第202話 演者勇者と「あこがれのゆうしゃさま」7

「お母さんが……居なくなった……?」

 朝、ライトの家を訪ねて来たフリージアの口から出た言葉。ライトは一瞬、皆が何を言っているのかわからなくなる。――居なくなる? 何で居なくなる? 昨日まで、普通に居たんだろ? 収穫祭のあのジアを、俺に見せてくれたじゃないか。

「朝起きたら……もぬけの殻で……テーブルの上に、この手紙が……」

 フリージアが促す先には、一枚の封筒。そこに、小さく繊細な字で「ジアへ」と書かれていた。

「それ……ジアの、お母さんからなのか……? 俺が、見てもいいのか?」

 フリージアが頷く。ライトはゆっくりと封筒に手を伸ばし、中の便箋を取り出し、目を通し始めた。


『ジアへ


 突然の事でごめんなさい。お母さんはジアに直接お話する勇気がどうしてもありませんでした。なので、こうしてお手紙にしてお話します。


 お母さんには、ずっとずっと、大好きだった人がいました。お父さんとは違う、別の男の人です。若い頃、結婚の約束をしていました。でも、お互いの事情でお別れしました。その時、一度は諦めました。

 それからお父さんと出会って、お父さんと結婚して、ジアが産まれました。優しいお父さんの事は好きでした。可愛いジアの事が大好きでした。二人に囲まれて、お母さんは幸せでした。

 でも、心の何処かに彼の事が忘れられない自分がいました。消えない彼への愛情。自分だけが幸せになっている罪悪感。それが、どうしても無くなりませんでした。


 そんなある日、奇跡的に彼と再会する事が出来ました。彼はまだ独身で、あの頃のまま、本当に魅力的なままでした。お母さんの消し切れなかった想いが、直ぐに溢れ出て来ました。この人と一緒になって、本当の幸せが欲しい。そう思いました。

 でもお母さんにはその時まだ幼かったジアが居ました。お父さんの事が好きなジアをお父さんから引き離す事は出来なかったし、幼いジアを見捨てる事はお母さんにも出来ませんでした。


 だから――ジアが、成長するのを、待つ事にしました。

 ジアがお母さんが居なくなっても大丈夫になるまで、待つ事にしました。


 ジアは賢い子でした。お父さんにもお母さんも驚く位、小さい頃から何でも出来る子でしたね。

 でも、お友達を作ったり、お父さんお母さん以外の人と話をするのが苦手でした。何とかしてあげたいけど、無理矢理どうにか出来る事でもない。どうしたらいいのか、正直悩んでいました。

 だからあの日、ライトくんと一緒に居るのを見て、驚きました。

 ライトくんが、「ジア」と呼んでいるのを知って、とても嬉しかったです。ジアにも、こんな素敵なお友達が、お父さんお母さん以外にもこんなに信頼出来る人が出来たんだな、って。


 ライトくんと知り合ってから、ジアは社交性も出来てきて、段々と大人になっていくのがわかりました。

 そして収穫祭。おめかしして、ライトくんと手を繋いで歩くジアを見て、ああ、もう大丈夫だな、って思いました。

 そう、ジアはもう大丈夫。お母さんが居なくても、大丈夫だから。


 だから、お母さんは、お母さんが本当に大好きな人の所に、行きます。

 本当にごめんなさい。許して貰えるとは思いません。

 だから、もうお母さんの事は忘れて下さい。ジアも、ジアだけの人生を、歩いて下さい。


 信じて貰えないと思うけど、お母さんは、遠くでいつまでも、ジアの幸せを願っています』



「うーわ、何じゃそれ。勇者君の淡い恋愛ストーリーが急降下かい」

 手紙の内容を話したレナの第一声はそれであった。表情は見事に呆れ顔。

「好きな人がいる、忘れられない人がいるってのは罪じゃないし、その人の所に行くってのもまあ一応罪じゃないんだけど、中途半端にフリージアの事を想っている分質が悪い。フリージアの事を本当に想ってるならそのやり方でどうなるか位想像つくだろうに。しかも年齢よ。その頃勇者君達十代前半でしょ? 人によるだろうけど、普通は背負える年齢じゃない」

「そうだな。ジアに対して俺がああだこうだ言う権利はもう無いんだけど、それでも俺はあの人は許せないよ。せめて、百歩譲ってジアに直接話をする位の気持ちは欲しかった。まあ言えないだろうけどさ直接なんて」

 それを話して笑顔で見送ってくれるわけがない。彼女は、ジアを綺麗な思い出のままにしたかったのだ。――それもまた、ずるいとライトは思う。

「で、結局フリージアの母親はどうなったん?」

「完全にそれっきりだよ。少なくとも俺はね。風の噂も聞かない。出て行く時、証拠も痕跡も何一つ残って無かったらしいから」

「成程。相当前もって準備されてた逃亡だったわけだ」

「多分ね。――でも、当時の俺はそれよりも、ジアの事が心配で仕方なかったよ。あんなジア、初めて見たから」



「な……んだよ、これ……っ!」

 手紙を持つ手が怒りで震えた。当時のライトも、十分に内容が理解出来た。その手紙をビリビリに破り捨てたくなる衝動を何とか抑え、手紙をテーブルの上に置く。

「お父さんとフリージアちゃんのお父さんが急いで探しに出てるけど……」

 ライトの母親が言葉を濁す。――探してももう見つからない。それが誰もが薄々わかっているからだろう。

「とりあえず、お母さん二人の様子見て来るから。あんたはフリージアちゃんの傍に居てあげなさい」

「……わかった」

 バタン。――ドアの閉まる音。部屋にはライトとフリージアの二人だけになる。ライトは椅子を引き、フリージアの隣に座った。

「…………」

 でもかけてあげる言葉が見つからない。

「大丈夫か?」――大丈夫なわけがない。

「きっと見つかるよ」――見つかるわけがない。

「何かの間違いだ」――ここまでの手紙があって間違いなわけがない。

 これは現実。昨日までの夢の世界が嘘の様な、現実なのだ。

「ライト」

「どうした?」

「……ごめんね」

 ハッとして見れば、フリージアは強く自分の拳を握り締めて、俯きながらそう告げて来た。

「ジアが謝る事じゃないだろ」

「ううん、ライトにはあたしが謝らなきゃ。あたしが、巻き込んだから」

「だとしても、気にするな。今は、そんな事考えるな。それに俺は迷惑だなんてこれっぽっちも思ってない」

 それはライトの本音だった。フリージアはライトにとって、もう大切な存在だった。助け合って当たり前の存在になっていた。迷惑だなんて、微塵も感じなかった。

「……ライト」

「うん?」

「手、握ってていい?」

 座りながら、横に差し出された手を取り、握り返した。昨日と同じその柔らかい手が、酷く弱く感じた。

「昨日、あの格好をライトに見せに行くの、怖くて、勇気が出なくて」

「そうなのか?」

「うん。そう言ったら、お母さん、優しく手を握ってくれた。大丈夫だって。そしたら勇気が沸いた。おかげで、ライトに綺麗、って言って貰えた。嬉しかった」

「……そうか」

「でも……夢だったのかな」

「ジア、それは」

「本当は全部夢で、ライトが綺麗って言ってくれたのも夢で、夢から覚めたら……お母さんが……居て……っ」

「……っ」

 ハッとして横を見たら、フリージアの目から、ゆっくりと涙が零れ堕ちていた。いつも冷静で、涙する姿なんて想像出来なかった。そのフリージアが、泣いている。――初めて見るフリージアの涙が、あまりにも儚過ぎて、ライトも泣きそうになるのを必死に堪えた。

 フリージアが母親に懐いているのはライトも重々承知していた。自分と仲良くなる前、心を許していたのは両親、特に母親だけ。その母親の言わば裏切りとも言い切れる行動。もしも自分だったらどうしただろう。

 自分だったら、何をしたら救われるだろう。――何をされても、何を言われても、救われない。その結論しか、無かった。

 それ以上は、フリージアは口を開かなかった。ライトも、何も言えなかった。ただ繋がる手の温もりだけが、全てだった。



「ライト、左!」

「ああ! よっ!」

 翌日から、まるで何事も無かったかの様に、フリージアはライトと行動を共にした。今日もポン達仲間内での模擬戦ごっこ。――最も年齢を重ね、昔よりもそれぞれレベルも上がっており、そろそろ「ごっこ」というフレーズも無くなる頃。

 ライトの心配が嘘の様に、フリージアの動きに乱れは無かった。相変わらずのライトとのツーマンセルによる無双は続いていた。寧ろライトの方が若干気にし過ぎて動きに乱れが出た位だった。

「ライトはもっとあたしのフォロー、援護を頭に入れた方がいい。あたしはライトの考えてる様に動いてみせるから」

「マジか、これ以上出来るか」

「うん。あたしはライトの近くにいる。絶対に居なくならないから。……ライトの隣に、居たいから」

「…………」

 でも、要所要所であの日から違う所。まず、言葉の端々に、ライトから離れたくないという意思が見え隠れする様になった。

「じゃあ、帰るか」

「うん」

 そして、二人で移動する時、必ずライトの手を取る様になった。ライトの存在を確かめる様に。……ライトを手放さない様に。

 ヘイジストは田舎町、そう広くも無い。フリージアの母親が去った事は、あっと言う間に街中に噂で広まった。防ぎ様も無かった。好奇の目で見る人間は、少なくなかった。今も数人の主婦のグループが、こちらを見てひそひそと話しているのが視界に入った。

「……大丈夫か?」

 つい訊いてしまってから気付く。確認すべき事じゃなかったと。

「大丈夫。仕方ないから。ライトが居てくれるし」

 でもフリージアは落ち着いた表情でそう答えた。ライトは心の中で一安心する。――今思えば、大丈夫なわけがないが、当時のライトはそこまでは気付けず。

「あれから……おじさんはどう?」

 気付けば事件から一週間経過していた。あれ以来、フリージアの父親の姿を見ていない事に気付いたライトは訊ねてみる。

「わからない。……あまり、家に居ないから」

「そう……なのか」

「うん。仕事なのか他の理由なのか。家に帰って来ない日も」

 フリージアの父親も被害者である。当然、大きな心のショックを受けてしまって、心境は変わってしまっていても可笑しくはなかった。――おじさん、大丈夫かな。ん? てことは、

「ジア、家に帰ったら一人なのか?」

「うん。まあでも、大抵の事は出来るから大丈夫」

 そういう心配じゃないんだが。……そんな会話をしていると、

「おかえりなさい」

「ただいま、母さん」

「こんにちは」

 ライトの母親が、道中二人を出迎えに来てくれていた。あの日以来、二人の帰りをこうして迎えてくれる様になっていた。――まるで、以前のフリージアの母親の様に。

「母さん、頼みがあるんだ。ジアに、晩御飯を家で食べさせてあげたい」

「ちょっ、ライト、あたしは別に」

 制止するフリージアを無視し、ライトは今フリージアがほぼ一人暮らしの状態になっている事を説明する。

「うん、ウチは全然問題ないわよ。フリージアちゃん、いらっしゃい」

「でも、あの、流石に」

「じゃあ俺達家族がジアの家に行くよ」

「余計に迷惑かけてるじゃないそれだと!」

「ならやっぱりウチでご飯ね。さ、行きましょ」

「え? あっ」

 空いていた方の手を、ライトの母親が取り、両方をライト親子に掴まれ、フリージアは半ば強引にライトの家に連れていかれるのであった。

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