第7話
師はひどい糞詰まりなのではないか。
三人の旅もひと月が過ぎ、ふた月が過ぎ、やがてアグラハヤナ月になった頃、はたと商人はそう思い至ったのである。つまり便秘である。四肢をバラバラしても顔色ひとつ変えない師であろうとも便秘に苦しむことはあろう。商人は都合よくそう思い込んだ。
ところで遍歴の果てに三人は、またコルカタに戻ることがあった。
随分を家を空けていた商人は、郷愁と不安に駆られて、無能な息子が家業を切りまわせるはずもなく、さぞかし店は傾いているだろうと顔を出してみるとなんと食料品店はいっそう立派な大型店へと様変わりしていたのであった。さてはやり手の資本家に騙し取られたのだろうと暗澹とした気分になったところ、オフィスでテキパキと立ち働く息子の姿を認めることができた。どうやら慈悲にすがって一従業員として拾ってもらったようである。
「お父さん。無事でしたか。その姿はまるで行者のようではないですか」
「息子よ、これはなんという有様だ。店を取られたのだな。誰の仕業かは知らんが、儂は戻ってきたからにはきっと奪い返してやろう」
「いいえ。ここはれっきとした我々の店です。お父さんが消息を絶ってから、僕はずっと温めていた自分なりの経営方法を思い切って試してみたんです。安売りセールや在庫管理のやり方なんかですが。そうしたらこれが見事に当たりました。いまはコルカタ一番の大店です」
「まさか。おまえのようなボンクラが!?」
わらわらと従業員たちも集まってきた。見知った顔もあれば、誰とわからぬ者もあった。迷い込んだ物乞いだと摘まみだそうと申し出た強面の男もいたが、息子が事情を説明すると渋々と胡散臭げに引き下がった。
「ともかく店は順調です。お父さんは巡礼の旅をお続けになって構いません。とにかくご無事だったことは喜びに絶えません。お母さんも心配していました。一刻も早く顔を出してあげてください」
ひっしと抱き合う父子だったが、息子の表情に一抹の険しさが過ったのを商人は見逃さなかった。ここでは自分はもう邪魔者なのだとはっきりと商人は認識した。金儲けの才覚ならコルカタに右に出る者なしと自負していたのだったが――この帰郷はいささか商人の誇りを傷つけた――すぐに気を取り直して家長の威厳を見せつける。
「まあいい。これより師を我が家に逗留して頂く。失礼のないようにしろよ」
見ておれ。ちまちまと大根だのパパイヤだのを売っている時世ではない。おまえのような若造が腰を抜かすくらい稼いでやろう。なにしろ、儂は黄金を生み出せる奇跡を手中にしかけているのだ。
「とにかく下っ端にセンナの実を買いにいかせろ」
センナの実には、下剤としての効用がある。これを食後のハーブティーに入れてやればいかな糞詰まりの師とて、たちどころに便意を催すであろう。
「センナの実ならうちの店にもありますよ。おい、お父さんに包んで持たせてやってくれ」
とさっきの強面に命じる。息子の前では、熊のような大男が仔犬のように従順になるところも憎たらしい。確かに息子の物腰態度は以前とまったく違った。輝くような自信に満ちており、静かな落ち着きもある。いくらか恰幅のよくなった胴回りをシルクのドーティが包んでいた。
「そんなものまで扱っているのか?」
「多角経営です。この店に来れば、あちこち行かなくともなんでも揃う。便利でしょう」
「むぅ」と商人は唸った。
血と汗の賜物であるはずの我が城は、いまやひどく居心地は悪かった。
これではまだ師やアクシャイと寝床にした幽霊の出そうな廃屋のほうがよほど心休まるというものだ。この店の配管やレジスターや値札などのひとつひとつが、こう叫んでいた。おまえなどお呼びじゃない、と。老いたガチョウは固く筋張って食うにも適さない。
たっぷりのセンナの実を胸に抱いた商人は悄然とかつての居城を後にすると、外で待っていたアクシャイに声をかけた。
「うちに行こう。師を呼んできてくれ」
アクシャイはしょんぼりと元気のない商人の顔を覗き込むと、慰めるように言った。
「これでよかったのです。師はきっと来てくださいます。いえ、わたしがきっとお連れしますから」
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