第206話 演者勇者と「あこがれのゆうしゃさま」11

 ハインハウルス特待アカデミー。

 ハインハウルス王都本国が管理・運営している特別学院であり、まだ見ぬ才能の持ち主を好待遇で出迎え、開花させ、国の重要ポストへの道へ進むことが出来る施設。少数精鋭、ほんの一握りの人間しか入学出来ない。

 知名度こそそこまで高くないものの、王国で一定以上の位を持つ人間はそこにいる逸材を誰もが欲しがる、そこまでのハイレベルな学園。……という説明を、紳士はしてくれた。

 そしてその学園が、フリージアの噂を聞きつけ、こうしてスカウトに来ているのである。――フリージアに名刺を渡し、更に国王のサイン入りの証明書まで見せてくれた。本物であり、本気でフリージアのスカウトに来ているのだろうことがわかった。

「突然そんな事言われても……あたしは」

 フリージアは動揺を隠せない。分かり易く困惑の色を見せた。

「勿論、今すぐ決めなさいという話ではありません。将来に関わる話、考える時間は必要です。――三日程待ちましょう。三日後、ご自宅の方へ伺わせて頂いて宜しいですか?」

「……すみません、あたし、その」

「今彼女、俺の家に居候しているので、俺の家へ来て貰えますか?」

 そんなフリージアに対し、紳士は穏やかに優しく語り掛ける。それに対しても何かを言いかけたフリージアを遮る様に、ライトは紳士にそう切り出す。

「ライトといいます。家は――」

 そのままライトは自分の家の場所を説明。フリージアが唖然としている間に、

「ご丁寧にありがとうございます。では三日後に。良いお返事を期待しています」

 ライトは話をまとめてしまった。紳士はライトにお礼を言い、二人に軽く頭を下げると、その場を去って行った。

「ライト……あたしは」

「考える余地はあると思う。凄い話じゃないか。ジアの凄さが、才能が、認められてる。王都に、王様にだ。――チャンスだよ。ジアに、やっとチャンスが巡って来たんだ」

 そう、これはチャンスなのだ。フリージアが輝けるチャンスなのだ。――弱くなった自分と、フリージアとの、決別のチャンスなのだ。



 家に帰り、ライトの両親に事情を説明した。

 両親は、フリージアが望むならずっとこの家に居るのは構わない、決して疎ましくなんて思わない。でも、将来の事を考えるというのは悪い事ではない。簡単に決めず、真剣に向き合ってみてはどうか。――そうフリージアにアドバイスした。

 そう諭されてしまうと、フリージアも考える様になった。自分のこれからの事。

 わかっている。自分ももう直ぐ大人になる。その時どうしているのか。どうしていたいのか。

 答えは本当は出ている。でもそれが、正解かどうかがわからない。――正解である証拠が欲しい。誰かに正解だと言って欲しい。そんな葛藤の日々を過ごしていた。

「……ふーっ」

 そしてフリージアがそんな葛藤の日々を送っている事を、ライトは重々承知していた。――自分から何か言ってしまえばフリージアの心が揺らぐ。それは間違いだと思い、自分の意見を言うことは避けていた。

 最も、今自分の意見を並べてしまえば、それは――ガチャッ。

「おかえり」

「うおびっくりした」

 部屋に戻ったら自分より先に風呂に入って上がったフリージアがいた。少し残る湯上りの気配と寝間着の為か薄着でライトのベッドに腰かけていた。心臓に悪い。――色々な意味で。

「少し話がしたくて」

「……そっか」

 フリージアから一間空けて、ライトもベッドに腰かけた。

「あたしはね、自分が変わり者だとは思ってたけど、凄い人間だなんて思った事は無かった。今だってそう」

 当然、話したい内容など決まっている。

「でも、実際にスカウトが来ただろ」

「そうだね。偽者じゃないと思うし。驚きはあるけど、嬉しいとかそういうのはあまりない。実感がないのかな」

 実際、話を貰ってからフリージアは嬉しそうにしている様子は見られなかった。そして悩んでいる時点で、断る事を念頭に入れているのだ。

「俺は嬉しかったよ。ジアが、王都の人間に認められてるっていうのは」

 これは本当だった。嫉妬は無かった。フリージアの実力も才能も知っていたから。

「だから、ジアが行くっていうなら、俺は応援する」

 それが二人の別れになったとしても、そういう運命なんだと。――そこまでは、思っても口には出せなかった。

「じゃあ、もし行かないって言ったら?」

「それは……」

 この生活が、まだ続く。――自分の不甲斐なさを思い知らされる生活が、続く。

 今回の話を蹴ったとしても、いつかフリージアは才能の無くなった自分を置いて、釣り合わなくなった自分から離れて、別の場所に行く。そんな気がしていた。――それが遠くだったらまだいい。でもたとえばこの街の違う誰かだったりしたら。

 それは屈辱。惨め。それこそ笑ってフリージアを見送る事など出来ない。――その被害妄想に、ライトは辿り着いていた。だったら、今。この機会に、今の内に、終わりにしておけばいい。……終わりにさせて欲しい。

「……どうなんだろう、な。……でもさ」

「うん」

「俺はジアが居なくなっても、平気だから。だから、俺の事は気にしないでくれ」

 言葉を濁した。綺麗な言葉で誤魔化した。――綺麗な思い出で、終わりにしたかった。それが弱さだとわかっていても。

「……ねえ、ライト」

「うん?」

 フリージアは一間あったライトとの間をずれて、肌が触れ合う程の距離に座り直す。そのまま無言で、少しだけ俯いたままフリージアはそこにいた。

 その行動の意味がわからない程ライトは鈍感でもなかった。フリージアが何を求めて、何を言って欲しいのか。その為だったらどうすればいいのか。その為の行動で、その為にそもそも部屋に居たのだと、全てを察した。

「……っ」

 だからこそ、ライトは余計に辛くなった。自分はもう何もしてあげられない、何もしちゃいけないと、心に決めたのだから。フリージアの隣で、全てをさらけ出してしまいそうになるのを、必死に堪えた。

 そこからどれだけ時間が経っただろう。実際わずか二、三分だったが、まるで永遠の様に感じるその時間は、

「――もう少し、自分で考えてみるね。……おやすみ」

 フリージアが立ち上がり、ライトの顔を見る事無く、部屋を出て行った事で終わりを告げた。――バタン。

「…………」

 フリージアが座っていた場所に残る、温もり。――それはあっと言う間に冷めていってしまうのだった。



 そして、アカデミーのスカウト紳士が、ライトの家へやって来た。

 今度はライトの両親も交え、五人での話。紳士はやはり礼儀正しくライトの両親に挨拶をすると、アカデミーの説明とフリージアの才能の高さ、スカウトに至った理由を説明した。

「ですので、後はフリージアさん次第、というわけなのです。どうでしょう? 彼女には大きな才能がある。特待生として来て頂ければ、将来も安心です。彼女の為を思うなら、私は来て頂く事を推奨します」

「そうですか……」

 ライトの両親からしても、まったくもって悪い話ではなかった。これ以上ない位の好待遇。将来花開かせるチャンス。今まで苦労してきたフリージアが報われるチャンスと言っても過言ではなかった。

「…………」

 だが、肝心のフリージアが俯いたまま口を開かない。

「フリージアちゃん」

「おばさん……」

「正直に言っていいのよ。貴女の事なんだから、正直に言っていいの。貴女は、どうしたい?」

 ライトの母親は見抜いていた。愛すべき人達を失くしたフリージアは、今のこの孤独じゃない生活を捨てたくないと。愛する人から離れたくないと。

「あたしは……あたしは、その……っ! ねえ、ライト、ライトは……どうして、欲しい?」

「っ!」

「答えて……ライトは、あたしに、どうして欲しい……?」

 そしてそれを、後押しして欲しい。自分から誰かに近付く事に怯えている彼女は、大切な人を自分から作る事に怯えている彼女は、誰かに――誰よりも今大切な人に、居て欲しいと言われたいのだと。

「ジア。俺は……行った方がいいと思う。行くんだ」

「!?」

 そしてライトはそのフリージアの想いを汲んだ上で、決定打を放った。

「どう……して……? ライトは、あたしに居て欲しくないの……? あたしが、邪魔なの……!?」

「そんなわけ……ないだろ」

「なら――」

「でも俺は、ジアはもう俺の居ない世界へ行ける人間だと、行くべき人だと思ったんだ。だから――」

「っ!」

 ガタッ!――たまらなくなったか、フリージアが椅子を倒す勢いで立ち上がり、走って玄関から外へ出て行く。

「ジア!」

 ライトは急いで追いかけた。決着をつける為に。――全てを、話す為に。

 気付けばいつもの広場に来ていた。皮肉にも、始まりの場所と、終わりの場所が、同じになろうとしていた。フリージアの足もそこで止まり、その背中をライトが見つめる形となる。

「……あたしが欲しかったのは、新しい栄光の道なんかじゃなかった。平凡で、あり触れて、でも大切な人が傍にいてくれる、優しい世界」

「……ジア」

「あたしの才能って何? 才能があったら、それを使わないといけないの? だったら、こんな才能なんて、無ければ良かった」

 才能がいらない? 無ければ良かった、だって……?

「それは……俺に対する哀れみなのか?」

「……え?」

 フリージアが苦しみをさらけ出した時、ついにライトの心の鍵が、壊れた。

「俺はもう、お前の隣には立てないんだ」

「どういう……意味?」

「気付いてるだろ? 俺がもう、すっかり弱くなってる事。昔みたいに、ジアの動きや作戦についていけなくなってる事」

「それは……でも」

「でも、お前はいつでも俺の傍にいてくれたよな。いつでも気を使ってくれてたよな。嬉しかったよ。でもそれ以上に、辛かった。情けなくて、悔しくて、全てが嫌になり始めてた。お前と一緒にいると、お前の事が嫌いになりそうで、怖かった。いつかお前が、俺との出会いと、全てを後悔しそうで怖かった」

「何……それ……何なの……それ……! そんなわけない、そんな事するわけない! あたしは……あたしは、ただ、ライトの事が……!」

 最初からライトに実力が備わっていなければ違う未来もあっただろう。フリージアの隣で、フリージアを支える未来を迎えられただろう。

 でもこれは、衰えていくという稀な体験をした、ライトだけの苦しみ。それをライトは、一年以上抱え込んだのだ。

「これ以上俺に惨めな真似させないでくれよ!」

 そしてライトは、叫んだ。悲しみのままに、叫んだ。

「っ!」

「俺は……もう、どれだけ頑張っても、お前の隣が、歩けないんだよ……俺は、お前には相応しく無いんだよ……もう、俺は……」

 フリージアはもう振り返っていた。でもライトは顔を俯かせてしまい、その表情が怖くて見れない。

「隣に居てくれるって……言った」

「………」

「あたしが寂しくならないように、絶対に居てくれるって……言った」

「……っ……」

「絶対に守ってくれるって……言った! あたしの勇者様になってくれるって、言った!」

「だから、それはっ」

「嘘つき」

 そこでライトは視線を上げた。視界に入ったフリージアの表情は、悲しみと、怒りと、寂しさと、困惑と。

「…………」

 嘘つき。――その一言に、何も反論出来なかった。その通りだった。……どうして俺はあの日、あの約束をしてしまったのか。後悔しかなかった。

「嘘つき……嘘つき!」

 同じ言葉を何度もぶつけてくるフリージア。ライトはただ、その言葉に打たれていくだけ。

「何とか言ってよ……何か言ってよ……ねえ!」

「…………」

 言えるわけないじゃないか。今更俺が何を言える? 今俺が何を言っても、もう誰も救われないじゃないか。――俺もジアも、救われないじゃないか。

 やがてライトが反論しない事を察すると、フリージアは歩き出し、ライトの横に差し掛かった時、

「嘘つき。……さよなら」

 そう言い残して、ライトの家へと戻って行った。


 そこからの事は、ライトはよく覚えていない。

 わかっているのはフリージアがアカデミーの話を受け、わずか二日後にライトの家を後にしたという事。

 そして――フリージアに、一生消えない傷を与えたという事。それだけだった。

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