第227話 幕間~手をつないで、さよなら 後編

 ジュリアン――フリージアの実の母の、再婚相手。詰まる所、フリージアとフリージアの父を捨て、走った相手。フリージアを一度、絶望のどん底に落とした切欠に関わった相手。

 その男が、突然目の前に。

「今更一体何の用件ですか、俺達はもう何の……!」

「ライト、あたしは大丈夫」

 つい感情的になってライトが詰め寄ろうとした所で、フリージアが冷静にライトを制止。直ぐにライトも冷静さを取り戻した。――そうだな、俺が感情的になった所でどうにかなる話じゃない。落ち着こう。

「でも、疑問点はあたしも同じです。――今更、あたしに何の用件ですか? あたしはもう、一生関わるつもりは無かったですが」

「少しでいい。お話させて貰えませんか。ジュリアンはここにはいない、僕だけです」

 一方のジャンは当然状況もフリージアの想いも知っているのだろう。申し訳なさそうな表情をしつつも、その提案。

「勇者君、フリージア。――とりあえず、周りに悪そうな気配を持った人間はいなさそう」

「彼の心音や目の動きを見た限りでも、一応嘘を言っている様子も見られません」

 そして直ぐにレナ、リバールからの得意分野を生かした補足。――本当に、話がしたいだけなのだ。

「……わかりました。あたし一人だけで少しだけなら」

「! ありがとうございます……!」

 そしてフリージアは提案を呑んだ。ジャンは頭を下げてフリージアにお礼を言う。

「ジア、一人で大丈夫か? 俺も行くぞ?」

「ありがと。でも大丈夫。――ただ、終わるのは待ってて。一人では帰りたくない。……そうなると、レナさんには迷惑をかける事になるけど」

「いいってことよー。これで俺は先に帰るぜイェイイェイイェイとか言い出したら勇者君偽者だし。まあ日常茶飯事よ」

「私も残らせて頂きます。姫様の事はありますが、同じ位皆様は大切な仲間ですので」

「ありがとうございます。……ちょっと槍抱き締めてる時変な人とか思ってごめんなさい」

「お気になさらず。――あれでしたら、今度姫様の素晴らしさをお教えしますので」

 あ、フリージア終わった。――ライトとレナは同時にそう思った。……は、兎も角。

「それじゃ、行きましょう」

「はい」

 フリージアがジャンを促し、近くのカフェへと移動していく。ジャンはライト達に頭を下げると、フリージアと共にその場を去って行った。

「リバール、頼みがある」

 その背中を見送りつつ、ライトはリバールを呼ぶ。

「どうなされましたか? ライト様も改めて姫様の素晴らしさを感じてみたいとか」

「おー、勇者君ハーレム作りへまっしぐら。フリージアとも再会出来てもう迷う事は何もないぜイェイイェイイェイ」

「違え!? というかさっきからその謎のフレーズ何!?」

「新しいギャグ候補」

「いらん!」

 おほん、とライトは咳払いで空気を正す。

「えっと――」



「改めて、お話させて頂いてありがとうございます」

 カフェに移動、席につき、注文を終えた所でジャンはフリージアにお礼を告げる。

「ジュリアンがその……僕の所に来た後、変な言い方ですが、大丈夫……でしたか」

「……大丈夫の基準が何処かによりますけど」

 そう切り出すと、フリージアは掻い摘んでその後の事を説明。――せめて順風満帆なその後を送って欲しいと思っていたジャンには少々重い話となった。

「それで、今に至ります」

「……本当に、本当に申し訳ありませんでした」

 ジャンは頭を下げる。――謝る事しか、出来ない。

「貴方が謝ってもどうにもなりません。それに、今貴方を見ても、驚く程冷静なんです」

 今この話を終えるのを待ってくれている人がいる。それだけで、今自分は落ち着いてジャンの事を見れていた。――時期がほんの少しずれていたら、今ここで怒り狂っていたかもしれない。そもそもこんな風に話すなんて提案受けないかもしれない。

「そちらは? 「あの人」はお元気ですか?」

 あの人――当然ジュリアンの事である。既に母と呼ばなくなっている事にジャンはチクリと胸を痛めながらも口を開く。

「はい。子供はいませんが、特に健康を害したりする事無く、二人で暮らしています」

 嘘をつくわけにもいかない。申し訳ないと思いつつ、ジャンは正直にそう告げる。

「幸せですか?」

「……僕は幸せです。彼女も幸せだと、当初は思っていました。何の憂いも無く僕の所に来れたという言葉を、僕は鵜呑みにしましたからね。実際最初の内は、幸せそうでした。でも、年月が経つにつれ、貴女の事を気に掛ける様になっていった」

「…………」

「僕も最初は訊くのを躊躇いました。でも彼女は、思い出す様に少しずつ、貴女の事を僕にも話してくれる様になりました。とてもよく出来た娘だったと。自分には勿体ない位の娘だったと。……本当に、大切に想っていた、と」

「……あたしはそんなに出来た人間じゃありませんよ。現に、その話を聞いてももう何も思わない」

「っ……」

 しいて言うならば何を今更、という言葉がしっくり来た。全てを捨ててこの人の所に行ったのだろう。自分の事を口に出すのは、この人に対しても失礼じゃないのか。――口に出すのは拒んだが。

「いつからか、僕は彼女と貴女の間柄を何とか出来ないか。そう思う様になっていました。ジュリアンも、普段は口にしませんが、お酒が進むと、時折涙して貴女の事を呟いていた。会いたがっていた。――そんな時、偶然こうして貴女に出会えた」

「だから、こうして思い切ってあたしに話しかけてみた、と」

「はい」

 経緯はわかった。今までの事もわかった。――本番は、ここから。

「彼女に……ジュリアンに、会って貰う事は、出来ませんか?」

「……それは」

「わかっています、身勝手なお願いだと! 今更何を言ってるんだと、僕だって貴女の立場なら思う! でも、でも本当に、ジュリアンは後悔しているんです……一度だけ、一度だけでいい、貴女の口から、自分は元気だと、伝えてあげられませんか……?」

 最早放っておいたら土下座でもしそうな勢いで、ジャンはフリージアに頭を下げて頼み込む。――後悔、か。

「あたしも……まあ、これはあの人は関係ないですけど……ずっと後悔していた事がありました。先日、その長い長いわだかまりが、やっと無くなったんです。でもそれは、あたしだけじゃなくて、相手も後悔していて、お互い寄り添うのを忘れてしまっていた事に気付いて、やっと寄り添えたからなんです。やっと、許し合えたんです。……でも」

 ここで初めて、運ばれてきていたコーヒーに手を伸ばした。一口飲んで、再び口を開く。

「今回の件、あの人は後悔していたとしても……あたしは、何を感じればいいんですか? あたしも後悔していたとでも? 後悔する選択肢すら、あの日のあたしには与えられなかったのに」

「……それは」

「あたしの大好きだった母は、最後に手紙に書きました。自分の事は忘れて生きて欲しいと。だから、忘れたんです。もうあたしは、大好きだった両親の顔は、思い出せません。それが、あたしの大好きだった母の願いなんだから」

「フリージアさん……っ」

「だから、あたしも言います。あの人に伝えて下さい。――あたしの事は、忘れて欲しいと。あたしの事は忘れて、ジャンさんと、幸せに生きて欲しいと。もしあたしの事を後悔するのであれば、あたしの事を忘れるのが貴女の罪滅ぼしであると」

「…………」

「あの人の事、宜しくお願いします。――失礼します」

 何も言えなくなってしまったジャンを置いて、フリージアはカフェを後にするのであった。



 少しだけ時間は戻り、フリージアがライト達と一旦別れてカフェに行った直後。

「…………」

 二人が行ったカフェがギリギリ見えるか見えないか位の位置にある路地裏に、一人の女性。何とかしてこの位置からカフェの様子が覗けないか、体を動かしていた。

 単純にカフェが見たいなら近付けばいいだけの事。でも彼女には、カフェには近付けない理由があった。――それは、

「居ると思いましたよ、やっぱり」

「!?」

 そのカフェに、顔を合わせてはいけない人物がいるからだった。――その駆け引きの最中、そう声をかけられた。ハッとして振り返れば、青年と、その青年の左右に女性騎士、女性メイド。

「ご無沙汰してます、おばさん」

「まさか……ライト、くん……!?」

 声をかけてきた青年に、昔の記憶が重なり、その名が呼び起こされた。――要は、ライト、レナ、リバールの三人である。

 一方のライトも、直ぐに昔の記憶とその顔が重なった。――フリージアの実の母、ジュリアン。

「ジャンさんが知っているか知らないかはわかりませんけど、絶対に近くにいる。そんな気がして、仲間に探して貰いました」

 ライトがリバールに頼んだのは、周囲にジュリアンがいる気がしたので、その捜索だったのだ。――そして発見し、今に至る。

「お元気でしたか?」

 許せないと思っていた人。その相手が目の前にいる。でもライトは驚く程冷静だった。仲間が隣に、フリージアが近くにいるからだろうか。――自分の事が、あったからだろうか。

「ええ。ライトくんも……ライトくんは、ずっとジアの近くに居てくれたの?」

「……あー」

 当然ジュリアンからしたら今こうしてライトがいるという事は、あれからずっとライトが支えてくれていたと思っただろう。この指摘は、例え相手がジュリアンからであってもライトとしては心苦しい物。

「正直に言いますと、一度大きな仲違いをして、最近になってやっとお互い許し合える様になりました」

「そう……なの?」

「はい。……俺「も」、ジアを傷付けてしまったんです」

 俺「も」に若干力が籠ってしまった。無意識だった。

「俺は傷付けたジアと再会して、一生許して貰えないのを覚悟の上で、それでもジアともう一度向き合いました。もう二度と逃げない。そう決めて、ジアと向き合い続けました。実際最初は許してなんて貰えませんでしたけど、今はお互いちゃんと向き合える様になりました。だから、っていうわけじゃないし、俺にそんな事を言う資格がないのもわかった上で言います」

 ふーっ、とライトは大きく息を吐く。――俺が言える立場じゃないけど、でも俺が言わなきゃいけない。そういう運命なんだ。

「ジアと、もう一度分かり合いたいのなら、真正面からおばさん自身が向き合って下さい」

「っ!」

「許してくれるかどうかはわかりません。口添えも出来ません。でも、ジャンさんに任せてここで遠くから見てるだけで、何が変わるんですか? この先もずっと、後悔をジャンさんに零し続けるだけの生活を送るんですか?――貴女は何の為にジアを捨てて、今何の後悔をして、これからどうしたいのか。ジアに対して思う事があるのなら、それを見つめ直して下さい。……見つめ直してあげて下さい。その結果、貴女が大きく傷付いてしまったとしても、その傷とも向き合って下さい」

「ライトくん……」

「失礼します。――二人とも、行こう」

 レナとリバールを促し、ライトはその場を後にする。

「……あの人はきっと、どっち選んでも幸せにはなれない人なんだろうねえ」

「レナ?」

「例えジャンさんを諦めてずっとフリージアの傍に居たとしても、ずーっとジャンさんの事を後悔し続ける。あの人にベストな選択肢なんてないんだよ。――そういう意味じゃ、可哀想なのかもね。同情はしないけど」

「……そうかも、な。正解がない問題程辛い物はないよな」

 そんな会話を挟みつつ、再びカフェ正面の近くまで移動。――少しだけ待つと、フリージアが店から出て来た。

「ジア。――大丈夫だったか?」

「うん。話もついたから。――待っててくれてありがと。レナさんもリバールさんも」

 実際、ライトの目からしてもフリージアの表情は落ち着いていて、問題なさそうだった。

「なら、帰るか」

「うん」

 ジュリアンの事は、三人の秘密にしておくか。――そう思って、歩き出した時だった。

「ジアぁぁ!」

「っ!」

 後ろから、フリージアを呼ぶ声。四人はその場で足を止める。ライトとレナとリバールの三人は振り返るが、フリージアは振り返らない。

「ジア……ごめんね……ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……!」

 ジュリアンである。涙ながらにフリージアの名を呼んだ。気付いたジャンが驚き、駆け寄り、支える。

「…………」

 フリージアは動かない。表情も変えない。ただ、前だけを見ていた。

「ジア……ジア……っ……ああああっ……」

 ジュリアンが泣き崩れる。自分では立っていられなくなり、膝をついてしまう。長年の色々な想いが溢れ、止まらなくなっているのだろう。

「ライト」

「うん?」

「帰ろう」

 そして、フリージアはその選択肢を選んだ。振り返る事も、顔を見る事も、話す事もなく、その場を去る。

「あ……でも、一つだけお願い」

「何だ?」

「手、繋いで欲しい。……ライトと手を繋いでるのを、見せておきたい」

「わかった」

 ライトがフリージアの手を取る。強く優しく握ると、フリージアも握り返してくる。――「見せておきたい」。それがフリージアの答えだった。自分にはもう手を繋いでくれる人がいるから。だから、大丈夫。……そう伝えたいのだと、ライトは思った。

 そのままゆっくりと、ライト達は歩き出す。リバールだけがジャンとジュリアンに頭を下げると、四人で城へと帰っていく。

「ジア」

「何?」

「俺はお前の答えを尊重する。だから、もし何かある様だったら、いつでも言って欲しい。一緒に向き合うから」

 この先、フリージアがジュリアンを許すかどうかはわからない。でももし、許したくなる日が来たら。――後悔だけは、して欲しくないから。

「うん。……ありがと」

 少しだけ、握る手に力が籠った。――本当に、もう二度と離す事など無い様に、その手を握った。

 夕焼けに染まる街並みが、優しくその足並みを包み込む。重なり合う影が、あの頃を彷彿させる。

 でももうあの頃とは違う。――その事を踏みしめる様に、歩いていくのだった。

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