第284話 ノバルとウィーレの敗北

 まだ夜も明けぬ中、丘の頂上付近で剣戟の音が響き渡る。深い霧もあって、魔族と言えども全体は見渡せない。乱戦だった。同士討ちの危険があるが、敢えてノバルが乱戦を選択したのは、ダラグゲート軍の幹部に大規模範囲魔法や巨大な武器を振り回させないためだ。数は少ないとはいえ、それらは決して侮れないものだった。

 夜が明け、明るくなると共に、周囲が見えてくる。そしてそこで分かったのは、味方同士つまりノバル軍同士が丘の頂上で戦っているということだった。


「ばかな! 確かにダラグゲートは丘の頂上にいる。奴の軍はいったいどこに消えたのだ」


 魔法をかけるために慎重に位置は魔力捜査で割り出している。数メートルの違いはあるだろうが、戦場では誤差の範囲内のはずだ。だが、丘の頂上は味方同士が争っており、ダラグゲートらしき姿も見えないし、討ち取ったという報告もない。


「戦いをやめよ! お前たちが戦っているのは味方だ!」


 ノバルは大声で叫ぶが、なかなか戦いは収まらない。いささか乱暴な言い方をすれば寄せ集めの軍である。見知らぬものの方が多い。そしてその知らないものが、武器を持って襲い掛かってくる状態で戦いをやめられる者が居るだろうか。結局混乱が収まるまでかなりの時間を要し、被害も相当なものになった。

 だが混乱が収まってきたとき次の出来事が起きる。丘の麓。まだ霧が晴れてない所から矢が飛んできたのだ。高低差がある為、矢の威力そのものは大したことはない。たとえ当たったとしても、運が悪くない限り死にはしないだろう。だが周りを囲まれたということが、ようやく混乱が収まったノバル軍には耐えられなかった。再びノバル軍は混乱に陥り、丘を降り始める。


「ええい。ダラグゲートはその丘の頂上付近にいるというのに、奴さえ倒せばこの戦いは勝利する。探し出して殺せ!」


 ノバルの言うことは正論だったが、混乱した軍は思うように動かない。更に降り始めた者が突然地面に倒れ込む、それどころか地面の中に落ち込む者までいる。そして混乱に陥った軍は、無情にもその者達を踏みしだき、進んでいく。だがそうして進んだ者もいくばくも進まないうちに同じ目に合う。いつの間にか丘の周辺に多くの落とし穴が掘られていた。


「落とし穴だと。いつの間に掘ったというのだ」


 ノバルは吐き捨てるように、そう呟く。だが、それにより全軍がバラバラに壊走するのは防がれ、一旦、ノバル軍はその場で踏みとどまる。しかし残念なことにそれは幸運なことではなく、破滅の魔の手が来る間のほんのひと時の落ち着きにすぎなかった。

 パチパチという音がし始める。そして、霧の中に赤い火の手が上がっているのが、見え始める。それは丘の麓全部、つまりノバル軍全部を囲んでいた。火は枯れ草に次々に燃え移り、勢いを増して丘に上がってくる。本能的に兵たちは火から逃げるように、つまり他の頂上に向かって後ずさる。だが、炎は上昇気流を伴い、渦を巻き、その破壊力を増していく。最終的には火炎旋風となり、丘の上に密集したノバル軍を焼き尽くした。逃れたのは最初に火を見た時、その火の向こうに突撃した僅かな者達だけであった。


 ノバルはほんのわずかに生き残った部下と共に、壊滅した自軍を茫然と見ていた。いつの間にか横にウィーレが立っている。


「何が起きたというのだ……」


 ノバルは力なく呟く。


「兄上。お気持ちは分かりますが早く逃げましょう。父や父の軍はまだ健在です。この場所も父なら直ぐに特定できるでしょう。いや、既に特定してると思います。拘束魔法は既に解けております。ともかく逃げるのが先決かと」


 ノバルとウィーレの居る所は偽装してあるとは言え戦場の近くだ、拘束魔法が解けた今、すぐにでも逃げないと周りを囲まれてしまうだろう。


「逃げてどうするというのだ……俺はもう終わりだ。もう誰も私の言うことなど聞くまい。このままダラグゲートに一生怯えて暮らすのはごめんだ。ただ、この反乱の首謀者は俺だ。お前に責任はない。今のうちに逃げよ」


 ノバルはウィーレに諭すように言う。


「そう悲観したものではないぞ。今の私は貴様の絶望感がよく分かる。共感できると言っても良い。故に今回のことは一度だけ許そう」


 ノバルとウィーレが振り返るとそこには父であるダラグゲートが立っていた。以前のように圧倒的な威圧感はない。寧ろノバルとウィーレを今までになく、温かい目で見ていた。


「敵対した者を助けると……父上が……」


 ノバルが信じられないという風に大きく目を見開く。


「まだ父と呼んでくれるか……なに、数少ない同じ絶望を感じた者同士だからな。それが血縁ともなれば甘くもなろう。私を封じた手段といい、軍の配備といい、お前の策はなかなか見事だった。以前の私だったらもっといい勝負ができただろう」


 ダラグゲートはしみじみとした感じでそう話す。


「いったい父上は何をされたのですか?」


「なに、単純なことだ。日が落ちて霧が出始めた時に、兵に自分が隠れるだけの穴を掘らせた。後は盾を蓋にしてその穴の中に隠れ、お前たちの軍が通り過ぎるのを耐え、その後囲んで矢を撃ち、そして油をまいて、火を放った。私は頂上で穴に隠れていただけだ。お前たちの魔法で動けなかったからな。まあ、事前に火に対する防御障壁だけは張っていたが……使った魔法はそれだけだ」


 そう。ダラグゲート軍がとった行動は単純なものだった。兵の精強さも必要ない、個人の武勇も必要ない、誰にでもできるもの。


「父上は何と取引されたのですか?」


 ノバルは恐怖を感じてそう聞く。人間の間で活動はしていたが、こんな策などノバルは聞いたことがない。何よりも、力による蹂躙ではなく、物と同じように自分達を燃やすという発想が恐ろしい。


「人間の皮をかぶった悪魔だ。いや、もしかしたらいつの間にか人間は悪魔となっていたのかもしれぬ。私は自分では無慈悲で冷酷な王だったつもりだったが、今の王には到底及ばないだろう。私とてたとえ相手が人間だろうと10万以上を殺すのなら何がしかの感情が起きる。弱さに対する哀れみ、自軍の強さに対する高揚、或いは怒りに駆られて結果的に殺戮になることもあるな。だが、今の王にはそれがない。我らを殺すのは、勝利を収めるための過程であって、なんら興味を引くことではないのだ。

 我らの存在が人間に知れ渡った今、人間の間で活動していた、お前たちの意見は貴重だ。我が下(もと)に戻ってこい」


 ノバルとウィーレは力なくダラグゲートの言葉に頷いたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る