第197話 演者勇者と「あこがれのゆうしゃさま」2
部屋から出てきたフリージアという名の女性。ハインハウルス総合魔術研究所の若きエースだと紹介された彼女の登場は、
「? 勇者君、知り合いなん?」
皆の予想外の展開を見せ始めていた。その名をニックネームで呼ぶライトに、そのライトを見て固まるフリージア。ライトはここの存在すら知らなかったはずなので、昔の知り合いか。
「――急用を思い出した。ソーイ、ここお願い」
「え? あ、ちょ、急用って凄い大事な用件だってここ! 王女様と勇者様が話……おーい!」
などと考える暇もほとんどなく、フリージアは手に持っていた説明用の資料と思われる封筒をソーイに押し付け、廊下の向こうへ逃げる様に走って行く。
「っ! 待て、待ってくれ!」
その姿を見て、ライトも直ぐに追いかける。周りは驚きの目で見ていたが、今はそんなのを感じる余裕もない。場所もわきまえず二人は全力で走り、
「ジア!」
ガシッ!――勝敗はライトに挙がる。何とか手を伸ばし、その肩を掴み、動きを喰い止める。
「触らないで!」
バシッ!――だがフリージアはそのライトの手を強引に振りほどく。走り疲れたか逃げる事は無かったが、振り返る事もしない。
「ジア……その、俺」
「勇者様が来るって聞いた。本物じゃないけど、でもそれ相応に頑張ってる人だって聞いてた。本人は実力が一歩足りないけど、でも仲間との絆を大切にして、優秀な騎士団を作って、各地で戦功を挙げてるって名声を手に入れてるって聞いた。更にその名声に一切溺れてないって」
そのまま背中を見せたまま、フリージアは喋り始める。口調は落ち着いていた。
「努力の人。話聞いた時、格好良い人もいるんだな、って思った。身分に囚われず、困難に仲間と共に勇敢に立ち向かう。どんな人なのかな、って興味すら沸いた。あたしの事、少し位理解してくれる人だったらいいな、って年甲斐も無く夢も見た」
「話を聞いて欲しい。ジア、俺は、ただ」
「凄いね。王女様を副団長に、自分は団長の騎士団? 国王様にも認められ、このまま本物が見つからなかったらずっと勇者のまま? 凄い」
「ジア、そうじゃなくて、俺は」
「でも、その人がライトだってわかった今、ただの嫌味にしか見えなくなった」
そこでフリージアは振り返る。冷静に、冷静過ぎる冷たい目で、ライトを見ていた。ライトの知っているフリージアの目は、ライトの知らないフリージアの目をしていた。
いいや違う。知らないわけがない。この目はそう、あの日、最後に見たジアの目。――俺が、こんな風に、したんだ。
「何でわざわざあたしの前に現れたの? もう二度と、姿を見せないで欲しかった」
「違う、俺はずっとジアの事を忘れていなくて」
「しかもこれ見よがしに勇者の肩書を背負って。人を救って、仲間を増やして、その仲間達と一緒にまた誰かを救って。――あたしの前からは、逃げた癖に」
「っ……俺は……その……あの日、ただ」
「嘘つき」
必死に言葉を紡ごうとするライトの想いを、その一言は全て押し潰した。
「どうしてあたしは助けてくれなかったの? 他の人は助けてるのに、どうしてあの日のあたしは助けてくれなかったの?」
「…………」
俺が弱いから。俺が情けなかったから。俺が駄目だったから。――理由なんていくらでもある。でも、口にする力が湧いてこない。そんな情けない理由を並べて何になるだろう。
そして同時に、喉から出かかっていた言い訳も全て塵となって消えた。ずっと言いたかった想いも、心の奥底に逃げて行く。
生まれる沈黙。ただただ注がれる冷え切った視線。無意識の内に少しだけライトが視線を反らした直後、
「……嘘つき」
もう一度フリージアはその言葉をライトに投げつけると、再び振り返り、小走りで去って行く。
「ジア……」
そしてライトは、もう一度フリージアを追いかける事は出来ないのだった。
「えーっと……あの、どうしましょうか?」
あはは、と乾いた笑いを見せて、ソーイがそう切り出す。――ライトとフリージア。騎士団と研究所の両陣営から突然のハプニング。誰もが困惑を見せている。
ソーイからしても「あのフリージアが」という想いであるし、ライト騎士団からしても「あのライトが」という想い。一体何があったのか予測すら出来ない。
「ソーイ。今回の件、彼女抜きではまったく話が出来ませんの?」
次いで沈黙を破ったのはエカテリス。
「あ、いえ、ご説明しました通り、私も研究に携わってるので、フリージア程ではないですがちゃんとお話は出来ます」
「ならお願いしますわ。まったく出来ないのなら別ですが、出来るなら無駄足に終わらせるわけにはいきませんもの」
「姫様、私で宜しければライト様を探して参りますが」
リバールの申し出。確かにリバールの能力ならライトを直ぐに見つける事は可能だろう。
「いいえ、貴女はこちらよ。――きっと、ただ見つければ良い話ではないのだろうし」
「ですが、放っておくわけにも」
だがそのリバールの申し出をエカテリスは拒む。そして、
「勿論心配していないわけではないわ。――レナ、ライトの事は貴女に任せます」
「あー……」
レナの方に軽く向き直り、そう指示を出した。言われたレナは意図を察して軽く溜め息。
「王女様、私が行きます。レナさんは事件の当事者の一人ですし、その点私なら」
勿論周囲もその意図を察する。察した上でネレイザはそう直訴する。
「いいえ、貴女の気持ちはわかりますがレナに行かせます。当事者ではないとはいえ、貴女の魔術師としての才能は十分こちらで生かせますし。――レナ、お願いね」
だがエカテリスはその案も却下する。あくまでレナに行かせる。そう判断したのだ。
「……わかりました。まあ、行って来ますよ。護衛ですし」
勿論レナとて心配してないわけではない。あのライトに一体何があったのか。――あー、いつかこういう風に来るかなとか思ってたけど、今日だったかー。
「レナさん」
と、行こうとした所でネレイザに呼び止められる。ふと顔を見れば、心配と悔しさを足して二で割って五倍にした様な表情で。……分かり易いなあ、君はホントに。
そのままレナはネレイザの肩をぽん、と叩くと、小走りでライトを追うのだった。
誰も居なくなった廊下を見つめて、彼女が走り去った先を見つめて、どれだけ時間が経過しただろう。
実際はそう時間は経過していない。でもそれはかなり長い時間の様な錯覚をライトは覚える。――まるで、彼女を追いかけられなかったあの日の様に、空虚な時間がライトの周りに付きまとう。
「勇者君」
そんなライトを、少し現実に引き戻す馴染みある呼び声。勇者君。――勇者、だって?
「違うっ、結局俺は勇者なんかじゃない!」
そう、俺はいつまでも勇者になれなかった、偽者で、嘘つきで!
「いや、私もこの呼び方してるけど君が本物の勇者様じゃないってのは知ってるよ。まあでも私の何となくの気持ちだから」
振り返ればいつもの何食わぬ顔のレナが居た。
「……レナか」
「うん。探して来いって」
――振り返ったライトは、いつもの前向きなライトとは程遠い崩れた表情をしていた。わずか短時間で、ここまで疲弊する表情になってしまうのか。――それ程までの、再会だったんだ。
「そうか。……そうだよな、ごめん」
だが見慣れたレナの顔を見る事で、やっと少しライトに冷静さが戻る。突然走り出したら勿論こうなるだろう。ライトが逆の立場だったら同じ事をして当然だった。
「直ぐに戻るよ。皆待たせてるんだろ?」
「落ち着いてからで大丈夫だよ。姫様が残ったメンバーで話聞くって。――だから、少し落ち着きな。流石に今の君が大丈夫だと思ってる人は今誰もいないから」
「……そっか。……ごめん」
再びライトは謝ると、近くに置いてあったベンチに腰を下ろし、ふーっと大きく息を吐いた。レナも横に座る。
「昔の知り合いだったん?」
「……幼馴染だよ」
「そか。……ま、色々あるよね」
いつもの口調でそう言い切ると、それ以上はレナは口を自分からは開かない。
「……それ以上は訊かないんだな」
「だってさ、訊くとするじゃん?」
「うん」
「勇者君が答えてくれるとするじゃん?」
「うん」
「それに対してきっと私何も出来ないもん。だから訊かない」
ストレートで、でもレナらしい考えに、ライトもつい少し笑ってしまう。――いつしか、そんなレナが居てくれるのが当たり前で、心地良かった。甘えだろうか。
「まーでも、私なりに前々から君のその物理的な弱さと反比例する程の正義感は、何かしら過去に抱えてるんだろうな、とは思ってたよ」
「そうなのか?」
「勘だけど。それにさ、人なんて何かあって当然じゃん? 君だけ何もないのにあれだけ語るなんてあり得ないでしょ」
傷があるからわかる事がある。傷付けあってわかる事がある。――皮肉だよね。君を知れば知る程、今回の出来事に納得がいっちゃうよ私は。
「……成程、な」
ライトもそのレナの言葉に納得出来る部分が確かにあった。――もしかして、俺はもう一人の俺を一人でも多く作りたくなくて、駆けてきたのかもしれない。演者勇者として。
「さてと、それじゃ勇者君」
「うん。――ありがとう、気持ち落ち着いたよ。戻ろう」
本当は全然落ち着いてなんていない。まあでも、こうしてまともに話せるようになっただけでもマシ――
「こらこら、周囲をよく見てみたまえ」
と、戻ろうとしたライトに、レナはビシッ、と人差し指でおでこを押す。――周囲?
「周囲、って……何もないけど」
静かな廊下、ベンチ、人はライトとレナだけ。
「そう、何もない。君と私だけ。そして私は姫様に任せると頼まれた」
「うん、だからもう戻――」
「一任されたのであって、連れ戻せとかは言われてないんだなこれが」
ニッ、と不敵な笑みを見せるレナ。そして、
「サボってみない? 勇者としての、任務」
そう迷わず、ライトに提案するのであった。
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