第105話 演者勇者と学園七不思議13

「…………」

 感じる視線、はっきりと内容まではわからないが動きと端々に聞こえる言葉から推測出来る噂話。――アルテナのゴシップ疑惑発覚二日目。噂は予想以上に広がりを見せていた。

 覚悟はしていたつもりだった。それでも、その覚悟を越える好奇、嫌悪のオーラは、アルテナの心を工具で削るかの如く崩していく。見る人全てが敵に見えてしまう。

 実際、百人いたら百人がアルテナの敵ではないだろう。何よりも味方だと直接言ってくれたコウセ、勇者とその仲間達。その存在は心強かった。

 だが逆に言えば、それも無かったら既に壊れてしまっていただろう、それ程までの感覚。壊れそうな心を、ギリギリの所で繋ぎ止めて――バシャアン!

「!?」

 何処からともなく降りかかる水。避ける暇もない、アルテナは思いっきり頭から被ってしまう。

「っ、誰――」

 誰がこんな馬鹿な事を、と言いかけて回りを見る。そこにあったのは、被った水と同じ位に冷たい視線。……感じる「だけ」だった冷たい視線を、直接目で見てしまった。

「恥ずかしい、あんな所で水なんて被ってるわ」

「ははは、いい気味じゃん」

「下着透けてるわ。誘ってるんじゃないの?」

「前からあの人いい体してると思ってたんだよなあ。おい、ちょっと皆で裏へ連れていって「やらせて」貰わないか?」

 そして、追い打ちをかけるように浴びる暴言。それは、最早被った水を越える冷たさで。アルテナの残っていた心の牙城をあっさりと崩し、瓦礫としていく。

(どうして……こんなになったのかな……私、何の為に先生になったんだっけ……)

 ここにいる生徒達を守り、導く為に教師になった。まだまだ経験は浅いが、自分なりに必死に頑張っているつもりだった。なのに、どうして。自分が何をしたと言うのか。私は、何もしていない。

 もう、駄目かも。――全てが嫌になりかけた、その時。

「……え?」

 ふさっ、と自らの肩にかけられた上着。

「大丈夫ですか? 着替えは何かお持ちですか? 風邪を引く、直ぐに着替えた方がいい」

 見れば中年の用務員の男性が、タオルを差し出しながらそう告げてきた。周りを気にする事なく、優しい笑顔を向けてくる。

「ちぇ、いい所だったのに邪魔が入った」

「あの用務員、空気読めないわね、これからなのに」

「先越されたぜ、あのおっさんに美味しい所持ってかれる」

 当然矛先は用務員の男性へと切り替わる。至極真っ当な行動を取っても、現状では非難の的にしかならない。――アルテナの残った理性がその状況を苦しめる。

「私に優しくしないで下さい……関わらないで下さい……貴方まで、優しくしてくれた人にまで、迷惑がかかりますから……」

 だが、その絞り出すようなアルテナの言葉にも、男性は優しく首を横に振る。

「何かをする、誰かを助けるというのは、何かしらリスクを背負う物。覚悟も無しに、誰かに優しくはしませんよ。さあ、立って」

 男性はそのまま優しくアルテナを立たせ、周囲の視線などまるで気にすることなくアルテナを連れて生徒の輪を突破していく。怒るでもない警戒するでもない、その不思議な空気に生徒達も何となくそれ以上手も口も出せない。

「頑張って、というのは今の貴女には酷なのでしょう」

 その道すがら、男は優しいまま、話しかけてくる。

「辛いなら逃げてもいい。逃げる事は恥とは決まっていません、負けとも決まっていません。貴女が間違っていないなら、最後の最後に勝てれば良いんです。幸い、貴女には強い味方になってくれる人達がいそうだ。――私もこの程度しか出来ませんが、貴女の味方ですよ。頑張らなければ今は休んでもいい。でも、負けないで」

 そう言いながらアルテナを介抱すると、男性は再び優しい笑顔を残して、その場を後にする。

「……負けないで、か」

 その行為と言葉は壊れかけのアルテナの心を優しく包み、助けるのであった。



「わー、勇者様本当に連れてきてくれたんだ! ありがとうございます勇者様、ありがとうニロフ先生!」

 嬉しそうにお礼を言うマリーナ。時刻は夜の九時を回り辺りもすっかり暗くなっていた。場所は旧校舎前。

「勇者君、私良い子だからもうこの時間は寝なきゃ駄目なんだけど」

「今日は夜更かしを許可しよう。嬉しいだろ」

「わー嬉しー……ぐぅ」

「この場所で立ったまま寝れるのかよ!?」

 メンバーはマリーナ、ニロフ、そのニロフに手伝いを頼まれたライト、そのライトに護衛を頼まれて仕方なく付いて来ているレナ、

「マリーナさん、もうちょっと静かにしてくれないかしら。誰かに気付かれたらどうするの?」

「大丈夫だよこの位。にしても、委員長もついに校則違反、やるじゃん」

「好きで来てるんじゃないわよ! 貴女がアルテナ先生の為になるからって言うからでしょう!?」

 入学後初めての校則違反を今日してしまったティシアの五名である(当然夜の敷地内侵入は無許可では校則違反)。

「にしても、こうして夜に見上げると流石に不気味だな」

 当然明かりなどついていない。明るい時に見れば赴きのある旧校舎も、今は何か背筋に冷たいものを感じてしまうかの様な感覚を醸し出していた。

「あ、みんな気をつけてね。ここ結構幽霊の噂もあるから」

 と、拍車を掛けるようにマリーナの豆知識。確かに言われてみればそんな雰囲気が――

「ひいっ! わ、我、どうもそういう幽霊とか苦手で……!」

「いやいやいや」「待て待て待て」

 ――そんな雰囲気があったのだが、一番怖がるのがニロフなのはどういう事なのか。速攻でツッコミを入れるライトとレナ。どちらかと言えばニロフ本人がアンデット=幽霊の類、である。

「リップサービスもいいけど嘘を吐き過ぎるのはどうなんだ……?」

「嘘は言ってませんぞ。我が感知出来ない幽霊とか恐怖以外の何物でもないですからな」

 成程一理あった。――は、兎も角。

「えーっと、マリーナちゃんとティシアちゃんだっけ? 私と勇者君はあんまり詳しい事情聞かされてないんだよね。アルテナ先生を助けるヒントがあるってホント?」

「はい。あたし、オカルト研究会にいて、この学園の七不思議について調べてるんですけど、今回の騒動がその中の一つ、「旧校舎の呪いのドッペルゲンガー」にそっくりなんです。――ドッペルゲンガーは皆知ってます?」

 ライトもフレーズには聞き覚えがあった。――えーっと、確か、

「自分のそっくりさん、もう一人の自分が、自分の知らない所で何か色々な事をするんだっけ」

「はい。実は、この旧校舎にはドッペルゲンガーを召喚する装置が隠されていて、この学園の関係者のドッペルゲンガーを生み出して、本人を呪い、あまつさえ陥れる。だから、この旧校舎は立ち入り禁止になっている、っていう話です」

 確かに一応筋は通る。――通るのだが。

「マリーナさん、流石に無理があるわ。そんな曖昧な予測でニロフ先生や勇者様を巻き込んだの?」

 ティシアの指摘。――いつ頃から存在していて、嘘か真かわからない夢物語。それをあてにするには今回の事件は中々に厳しい。口を開かずとも他の三人もそう思った時、

「あたしだってそれだけじゃ駄目だって思うよ流石に!――この前、見たの」

「見た?」

「うん。――この旧校舎に、入って行く人」

 更なる情報が出てきて、若干話が変わってくる。

「マリーナ殿、それはいつの話ですかな? 何者かはわかりますか?」

「勇者様が来てすぐの頃。誰かはわからないけど、大人の人だったと思う。生徒、って感じじゃなかった」

 ライト達は初めてこの学園に足を踏み入れ、アルテナに案内された時の事を思い出す。――アルテナはこの旧校舎の立ち入り禁止に関して、理由は知らなかった。生徒、子供達だけが入れないのなら教師として理由を知っていて当然のはずだが知らないという事は、教師、大人も基本は立ち入り禁止である事が予測出来る。つまり、大人だからといって違和感が消えるわけではないのだ。

「おかしいでしょ!? 絶対ここで何かしてるんだよ! そいつがアルテナ先生のドッペルゲンガーを作って、悪さしたんだよ!」

 マリーナが嘘を言っている様子も見られない。つまり、

「模擬試験での謎の白装束集団の乱入、アルテナ先生のゴシップ騒動。その数日前に誰も入れないはずの旧校舎に出入りする人影、か。確かにちょっと色々被り過ぎてるかもねー」

 というレナの仮説が生まれ、それと同じ仮説に辿り着いたマリーナが、ニロフに協力を依頼したのだ。――いや、待て。

「違うレナ、もう一つある」

「勇者君?」

「そもそも、俺達の特別講師も、悪い事件じゃないだけで、特別な事件だ。そう考えると、四つ事件が起きてる事になる」

「!」

 事件、というと悪い事ばかりを連想しがちになるが、勇者来訪もこの学園にしてみればハプニング、大きな事件である。しかも、時系列を並べてみれば勇者来訪から始まっている。

「アルテナ先生が我々の担当をする事になったのが拍車をかけたのか、担当をする事になったのが本当の始まりなのか、それともそれはただの偶然なのか。難しい所ではありますな。そうなると、この旧校舎の七不思議に詳しいマリーナ殿と共にこの旧校舎の可能性を調べておく、というのは悪い選択肢ではなさそうですな」

「まあ、ここまで来ておいて調べないで帰るわけにもいかないっしょ。私は物理的な問題が出てきたら対処するから、ニロフは呪いとかそういう見えない類が出てきたらお願いねー」

「二人共、必ず俺達と一緒に行動、距離を置かない事。いいね?」

「はい!」「はい」

 それっぽくライトは念を押すが、実は自分にも言える事だったりする。――白装束出てきても対応出来ないし、ましてや呪いなんて出てきたら呪われて終わりだからな俺。頼んだぞレナとニロフ。

 かくして、五人は旧校舎の内部への潜入を改めて決意。昇降口前へ移動。

「……まあ、当然閉まってるに決まってるよな」

 入口のドアは、鍵がかかっていて開かない。

「こんな事ならリバールも巻き込めばよかったよねー。失敗だよ」

 と、レナがふーむ、といった感じで見ていると――ガチャッ、ガラガラ。

「きゃああ! ドアが勝手に開いて――」

「わっぷ」

「ハァイ」

 驚きのあまりマリーナに抱き着くティシア。そんなメンバーに爽やかに挨拶をするのはそのフレーズがお馴染み(?)のクッキー君だった。

「ドア越しに召喚して、向こうから鍵を開けさせました」

「出来るなら前もって説明しておいてくれよ……」

「いやあ、障害用の軽めの魔術防壁が張ってあったので失敗する可能性もあったもので。それに幽霊物に怯える女子に抱き着かれるラッキースケベのチャンスがですな」

「お前は思春期の男子かよ!?」

 何処まで本気なのかわからないニロフの言葉。――本気なんだろうなあ。

「勇者君、私は報酬次第でやってあげる」

「こっちは何だか大人のお店の人みたいでシビアだよ!? というか俺は求めてないから!」

 嬉しくないとは言わないけど。――そんなやり取りで少しだけ軽くなった空気の中、五人は旧校舎についに足を踏み入れるのであった。

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