしてっ、違う意味で学校に来られなくなっちゃうよっ」

「しょうがねえな……」


 ほっ、これなら昔からよくされてきた普通の形だから恥ずかしくはないぞ。


「これからは絶対にひとりにさせねえ」

「えー、家とかどうするの?」

「優の部屋に住む」

「だめですよー」


 なにも知らない、なんてことはないよね。

 そのことについては触れないようにしているだけなのだろうか。


「それよりちゃんとお昼ご飯は食べたの?」

「いや、残した」

「だめじゃんそれじゃあ」

「優の家で食べるからいい」


 それならお飲み物ぐらいは準備してあげようか。

 今日はすぐに転ばせてもらった、もちろん飲み物を渡してからだけど。


「たた……、まだ痛くてさ」

「当たり前だろ」


 ということはやっぱり、知っているんだろう。

 あ、もしかしてひとりで落ちたと思ったのかな?

 多分ひとりで踊り場で寝転んでいたからそう見えてもおかしくはないかも。


「聞かないんだね」

「聞く必要がない」

「言っておくけど、自分ひとりで馬鹿みたいに転げたわけじゃ――」

「知ってるわ馬鹿」


 こっちは怖いから聞かないでおこう。

 ぶっ飛ばしたとか言われたら困るし。


「明日もまだ痛かったら休めよ」

「大丈夫だよ」


 まあ、確実に嫌な人間だったしなあ。

 新妻くんを振ったのは先輩と仲良くなるためなのに、その先輩が私が気になっているとか言うからだ。

 廊下で聞いていたのかもしれない。

 直前に一輝に怒られていたのもあってかっとなった春海は~みたいな展開だろう。


「というかさ、あれから私のことを抱きしめすぎじゃない?」

「……嫌ならしねえよ」

「嫌じゃないよ、ただ、場所は考えてほしいなって」


 誰かが来るかもしれないところでやるのは別の意味でドキドキが凄くなるから。

 こういうところでならいくらでもしてくれて構わない。


「春海にはっきり言えって言ったのは私だからね、だから今日は大城先輩にさ」

「あれには驚いたぞ」

「あはは。でも、これは私が勝手に抱えていることだから、一輝には関係ないからね」


 まだ完全に男の子として意識してしまっているわけじゃない。

 これだけは救いな点だった、だって所詮幼馴染程度の扱いでしかないんだし。

 優しくしてくれていても前に進めないなんて苦しいだけだろう。


「いや、関係あるだろ」

「うーん、大城先輩には悪いけど大城先輩と比べたらって話だから。もしこの時点で好きになっているなら一緒になんていられないよ、抱きしめられた時点で終わっているよ?」


 逆によくこれだけ普通のままでいられていると思う。

 多分、一輝が普通だからこのままでいられているのではないだろうか。


「よし、じゃあ終わらせるか」

「えぇ」


 やはり彼はときどき意地悪になるようだ。

 私のことが気になっているのであれば気になっているからこそそういうことを言って構ってもらいたいんだろうなってなるんだろうけど、いまのままだとちょっとね。


「……見ていないところで危ないことに巻き込まれるよりはマシだからな」

「大丈夫だよ、これから階段を下りるときはチェックしてからにするから」

「そうか、あ、少なくとも新妻や先輩と裏でこそこそと会うのはやめてくれ」


 これは色々なことが最近ありすぎて困るからだろう。

 すぐに出かけることになるのも大きいのかもしれない。


「最近は新妻くんとも……ん? あ、新妻くんからだ」

「なんて?」

「『いまから会いたいです』だって」


 私のせいで振られたようなものだから会うの少し気まずいなあ。

 でも、そこまでではないから行くけどさ。


「ま、こそこそしなきゃいい、気をつけて行ってこい」

「部活のはずなのにね?」

「振られて本調子じゃないんだろ、俺はここで待っているから」

「わかった、行ってくるね」


 すぐ暗くなるというわけでもないから気にしなくてもいいだろう。

 そして、私のような人間を襲うような人間はいないのだから。


「あ、榊間さん」

「え、もうこんなところまで来ていたんだ」

「当たり前ですよ、僕からお誘いしているわけなんですから」


 表面上だけは至って通常状態に見えるんだけど、実際はそうじゃないんだろうなあと。

 ぼうっと見続けたことにより「な、なにかついていますか?」と少し慌てる彼が可愛かった。


「それでどうしたの? 私に会いたいってあのときのことを責めたいってこと?」

「あなたがいてくれて良かったって言ったじゃないですか、責めるわけないですよ」

「それじゃあどうして?」


 わざわざ部活動を休んでまで来る必要はない。

 仮に部活動がお休みの日だとしても、その貴重な時間を私と会うために使うのはもったいないとしか言いようがない。

 いたた……、普通に立っているだけでやっぱりまだ痛い。

 できれば早く帰って柔らかく落ち着く匂いのベッドに転びたかった。

 保健室のベッドは家のと違って固いからね。

 ……あれだけ占領しておいて文句を言うなという話だけど。


「この前のことでお礼がしたいんですけど」

「いや、私がしたことは褒められるようなことじゃないから」

「なら、榊間さんといたいから、ということでどうですか?」


 まるで私がモテるように感じてくるからやめてほしい。

 その度にそういうつもりはないと口にするのもなんだか自意識過剰で嫌だし。


「ふふ、振られちゃったから寂しいの?」

「はい」

「うぇ、そ、即答……」


 揶揄するのは自分には向かないようだ。

 まあ、いいことばかりではないからしない方がいいかと片付けておく。


「お出かけするぐらいならいいよ」

「はい、あ、不安なら須田君を連れてきていいですから」

「いや、この前のことで迷惑をかけちゃったからふたりでいいよ、あくまでそれを返すために行くだけだけど」


 こっちもはっきり言っておかなければ。

 自意識過剰でもなんでもいい、その気がないんだからね。


「はい、それでいいですから、それでは日曜日のお昼からよろしくお願いします」

「うん、わかった」

「それじゃあ送ります」

「近いから大丈夫だよ」


 すぐに送りたがるところだけが気になるところかな。

 春海にも似たような感じで接し続けることができていたらこうはなっていなかったのに。

 もう言っても仕方がないことだから考えるだけにしておくけどさ。


「駄目ですよ、大城先輩から今日のことは聞きましたからね」

「あー、そうなんだ」


 そりゃ、先輩の耳にも入るか。

 どういう風に、誰から情報がいったのかはわからないままだけど、一輝が多分、慌てていただろうからそれで察したのかな?

 ……あんまり淡々と対応されても嫌だから少しは慌ててくれていたらいいな、もう落ちるようなことはしたくないけどさ。


「おんぶしますよ」

「いやいやいや、自宅まで500メートルも離れていないんだよ?」

「須田君にはしてもらったことも知っています、やはり須田君は特別だということですか?」


 それはふたりよりも仲がいいし、あの子が私には優しくしてくれるからだ。

 ただ、幼馴染以上になれる可能性が低いことを知っている。

 そして、私がそういう風に意識して行動してしまったらあの子の時間を奪うことになってしまうことがやはり気になる。

 現時点でもそうなのにこれ以上は申し訳ないからできそうになかった。


「それとも、お姫様抱っこがいいですか?」

「いいから歩こう」

「駄目ですって言ったら?」

「日曜日の件はなしにする」

「はぁ……」


 いや、意味不明すぎてこちらがため息をつきたいぐらいだ。


「それじゃあ日曜日によろしくお願いします」

「うん、気をつけて。あと、部活はあんまり休んじゃだめだよ」

「今日はお休みだったんです、それでは」


 そう何度も休むような子じゃないか。

 中に入ったら楽しそうな話し声が聞こえてきたので2階へ上がる。

 いまは食事とか入浴とか、そういうことなんかよりも睡眠を優先したかった。




「はー、いい湯だった」


 ベッドの上にはすやすやと寝ている優がいる。

 家の中でもひとりにさせるつもりはないのでこうして榊間家に居座っているというわけだ。

 先程のあれは多分、邪魔をしてはいけないことだったからそのままひとりで行かせたことになるわけだが……。


「優」


 眩しいだろうからと照明を点けていないが、暗いところに慣れ始めた目が彼女の表情をちゃんと捉えていた。


「優、起きろ」

「んあ……」


 ベッドの端に座ったら振動が伝わったのだろう、物凄く慌てたよな感じで彼女が飛び起きた。


「あっ、一輝か……」

「俺か葉月さんぐらいしかここに来ないだろ」

「たまにお父さんも来るよ。あ、怖い夢を見ていてさ、そんなときにどすんと揺れを感じたから怖くて飛び起きたの」


 間違いなく今日のあれが関係していると思うが。

 失敗だった、ひとりで行かせるべきではなかったのだ。

 少なくとも俺が変わりに落ちることで彼女を怖い目に遭わなくて済んだかもしれないのに。


「な、なんだ?」

「なんか不安そうな顔をしていたから」


 変に目が慣れ始めてしまったのが問題だった。

 彼女はこちらの手を握りつつ、物凄く柔らかく、そして不安そうな表情を浮かべていたから。

 いまにも泣いてしまいそうにも見えるし、柔らかく微笑んでいるように見ることもできる感じだった。

 少なくとも俺にはできない器用さだった。


「……今日のことが気になってな」

「打ちどころが悪かったら1発でこの世から消えてあなたといられなくなっていたわけだからね、適当なことは言えないかな」


 それから新妻となにを話したのかを教えてくれた。

 そのときの彼女は明らかに困っている感じで、少し新鮮だった……かもしれない。


「優しくしてくれたから惚れたんじゃないか? いいな、一気にモテモテだな」

「そんなのじゃないよ、みんな冷静じゃないだけなんだよ」


 慌てるときと慌てないときの違いが分からない。

 分かっていることは俺が抱きしめたことにではなく別のことで驚くということだ。

 それは男としては複雑としか言いようがなく。


「ここで寝るわ」

「そうなの? それなら私はお風呂に入ってくるね」

「……俺がなにを言いたいのか分かっているのか?」


 いつもなら「それは無理っ」と慌てるところだろう。

 変に複数の男と関わったせいでそこらへんのことが緩くなっているのか?


「ベッドってことでしょ? 大城先輩とあなたの前であんなことを言ったんだよ? だから別にいいでしょ。でも、一輝にとっては違うかもしれないからさ、後悔するかもって不安になるぐらいならやめてね」


 彼女は「すぐに戻ってくるから」と残して廊下に消えた。

 遠慮なく、ではなく、ぎこちなく彼女のベッドの端の方に寝転んで待つことにした。

 ……いつの間にか大胆な性格になっていたらしい。


「ただいまー、あ、ほら、ちゃんと転びなさい」

「おう」


 窓に沿うような感じで配置されているので、窓際の方に寝転ばせてもらった。

 そうしたら彼女も転んできて(彼女のベッドなんだから当たり前)、更に言えば滅茶苦茶近い感じで。


「近すぎだろ……」

「あんまり幅がないからこれぐらい寄らないと落ちちゃうんだよ、もう落ちるのはこりごりだから我慢してね」


 よりいい匂いがする。

 正直に言って、入浴後の状態の彼女とこうして密着していると言えるぐらいの近さで寝転んでいると、なあ。


「気絶……する前にさ、春海を見上げていたんだよね」


 多分、俺が直前にあんなことを言わなければこうはなっていなかった。

 多分、先輩が彼女のことを気にしていなければこんなことにはならなかった。

 まあ、誰かを気にするのは自由だから強くは言えない。 

 つまり、今回のことは俺が悪いだけで、彼女が悪いわけではないというのに……。


「あはは……まさか押されるとは思わなくてさ……」


 俺だって流石にそこまでするとは思わねえよ。

 クラスメイトのやつが教えてくれたから助かったが。


「……行くの怖いかも」

「悪い、俺のせいだよな」

「違う……」


 なにかが起こってから謝罪なんて卑怯だ。

 俺は優のためにって理由を作って、八木で発散させていたのかもしれない。

 無自覚に言い負かすことが快感になっていたのかもしれない。

 でも、今回のことで分かった、悪いのは俺と八木だ。


「今日はもう寝ろ、それで明日は休めばいい」

「うん……」


 握ってきていた彼女の手を優しく掴んで離してベッドから下りた。

 こんなことをできる立場にないんだ、不安そうな表情でこちらを見てくる彼女の頭を1度撫でてから部屋を出た。




「帰らなくてもいいのにさ」


 結局、休むことはせずに制服に着替えてひとりで歩いていた。

 ぶつぶつひとり言を吐いて、それ以外のことは気にしていませんよという感じの雰囲気を出しておくのが精一杯だ。

 体はまだ痛いところもあるけれど、あくまで普通の学生らしい時間を過ごせるぐらいには普通だった。

 一応、階段を上るときも周りを確認してから上って。

 教室に着いたら席に座ってのんびりとしていた。

 さすがにこんなところで攻撃を仕掛けられるわけがないからだ。


「おはよう」

「ん? あ、おはよ」


 もう寝るというところだったのにどうして出ていってしまったんだろうか。

 寝るのが嫌だったかなとか、そういうつもりじゃなかったのかなとか、私が近すぎて嫌だったのかなとか。

 ああいう離脱の仕方は気になるからやめてほしかった、話しかけてくれただけで少しマシになったけど。


「ちゃんと寝られたか?」

「うん」


 多分、午前1時ぐらいには寝られたと思う。

 私がお風呂から出て部屋に帰った時間が22時頃だった、だからちゃんと寝られたとは言えないかもしれないけど。


「体は?」

「大丈夫」

「無理するなよ?」

「うん、ありがとう」


 とりあえずは謙虚に生きていこう。

 先輩にははっきり言ってあるからぶっ飛ばされることもないだろう。

 あとは新妻くんとのお出かけか。

 まあ、こっちのことで春海が怒るようなこともないだろうし……。

 いや待って、やっぱり新妻くんと関係を戻したいとか考えていたらどうする?

 ……それでもこの前のことがあるから逃げるわけにはいかない。

 お詫びをする、できることはお出かけに付き合うぐらいだけだけど。

 ただ、自意識過剰だけど背後が気になってしまって落ち着かなかった。

 歩く度に振り向き、数メートル歩いたらまた振り向くという繰り返し。

 階段を下りるときなんて横歩きをして訝しげな顔で他の生徒に見られたぐらいだった。

 でも、そういう対策や慎重だったのがいい方向に繋がったのか、今日はあくまで平和な1日だった。

 ……一輝が朝以降全く近づいて来なかったことが気になるところではあるけど……。


「優」

「あ……」


 帰ろうとした私の前に立ちふさがる春海。

 困惑して突っ立ったままの私の腕を掴んで勝手に歩き始める彼女。

 引っ張られているのだからこちらも足を動かすしかない。

 幸い、今度こそ仕留めるために階段へ連れて行こうとしているわけではないようだ。

 変に緊張していたりすると刺激してしまう、そうなったら今度こそ終わりになるかもしれないから態度は気をつけた。

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