第204話 演者勇者と「あこがれのゆうしゃさま」9
「ジア、遅いな……」
こちらライトの家。今日はフリージアが食事を作りに食べに来る日だった。いつもならもう来て母とキッチンに入っているような時間帯なのだが、今日に限って姿を見せない。当然約束を反故にしたり、遅刻したりする様なタイプの人間でもない。
「母さん、俺ちょっとジアを迎えに行ってくる」
「そうね、行ってらっしゃい」
ひと昔前のライトならそこまではしなかったかもしれない。でも今は状況が違う。少し心配過ぎる位が丁度いいかもしれないと、自ら迎えに行く事に。
ライトとフリージアの家はそこまで離れておらず、そもそもヘイジストの街自体がそう広い街でもなく、少し歩けば直ぐにフリージアの家が見えて来た。
「……?」
が、見えてきたフリージアの家の玄関のドアが、閉まり切ってない。半開きだった。――少しだけ、嫌な予感がした。
「ジア、居るのかー?」
そのままドアを開け、顔だけ覗かせ、声を掛けてみる。すると直後、ドサッ、バタッ、という物音が聞こえてきたかと思うと、
「な……ジア!?」
家の奥から、フリージアが走って来た。服は開け、下着は大きくずれ、結果色々と丸見えの状態で。
「っ!」
ライトは急いで視線をずらす。――見てはいけない。瞬間的にそう思った。
「出てっ!」
そのままフリージアに押し出され、二人で家の外に。バン、と玄関のドアを閉めると、フリージアは前開きになった上着を手で押さえながら、その場にしゃがみ込んでしまう。
「ジア、大丈夫か!? 何があったんだよ!?」
どう見てもただ事ではない。急いでライトもしゃがみ、服の奥からは視線を反らしつつもフリージアの顔を見て話す。
「何でもない」
「何でもないわけないだろ!? 誰にやられたんだ!? 直ぐに街の憲兵所に行って――」
そしてこの状況でフリージアが「何を」されたのか、されかけたのかわからないライトではない。そして当然その相手が誰であれ許すつもりもない。
「違うから。何でもないから」
だがそれでもフリージアは何でもないと言う。――おかしい。ジアは苛めっ子や犯罪者に屈するような性格じゃない。それなのに何で今回に限って泣き寝入りしようとしてるんだ? 泣き寝入りしなきゃいけない相手。ジアが、黙っていて欲しい相手。
その可能性が浮かんだ時、直ぐに一つの仮説が浮かぶ。――それは、何よりも最悪な仮説ではあったが。
「もしかして……おじさん、か?」
「……っ」
確かめないわけにもいかない。その禁断の問いをすると、返事をしないフリージア。だがその態度が全てを物語っていた。――嘘、だろ……傷付いてる、自分の娘を……!?
「っ!」
気付けば怒りのままに、ライトは再びフリージアの家のドアを――
「待って!」
――開けようとした所で、服の裾をフリージアに掴まれ、止められる。
「何でだよ!? 何も、何もなかった事になんて出来るわけないだろ、しちゃ駄目だろ! いくら相手がおじさんだからって!」
「大丈夫。「最後までは」されてない」
「度合いとかの話じゃないだろこれは!」
「でももう、いいから」
「もういいって、何が――」
「もういいの。もういいから。だから」
辛そうな、寂しそうな表情でライトにそう訴えるフリージア。その表情を見ていたら、ライトの足もそれ以上は動かなかったのだった。
フリージアが急いで服を着直し、ライトと二人、街を歩く。
道中、いつもの、そして二人が初めて出会った広場に差し掛かると、フリージアの足がそちらに向いた。ライトも素直に後に続く。時刻と共に流れる夕焼けが綺麗で、切なかった。
「ここで、初めて出会ったんだよね」
「そうだな」
フリージアがベンチに座る。あの日、ベンチで一人本を読んでいたフリージアに声を掛けたのが始まり。――全ての、始まりだった。
「実際驚いた。あたしと仲良くしてくれる物好きは、ライトだけだったから」
「そうやってまた自分を卑下する」
「本当だから。でも、だから、嬉しかった」
目を閉じれば思い出される、思い出達。
「それから毎日ライトと一緒に遊んで、勉強して、訓練して。何年かしたら、調子に乗って二人で出かけ始めたね」
「調子に乗ったわけじゃない。俺は、ジアが居てくれたから色々な所に行けた」
「それはあたしだって同じ。一人じゃあんな事しないし、あんな事したってつまらない」
かけがえのない存在。それは口に出さずとも、お互い一緒の想いだった。
「そうやって毎日過ごしてる内に、帰って来ると――お母さんが、出迎えてくれる様になった」
「…………」
ライトの中で思い出される、フリージアの母との出会い。優しい笑顔が綺麗で印象的だった。でも、その感想を口に出せない。
「帰り道、ライトとの事、全部報告してた。お母さんは、いつでも嬉しそうに聞いてくれてた」
「ジア……」
「そうしてる内にすぐ家について、お父さんで三人で食事。お父さんもライトとの事を聞きたいって言うから、もう一回お母さんに話したのにって言いつつ、あたしも嬉しくて話した」
「ジア……っ」
「毎日毎日、楽しかった。ライトと一緒にいて、帰ったらお母さんとお父さんがいて、楽しかった。楽しかった、はず、なのに」
順調だったフリージアの口調が、崩れ始める。ライトは何もしてあげられない自分を恨みつつ、せめてもと隣に座り、フリージアの震える手を握った。
「どうして……? ねえ、どうしてこうなったのかな……? あたしはただ、家族で静かに、仲良く、普通に暮らしてたかっただけなのに……!」
フリージアの手を握り締めたライトの手の甲に、フリージアの涙が零れ堕ちる。
ああ、本当だよ、何でこうなったんだよ。どうしてこんなにジアが苦しめられなきゃいけないんだよ。誰だよ、こんなにジアを泣かせるのは。どうして、こんなに泣かせたんだよ。お前等、ジアにとって、ジアの……!
ライトの怒りの言葉は喉まで出かかってそれ以上は出ない。それを口にすれば、フリージアが傷付く。それがわかっていたから。
「ねえ。全部、あたしのせいなの?」
「そんなわけないだろ、お前が何したって言うんだよ!」
「だって言われたの! お父さんに、お前を見てるとお母さんを思い出す、お前なんていなければ良かったって! お母さんだって、あたしがいなければもっと早く、自由になれたんだよ! あたしの、あたしのせいなんだよ!」
「違う! それだけは絶対に違う! おじさんも、少し疲れてるだけだって、お前の事そんな風に思ってるわけないだろ!」
その言葉は気休めだった。本当はそう思っていてもおかしくない。――でも、そんな事は口が裂けても言えない。
「疲れてる? そう、そうかもね。……あたしも、疲れちゃった。……楽に、なりたい」
「っ! 馬鹿な考えは止めろよ!」
フリージアの言葉の意味に、本気の恐怖をライトは感じた。このままでは、本当に。それだけは、それだけはさせない。――ライトはフリージアの両肩を持ち、自分の方へ無理矢理顔を向けさせた。
「だって……! もう、誰も……!」
「俺が居る、俺が隣に居てやる! お前が寂しくならない様に、絶対に俺は居るから! 俺だけは、絶対に!」
「っ……ああ……ああああああっ!」
そしてフリージアはライトの胸にしがみ付いて泣いた。胸ぐらを弱々しく掴み、ただただ泣いた。ライトもただ優しく、そんなフリージアを抱き締め続けた。
その時間がどれだけ過ぎただろう。気付けば夕焼けも別れを告げ、辺りは暗くなっていた。フリージアの涙こそ止まったが、お互いその体制のまま、動けずにいた。
「昔読んだ勇者様の本で、こうやってお姫様を慰めるシーンがあったね」
「あったな」
「あたしはお姫様じゃないし、お姫様にはなれないけど」
そこでフリージアはやっと顔を上げ、ライトを見る。
「ねえ、もしあたしがライトにとってこれからも最高のパートナーだったら、ライトは、勇者になってくれる?」
パートナー。そこには色々な意味が含まれているだろう。今そこでフリージアが何処まで考えているかはわからない。
「ああ、なるよ、俺が勇者になる。だから、お前はもう泣かなくていい。辛いこと、思い出さなくていい。俺が絶対に、守るから」
それでも、その全てを受け止める想いが、その時のライトにはあった。自分なら、自分だけはやれる。そう信じて。そう誓って、その時、その約束をした。
その約束が、また一歩、終わりを奏でる約束だとは知らずに。
「……勇者君さあ」
「……何だ?」
途中から、二人がグラスを空けるペースは遅くなっていた。話に集中するライトと、それを聞くレナ。
「思ってた以上に話が重いんだけど。身内の強姦未遂とか。え、ちゃんと私がその手の話を聞かせていい年齢か確認した?」
「待って下さいレナさんおいくつだったんですかてっきり俺と同じ位だと思ってましたけど」
いつもの軽口も、何処か軽くなり切れない。
「俺だって話ながら考えたよ、誤魔化して話すべきかどうかとか。でも、隠して曖昧になっても何か違う、全部話すって決めてここへ来たからさ」
「まあねえ。ご想像にお任せしますとか突然言われても困るわ」
「でも、聞かせて気分を害したならごめん、謝る。――続きが聞くのが嫌になったら、もうここで止めていい」
「馬鹿言わないでよ、ここまで来て終わりとか気分悪過ぎでしょ。全部聞くし、逃げないって」
逃げない。――その言葉に、ライトは少しドキリとする。偶然ではあるが、ここからの話に大きく関わるフレーズだからだ。
「だって、肝心のポイントがまだ何も語られてないじゃん。――君が、フリージアを傷付けた理由だよ。本編そこでしょうに。普通ここまで来たら君とフリージアはハッピーエンドだっての。私が知ってる君なら特に、ね」
「レナが知ってる俺、か……」
「何したん? フリージアの両親フルボッコにしたとか?」
「いや、結局おばさんは手がかりすら無し、おじさんも事件を起こした後、直ぐに街から姿を消した。当時の俺達……俺と俺の両親は、もうそれ以上ジアの両親は探さないと決めた。探して見つけてももう元には戻らないし、何よりもジアがもう二人に会う事を望んでなかった」
「まあそうだろね。私がもしフリージアだったら会いたくなったらそれは復讐だわ」
「俺達一家は、俺は、兎に角ジアを守ると決めた。今ジアは人生で不幸のどん底にいる。ここからまた幸せになる道を、俺達で手助けして行こう。そう決めた」
「じゃあ、どうして」
「その頃……正確には、そのちょっと前位からだったんだよ。――俺の、成長期がもう限界を迎えてたのが」
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