第203話 演者勇者と「あこがれのゆうしゃさま」8
「♪~」
ライトの家、台所。ライトの母親が鼻歌混じりに晩御飯の支度をしていた。
「おばさん、手伝います」
そこに姿を見せたのは、親子で強引に連れてきたフリージア。
「あら、座って待ってくれてていいのに」
「お願いですから手伝わせて下さい。祝い事でもないのに何もしないのは気が引けます」
実際に不満気な表情のフリージアを見て、つい笑ってしまう。――真面目な子なのね、本当に。
「じゃあ、手伝って貰おうかしら。――そっちお願い出来る?」
「はい」
そのまま二人で並んでの晩御飯の支度が始まった。
(……あら)
チラリと隣を見れば、本当にフリージアの動きは手慣れていた。主婦歴が長いライトの母親が見ても感心するレベル。中々十代前半でこの動きは出来ない。
「お料理好きだった?」
話の種にそう尋ねた。このままいいお嫁さんになるわ、ウチの子に、なんて考えていると。
「母に教わってました」
フリージアは動揺する事無く、そう答える。
「私は好き嫌いとかは無かったんですけど、母が――」
『――それで、ここで隠し味を入れるとより美味しくなるの。ジア、お母さんの味好きって言ってたでしょ? その味の秘密が、これ』
『ふーん……でもやっぱり自分で作るよりも、お母さんに作って貰ってる方が美味しいんだけど』
『それはそうよ。お母さんの方がキャリアが違うし、何より大切な人に作って貰えるのはより美味しく感じるの』
『同じ作り方でも?』
『そう。だから、ジアにも教えてあげる。ジアが、誰かに作ってあげられるように』
「…………」
今思えば、あれも一日でも早く、ここから去りたかったから、自分に教えていたのか。――そう思うと、母親に教わった全ての事が、恨めしく思えてくる。
「フリージアちゃん」
「……あ、ごめんなさい。はい、母に教わったんです。だから」
「ごめんね、思い出させちゃって」
そう言って、ライトの母親は、
「あ……」
優しくフリージアを抱き締めた。
「だから、って言うわけじゃないけど……おばさんの前で、無理しなくていいよ。泣いてもいいから。内緒にしておいて欲しいなら、内緒にしてあげるから」
「っ……」
フリージアの肩が震えた。涙がゆっくりと零れ落ちていく。――そのまましばらくライトの母親はフリージアを抱き締めて、優しく包み込むのであった。
「おお、今日は豪勢じゃないか」
「本当だ……」
そして夕食の時間。テーブルの上に料理が並べられ、ライト一家とフリージアの四人がそれぞれ椅子に座る。今日のメニューはいつもよりも凝っており、ライト父子が目を丸くする。
「フリージアちゃん料理上手だからつい対抗しちゃって」
そのまま四人でいただきますを言い、料理に手を伸ばす。
「なあ、ジアはどれ作ったんだ?」
「内緒。美味しくないのバレたら嫌だから」
「ライト、きっと一番美味しいのがフリージアちゃんのよ」
「おばさん、ハードル上げないで下さい」
「どれも美味しそうだけど……じゃ、一通り」
ぱくぱくぱくぱく。――各種、とりあえず一口ずつ食べてみる。ライトの父親も知らないので、一通り食べてみている。
「さ、二人共どれが一番美味しかった?」
笑顔でライトの母親がそう尋ねて来る。外して怒られるわけではないだろうが、何故か二人共緊張が走った。
「ど、どれも美味しかったぞ。お父さん幸せ」
はっはっは、と笑って誤魔化す父。彼の場合フリージアの料理を当てたら正解なのか不正解なのかわからないのもあったのだろう。
「じゃあお父さんは後でお説教として」
「ええ!?」
「ライトは? 正直に答えてあげて」
正直に。素直に。実際どれも美味しかったけど……
「――これ!」
意を決して鶏肉のソテーを指差した。ソースの味付けが自分好みで敢えて一番を選んだらそれだった。これでもう後戻り(?)は出来ない。
「…………」
「…………」
訪れる僅かな沈黙。え、何、と思っていると。
「ライト」
「う、うん」
「ライトが指差した料理、フリージアちゃんの自信作」
「!」
見事にフリージアの料理だった。
「マジで!? 本当にこの中で一番美味しかったぞ!」
「……そう」
ハッとして見れば、フリージアは冷静に食事を――
「凄いなジア! 俺この味付け凄い好きだよ! びっくりした、また今度違うのも作ってみてくれよ、食べてみたい!」
「わかったから、冷める前に食べたら?」
――冷静に食事をしている様で、視線を若干ライトから外し、頬は少し赤かった。ライトは気付かなかったが、父母からしたら一目瞭然の照れ具合だった。
フリージアがライト一家と食事を共にして以来、定期的にフリージアがライトの家に食事をしに行く日が出来た。
本当は毎日でも呼びたいライト一家であったが、フリージアが遠慮と、フリージアの父親がいつ家に帰ってくるかもしれないので毎日は行けないという想いがあり招待を拒み、週に三日四日位のペースで足を運ぶ様になっていた。
フリージアとしても、本音を言えば毎日でもライトの家にお邪魔したかった。あの家は暖かく、全てを忘れさせてくれた。――だからこそ、毎日は行けない。甘え過ぎはライトへの負担になる。それは嫌だった。
それでも行く日が楽しみな事に違いは無かった。ライトの母親と一緒に料理を作り、食事をし、四人で談笑。今のフリージアの一番の楽しみであった。
そんな日が出来て、一か月程経過した日の事だった。
「……これで良し、と」
今日はライトの家に食べに行く日。家を留守にしている間、父が帰ってきて心配したら困る。なので、必ず手紙と、可能な時は何か食事を用意して残して行く様にしていた。……見られた様子は今まで一度も無かったが。
思えば最後に父と会話をしたのはいつだろう。あれ以来、完全にすれ違いの生活を送っていた。時折夜中に家にいる気配を感じるが、朝には居ない。偶に見かけても寝ていたり。
それでも、フリージアは父への想いや行動を蔑ろにはしなかった。父親の事も勿論好きだったし、何より……残った、たった一人の家族なのだから。
(いけない、また暗い顔をしてると指摘されちゃう)
気持ちを切り替え、出発の支度。あの家にいる間は楽しむ事を決めていた。今日も手紙を残して――ガチャッ。
「あ……お父さん」
ドアの開く音がして、見れば父が外から帰って来た所だった。この時間に姿を見るのは久々だった。――丁度いい。
「お父さん、お父さんも一緒にライトの家に行かない?」
出来れば、一度父も一緒に連れて行きたかった。あの空気に触れ、父も少しでも気が楽になれば。そう思っていた。
「ライト君の……家に?」
「一緒に夕飯を食べてるの。あたしも料理作ってる。この前も美味しいって言って貰えた」
そこまで言って気付く。父の目は少し虚ろで充血しており、この位置からでも酒の匂いがする。――この時間から、酒に溺れていたのだ。酒に逃げていたのだ。
「ジアが……料理を」
「そう。だから、一緒に行こう?」
それに気付いた以上、何としてでも連れて行きたいと思った。ショックが全て消えるわけがない。それでも、少しでも、ほんの少しでも和らいでくれたら。そう、思った。
「そうか……ジア、大きくなったな……綺麗になったな……」
だが、そのフリージアの想いが、優しさが、彼には届かなかった。
「お父さん……?」
覚束ない足取りで、ゆっくりとフリージアに近付き、
「まるで、若い頃のお母さんを……ジュリアンを……見てる様だよ……ジュリアン……」
そう言いながらフリージアをやはりゆっくりと、でも力強く抱き締めると、
「え……っ!?」
ドサッ。――そのままフリージアをソファーの上に押し倒し、自らは馬乗りになる。
「ジュリアン……どうしてだ……どうしてなんだ……? 俺は、君の事をずっと大切にしてきた……愛してた……」
「お父……さん……!? よく見て、あたし、フリージア、お母さんじゃない」
「君も、俺の事を愛してるって言ってくれたじゃないか……なのに……なのに……どうしてなんだ!」
次の瞬間、父はフリージアの服に手をかけ、前開きだったその服のボタンを一気に強引に引きちぎった。
「っ! きゃあっ!」
悲鳴と共に露わになる、フリージアの肌、下着、そして大人へと近付いていたその体、乳房。――父が自分に何をしようとしてるのか理解し、フリージアの心が一気に追い込まれる。
「お父さん、駄目! こんな事をしても、されても、お母さんが帰ってくるわけじゃない! あたしはお母さんじゃないの! お願い!」
「ジュリアン……君は、君はずっと俺の最愛の人だ……これからも、ずっと……!」
そして気付く。――父の目は、自分を捉えていない。自分を母に挿げ替えて、幻を見てしまっている。疲れた心が、彼に幻を見せているのだ。
「ジュリアン……!」
そのまま父はフリージアの胸の谷間に顔をうずめ、フリージアを抱き締めながら体中をその手で弄り始める。徐々に確実に乱れる衣服、露わになっていく肌。
「駄目……っ! お父さん、お願いだから……! 目を、覚まして……あ……っ!」
フリージアも必死に振り解こうとするが、体格差もあり引き剥がせない。これが明確な強姦相手だったら魔法を撃ってもその辺に落ちてる本でも花瓶で殴っても良かった。だが相手は父。自分と同じく傷付いた父。その傷が見せている幻覚。その事を思うと、強い行動に出れない。
短くも長く感じるその行為、父は一度手を止め、再び顔を上げた。親子の視線が再びぶつかる。
「……ジア……」
「っ!」
自分の名前を呼んだ。母ジュリアンと、娘フリージアが混同しているのだろう。でも、まだ認識出来る隙間があるのなら。
「お父さん! あたしは――」
「本当に、良く似てるよ……お前を見てると、お母さんを思い出すんだよ……お前が居なかったら、お母さんは出て行かなかったのか……? お前が居なかったら、お母さんを思い出す事も無いのか……?」
だが認識の余裕は、更に父の心を追い詰めるだけであった。
「お父、さん……」
「お前なんて……居なければ、良かった……」
「っ!」
そして、決定打が撃たれた。その父の言葉は、フリージアがせめて守ろうとした父を、家族を、諦めさせた。
「…………」
体に力が入らなくなり、抵抗を止めた。父だった物を見る気は起きず、天井を見上げた。
父も無抵抗となったフリージアに、再び手を伸ばした。上半身をより開けさせ、先程よりも更に素肌を露わにさせる。そのままフリージアの体を弄るその手は暖かく――冷たい。
少しして父は体をずらし、ゆっくりとフリージアのスカートにも手を伸ばし始めた。最後の一線が近付く。――フリージアは目を閉じた。不思議な位冷静だった。でも、優しかった、大好きだった父と母の笑顔は、もう思い出せない。代わりに脳裏に浮かぶのは、
(……ライト)
両親の他に唯一、自分をジアと呼ぶ一人の少年の姿だった。ああ、今日は何を作ってあげようかな。そんな事をふと思ってしまった。――声が、聞きたい。もうでも聞けないのかもしれない。そんな風に思った、その時だった。
「ジア、居るのかー?」
「!」
その声が、フリージアの家の玄関から、聞こえてきたのだった。
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