第9話





─カボル大都市 西部 第三防衛線─




「──雑魚どもは放っておけ!とにかく強そうな奴を出来る限り多く仕留めろ!!!」

 ブレイドは冒険者に向けて叫ぶ。



 前線に残っていたのは軍の撤退を気に留めなかった熟練の冒険者とブレイド含め、50人ほど。

 彼等は3万匹を超える魔物の大軍を派手な攻撃で、可能な限り自分たちに引き付けようとしていた。だが、その場に留まらせる事ができる数はたかが知れている。

 彼等から少し離れた魔物は、目もくれず真っ直ぐ都市へと歩みを進めている。

 


火竜の吐息ファイアブレス!…」「超肉体アルティメットボディ一撃粉砕スレッジハンマー!…」「毒刀流・死神の接吻ブラックマンバ…」「式陣...死縛しばく!…」「アックスゥブーメラッ!…」「ヘィチャチャホゥワタァ!…」「ヘェィンバガプレソゥ!…」「シーハァシハオゥアィム…」「マタタビク…」…



 

 彼等の戦闘は続き、やがて太陽は遥か遠くの峰々に沈む。

 遠くまで見渡すことが出来た平原は一段と暗くなり、戦場の雰囲気がガラリと変わった。



「─!ッなんだこの…」「─!!お、俺はこの辺にしとくぞ…」「─ッ!!《黒角燦然くろづのさんぜん》撤退だ!!恐らくやべえ!」「「「「おぅよッ!!!」」」」「─!!《夜夜戀々よよれんれん》退陣ぢゃぁ!!!」「「「「「あぃなーッ!!!」」」」」…

 不穏な気配を察知した冒険者達は次々と撤退していき、状況が掴めていない、その域に達していない冒険者も、他の冒険者が撤退していることに釣られて撤退していった。



「...勘付いたか..ッチ」

 ブレイドは魔物を斬り伏せながら愚痴る。

 いち早く不穏な気配に気が付いていたブレイドは周りにそれを悟られないように、自身の魔力を大袈裟に開放して不穏な気配感を誤魔化していたが、刻々と濃くなっていく違和感を日が沈んだ事も相まって、到頭とうとう誤魔化しきれなくなった。




「ッチ、テメェら!!尻尾巻いて逃げるついでだ。全速力でバレッタ大尉に...悪魔が受肉すると伝えろ!!」

 ブレイドは声を魔力で増幅させ、爆発しているような音量で既に撤退し遠くにいる冒険者達に向かって言う。



「はえ!?」「はぁ!?」「てめぇこの野郎!最初から勘付いていたな?!」「悪魔!?」「この気配はそれか」「悪魔は無理だろ?正気か?」「此処で死ぬ気ぢゃけぇ?」「えぇ!?それでみんなぁ!?早く言ってよ!」「まじかよ...流れ乗って良かった」「ッそれだけは勘弁だ!!」…

 悪魔と聞いて、立ち向かおうとする者など、この世界で数えるほどしかいない。

 冒険者達はブレイドから発せられた言葉に事の深刻さを理解し、仲間が撤退した方へ死物狂いで走る。


 





「...溶ける死体、心の底から湧き立つ恐怖、膨れ上がる狂気、説明し難い悪臭...聞いていた通りだな...ッチ」

 今まで斬り伏せてきた死体の数々はゆっくりだが、溶けるようにヘドロ状の黒い液体へと形を変えつつ地面に染み込み消える。




 それでも構わず魔物を殺し続けるブレイド。




「...ッチ...」

 殺して間もない魔物もヘドロ状へ変化する速度が早くなっていく。

 

 

 それでも、この先の仲間の負担が少しでも減らせればと思い、魔物を殺す事をやめることは無かった。



「...ッチ、始まったか」

 ブレイドの前方、魔物が大勢宙に浮き出し、ゆっくりと一箇所に集まる。

 何らかの力により魔物は、血の一滴までも搾り取るかのように潰され、大量の血液が滝のように流れ落ちる。

 ひとまとまりの肉塊となった魔物達の真下にいつの間にか現れた黒いヘドロ状の池へ大量の血液と肉塊が落下し、吸収される。



「...」

 その間もブレイドは魔物を殺し続けていたが、死体がヘドロ状へと変化することは無くなった。




 太陽は完全に沈み、夜空の星々は瞬き始めた。




「...なんだ?不発なら有り難いが」

 そう言った途端、黒い池から這い出るように、それは姿を表した。



「...ッ!」

 後ろ脚で直立している背丈が成人男性ほどの頭部のない赤黒く染まった豚。

 恐怖、絶望、嫌悪など負の感情が強制的に同時に引き出される感覚。

 頭痛、目眩、嘔吐してしまいそうなほどの不快感。

 悪魔を見たことも戦ったことも無いブレイドだが、一目見ただけで格が違うことを本能的に理解した。

「...ッチ」


 豚の首の断面からは絶えず血液のようなものが少量流れ出しており、身体を伝いながら足元周辺の地面を赤く染める。首の付け根から下腹にかけて木のうろのような黒い裂け目がある。



 どう対処すればいいか迷っていると、一歩、二歩とブレイドの方へ悪魔がゆっくりとおぼつかない足取りで歩き出した。

「ッ!...」

 緊張で全身から汗が噴き出し、手が勝手に震える。





「...殺るしかねぇよな...その為に残ったんだ」

 自身に言い聞かせながら、最も悪魔を殺せる可能性が高い魔法の準備をする。

 ブレイドは両腕を勢いよく横に広げた後、素早く胸の前で手を合わせた。



「『番人の衣』」

 ブレイドは瞬時に顔をも覆い隠すゆったりとした黒いローブに変装し、何処からともなく取り出した黒い手袋を手にはめた。


「『魂の収穫祭ソウル・ハーヴェスト』術式上位展開…『魂の束縛ソウル・バインド』」

 目前の空間を掴むように前に出して右手を握る。少し動かすと、稲妻のような黒い亀裂を生じさせながら空間が小さく裂かれ、黒い裂け目に左手を入れてすぐに抜いた。その手には細い鎖が無数に握られていたが、すぐに空に乱雑に放り投げる。

 周囲を浮遊していた無数の手に細い鎖が次々と巻かれ、ブレイドが持っていた最後の鎖を自身の胸に引き寄せると、無数の手はブレイドへ強制的に引き寄せられ、身体中に巻かれる。



 ブレイドは攻撃をする様子もなく、じっと悪魔を見つめる。

「...さぁ、早く来い...」




 その間も悪魔はゆっくりと歩き続け、ブレイドは動かず、ただ悪魔が歩み寄ってくる姿を眺めていた。



 そして、目の前まで後30歩の所まで来た。

「...ッチ」

 ブレイドは焦っていた。





 悪魔がゆっくりと歩みを進め、残り10歩の所まで迫った時

「...ッチ、ダメか」

 魔法の発動が失敗だったと見切りをつけたブレイドは、意を決して別の手段で悪魔を攻撃することにした。



 手に剣を召喚し地面に突き刺す。

「─ッ!『刃の暴風雨ブレイド・テンペスト』」

 先の魔物戦で切っては捨ててきた数々の剣が線で繋がり、魔法陣を描く。

 魔法陣範囲内の上空に数え切れないほど剣が現れ、目にも留まらぬ速さで悪魔目掛けて降り注いだ。

 勢いを失った剣は消えては上空へ再び現れ、また悪魔を貫く。

 


 悪魔はそれを気にすることも、避ける様子も無く、貫かれ、切られ、肉体を撒き散らかすが、すぐさま傷口は塞がり、欠損した部位は瞬く間に再生する。

 

 

「...ッチ...だと...思った...さ」

 息も途絶え途絶えでぼやく。



 悪魔は気だるそうに前足をブレイド目掛けて払った。

「ッッ!!」

 ハエを払うかのような雑な動作から桁違いの衝撃波が生じた。


「─ックッソが!!!─ッブァハッ!」

 大盾を召喚し、防ごうとしたが、威力は予想を遥かに上回り、一瞬にして大盾は破壊され、衝撃が全身を伝い、負荷が大きかった両腕、太腿の骨にひびが入り、剥き出しの軟部組織である眼球のうち、左眼球は衝撃に耐えきれず破裂した。

 ブレイドは骨が折れる事を避けるためと、衝撃の緩和のため、後方へ吹き飛ぶ。

「─ックァア...バケモノが」

 歯は砕けて抜け、内蔵も負傷し血を吐く。

 

 常人なら死んでいてもおかしくない状態。致命傷になり得る攻撃を受けても生命維持できるのは、数々の窮地を脱してきた百戦錬磨の勘に頼った魔力防御法もあるが、卓越した魔力操作による自己回復によるものである。


「...時間稼ぎも、できねぇとは...情けねぇ..」

 たったひと払いで武具も魔法もかき飛ばされ、瀕死の状態に等しい状態のブレイドはそれでも立ち上がるが、視界がかすむ。

 霞んだ視界を解消しようと首を左右に振った時、後方に何かあることに気が付く。



「来た...か?」

 黒い霧が扉の形を型取り、そこからすっと現れたそれは、ブレイドと同じような黒いローブを纏った140cm位の子供。



「──ッ!予想外の...姿形だが...遅い...ぞ!あと...少しで...死ぬところ...だった」

 ブレイドは息も途絶え途絶えで子供に言う。




「...」

 顔はフードで覆い隠され見えないうえ、体も黒いローブに覆われ、肌一つ見えない。

 刃より柄の方が長い、子供の玩具かのような、小さな黒い草刈鎌くさかりがまを左手に握っている。



「...」

 黒い霧から現れた子供はほんの少し鎌を動かした。

「─ッ!!」

 子供初動を見逃さなかったブレイドは、残り少ない魔力を振り絞り、とても重傷とは思えない速さで悪魔へ再接近する。

 高速で移動したのにも関わらず、子供はブレイドの背後に居る。

 背後に居る子供にも気を止めず、新たな魔法を発動した。

「『番人の晩餐会』ッ!!」

 胸に巻き付いていた鎖一本を引き抜き、悪魔に放つと、ブレイドの身体に巻かれていた無数の鎖が解かれ、一瞬にして悪魔の身体に手と共に巻き付き、固定された。

 



「...」

 悪魔は再接近してきたブレイドや手を警戒する素振りも見せず、反応すらしなかった。



「舐めやがって。くたばれクソ豚」

 手が悪魔に巻きついた事を確認した途端、捨て台詞を吐き、即座に悪魔から距離を置いた。



「...」

「...」

「...」

 背後にいた子供は、悪魔に手が巻き付いた時点で追ってくる様子は無く、その場から動かなくなり、悪魔と向かい合っていた。




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