第二十八話 ザキナの復讐
……そのころ、ザキナは草原の風に吹かれながら、姉との会話を思い出していた。
「ねえ、ドネーシャ。もう一度、あの神話の最初と最後を思い出してみて。“神が永久永劫に自らのものとし、世界には与えなかったただひとつのもの”。それが何かあなたには分かる?」
ドネーシャは言った。
「ザキナ、やっぱり、私に分かるはずがないわ」
「私はね、分かったの。そのたったひとつのものとは……“混沌”よ」
ザキナの言葉に、一瞬の間を置いて、ドネーシャは目をぱちくりさせ、答える。
「“混沌”?」
「そう、“混沌“とは、神話にあるように、この世のはじまりね。それは、なにものもこの世に存在していなかった状態、つまり“無”のことでもあるわ」
姉妹の間を沈黙が支配した。やがて口を開いたドネーシャの声は震えている。
「……ザキナ、あなたは何を考えているの……?」
ザキナは、ゆっくりと、怯えるドネーシャに語りかける。
「姉さん、私、こう思うの。私たち一族を殺し尽くした人間たちに、ひいてはこの世界に復讐するのには、もはや、彼らが有してないたったひとつのもの、“混沌”を彼らの前に出現させる方法を見つけ出すしかないんじゃないかって」
「……ザキナ、それは、この世を“無”に還すということ……?」
「そういうこと。それが神の一族の末裔である、私たちに出来る、たったひとつの、復讐」
「ザキナ、そんな危険なことを……? あなた、本気?」
ザキナは大きく息を吸い吐き出すと、はっきりとした声で姉に決意を告げた。その顔にすでに笑みはなかった。
「ドネーシャ、私、本気よ」
……草いきれを揺らした風が、ザキナの豊かな栗色の髪をも揺らす。
ザキナは懐から、ドーズから貰った銀筆を取り出すと、それをぎゅっ、と握りしめて呟いた。
「……姉さん、私、本気よ。絶対に、この世を“無”に還してみせる」
……一方、小屋の中では、鎖を軋ませながら、ドーズがアルムに尋ねていた。
「何故……彼女はそんな恐ろしいことを画策しているのだ?」
「この世への復讐だ」
ドーズは目を見開いた。栗色の髪をなびかせる、美しい少女の姿が彼の目に浮かぶ。
……そんな、何故。
「復讐? どうしてだ? 彼女は何故この世を、そんなに憎んでいる?」
「それは……俺も今回の件で初めて知ったのだが……彼女の一族は、下界に下った後、その力を恐れた権力者により、歴史の影で虐殺され、迫害の一途を辿っていたのだ。そして遂に、ザキナ一家が唯一の生き残りとなった」
「生き残り……」
ドーズはザキナの緑色の瞳を思い出す。……あのあどげない瞳の奥には、そのような壮絶な過去が隠されていたとは。
呆然とするドーズの前で、アルムはさらに語を継ぐ。
「そして、ザキナは世界を憎むあまり、神話の秘密に気づき、その秀でた画力によって“混沌”を作り出す手段を探求し始めたのだ。その危険思想を恐れた家族は、ザキナを廃坑に幽閉した。だが、それでも彼女の力は弱まらなかった。そして、だ。よりによって、その彼女を助け出しちまった間抜けがいる。……ドーズ、お前のことだよ」
ドーズは火傷と、鞭による身体の痛みも忘れ、アルムの暗い声に聞き入っている。
「ドーズ、お前はとんだ災厄を、救い出しちまったんだよ」
……どのくらい2人は黙りこくっていたのか。やがて、傷と痣だらけの身体の奥底から絞り出すように、ドーズが言葉を発した。
「それでも……、俺はザキナを助けたことを、後悔はしない……」
「そうだろうな、ドーズ……それがお前だ。ビエナの時と同じく、お前は優しすぎるんだよ」
アルムにその名を出されて、ドーズの頭の中で突如二つの線が繋がった。栗色の髪、緑色の瞳がよく似た女と、少女の面影。その2人が、重なる。
「ビエナ……! もしや彼女も……!」
「いや、彼女は“創星の神”の末裔のひとりではない。だが、彼女が捕らえられ、殺されたのは、その疑惑からだ」
……アルムの沈痛な声に、ドーズは愕然とした。
「ということは……彼女は無辜の罪で殺されたのか……」
「……そうだ、いわば、“創星の神”狩りに巻き込まれる形でな」
ドーズは唇を激しく噛んだ。口の中に血の味がじんわりと滲む。……そして唸った。
「なんて巡り合わせなんだ……」
次の瞬間、すさまじい突風が小屋を包んだ。
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