第164話 クレシナ

 その女性はエスサミネ辺境伯の第3女として生まれた。上に一人の兄と二人の姉がいた。兄とは2つしか歳は違わなかった。その女性はクレシナと名付けられた。クレシナは普通の女の子が興味を持つような、人形遊びや、おままごとには興味を示さなかった。興味を示したのは剣であった。

 元々国境を任されるだけあって、エスサミネ辺境伯家は武を尊ぶ風潮がある。淑女の礼儀作法やお淑やかさが無ければ良縁は難しい。だが、クレシナが生まれた後にも、妹が二人生まれていたため、一人ぐらいは嫁にやらずとも良いかと、父は好きにさせていた。

 8歳の時、10歳である兄を剣の腕で上回った。その時はクレシナが特別優れているとは思わず、兄の方の武芸の才能がなかったか、と父は思った。

 12になった時、小隊を率いて盗賊を討ち果たした。小隊とはいえ、盗賊ごときに負けるような軍ではないと、その時は気にも留めなかったが、最初に盗賊に突撃し、最も多くの首級をあげ、頭領を討ち取ったのもクレシナだと知ると、少し驚いた。だが、兄を支えるのに丁度良いか、と父は考えた。

 15になった時に騎士団長を打ち負かし、もはや軍の中でも1対1では勝てる者は居なくなったことを知った時、初めて父はクレシナの才能に本当に驚いた。

 軍の中にもはや自分より強い者が居なくなったクレシナは、冒険者となった。父はクレシナの武の才能を持て余し気味になっていたので、外の世界を見るのも良いかと許した。この段階でも父は、才能の限界を知ったら戻ってくるだろう、と楽観的に考えていた。

 20になった時、クレシナはAランクの冒険者となり、地竜を単独で倒し、その頭を剥製にし、戻ってきた。地竜は竜とは名がついているが、飛べず、他の竜と比べても弱いものではあるが、それでも常人が単独で倒せるようなものではない。父はクレシナの才能に恐れすら抱いた。そして、もしかしたら軍略の才能もあるかもしれないと騎士団長に預けた。

 21になった時、僅か1年にして騎士団長は、自分の降格とクレシナの騎士団長への就任を、エスサミネ辺境伯となっていたクレシナの父に申し出た。最早私の才の及ぶところではないと言って。

 22になった時、ベシセア王国討伐の戦争が起きた。クレシナはヴィレッツァ王国との国境警備を任された。


「兄上、国境警備とはどの範囲を示すのですか。我が軍は数が少なく、国境付近は互いに砦を作っておりません。防戦に回れば、防ぎきれない可能性がありますが」


 クレシナは留守を任された、兄モーヴァンに問うた。


「そうだね。その辺りはクレシナに一任するよ。領土が守れれば何をしても良い。責任はすべて僕がとろう。ただ、もし死罪になったら弟を、クレシナに任せても良いかな?」


 モーヴァンはそう答える。クレシナに軍事の方面で敵わないことは、モーヴァンは嫌と言うほど知っていた。寧ろ誰よりも早くその才能に気付いていたと言っても良い。誰にとっても幸いだったのはモーヴァンが温厚な性格だったことだろう。

 妹だからと言って張り合う事は無かった。寧ろクレシナの才能がどこまで伸びるのか、後押しをしたぐらいである。そのため兄妹の仲は良かった。


「弟の心配よりも、兄上には王になっていただく覚悟を持っていただきたい。恐らくこの戦い、ベシセア王国が勝つでしょう。ベシセア王国が勝つと言うよりルカーナ王国が負けると言った方が良いのでしょうが。その場合ルカーナ王国は割れるでしょう。我が兄上にはその時、王として立っていただきたい」


「随分と過激だね。もしそうなったとして父上ではだめなのかい?」


 モーヴァンはあくまでも不在の間、領主代行を任されているだけである。父から家督を譲られたわけではない。


「父は乱世を生き抜くにはお歳を召されています。それに辺境伯としての考え方からは抜け出せないでしょう」


 クレシナは一刀両断にモーヴァンの言葉を否定する。


「まあ、そうだね。それではクレシナが女王になるのはどうだい。僕を殺してもらっては困るけれど、クレシナの下で働くぐらいはなんともないよ。宰相としてならそれなりの働きが出来ると思うけどね」


 モーヴァンは少しおどけた調子で言う。


「ご冗談を。私には武の才しかありません。統治に必要な教養も経験もありません。それらは兄上の方が遥かに上ではないですか」


 クレシナは反論する。実際のところ既に、辺境伯としての実務の殆どは兄がやっている。今ですら父は半分隠居しているようなものである。だからこそ安心して戦争に出かけられたというのもある。


「分かったよ。では全軍を率いて国境に向かうことを命じる。私の警備の分も含めて。ああ、でも伝令に使う分だけは残しておいてくれ。50名ほどで良い」


「?。残すのは構いませんが、伝令に50名は多いのではないですか?」


「クレシナに考えがあるように僕にも考えがあるのさ。まあ、クレシナに乗っかるだけの事だけどね。失敗したら恥ずかしいから、今は言わないでおくよ。クレシナも本当に考えていることは秘密なんだろう?」


 そう言ってモーヴァンはニッコリと笑う。


「やはり、王の地位は兄上こそふさわしい。それでは」


 一礼するとクレシナは館から出て、ほぼ全軍を連れて国境へと向かった。


 国境ではすでに、睨み合いが起きていた。ヴィレッツァ王国軍約2万に対し、エスサミネ辺境伯軍は千名ほどしかいない。


「来ますかな?」


「目の前に美味しそうな餌がぶら下がっていて、食いつかない獣などいない。来るさ」


 警備隊長にクレシナは、獰猛な笑みを浮かべて答える。クレシナが率いてきた軍は、まだ後方に待機させている。


「クレシナ様も同じ状況だったらやはり食らいつきますかな」


「私の場合は、その美味しそうな餌だけでなく、用意した者にも食らいつくがな」


 そう言うとクレシナは笑い、釣られて警備隊長も笑い始める。


「おや、そろそろ動き出したようですな。ご指示の通り3日遅滞戦闘を行えばよいので?」


「リューミナ王国は我が国ほど馬鹿ではないからな。そこは信用できる。3日もすればヴィレッツァ王国軍は国境から引き揚げるだろう。それからが勝負だ」


 侵略を開始したヴィレッツァ王国軍に対して、エスサミネ辺境伯軍は馬上から弓を射かけるだけで、徹底的に接近戦を避けた。弓を射かけては、視界外まで下がり、また近づいて射掛ける、という事を昼夜問わず続けた。

 流石にたかが千騎の騎兵と言えど、そんな事を続けられたらたまらない。ヴィレッツァ王国軍は被害こそ少ないものの疲労がたまり、進軍速度は遅くなる。実はクレシナは5千の騎兵のうち千騎ずつを交代で出していたのだが、ヴィレッツァ王国軍はそれに気付かなかった。

 そして3日後ヴィレッツァ王国軍にリューミナ王国側の国境に集合せよとの命令が下る。そして、僅かな兵だけを残して、ヴィレッツァ王国軍が消えた5日後、一挙にクレシナはヴィレッツァ王国に攻め込んだ。


「一挙に行くぞ!これからは速度が武器だ!皆のもの遅れるな!」


 エスサミネ辺境伯軍は、クレシナを先頭にし、騎兵5千でもって、一気にヴィレッツァ王国の新しい王都へと攻め入る。ヴィレッツァ王国は新しい王都をルカーナ王国の近くに定めてた事もあり、僅か2日でエスサミネ辺境伯軍は王都に到着する。王都にはほとんど兵は残っていなかった上、まさか混乱して身動きが取れないはずの、ルカーナ王国側から攻めてくるとは思っておらず。完全な奇襲攻撃となった。

 そのため実にあっけないほど簡単に、王都は陥落してしまう。



「間違えないでいただこう。私は相談してるのではない。我が兄に王位を譲り、余生を穏やかに過ごすか、それともここで死ぬか、二つに一つの決断をそなたらに決めさせているだけだ」


 クレシナは、ヴィレッツァ王国の国王が座っていた玉座に座り腕を頬につきながら、床に跪かせた王族を見下ろして言う。


「くっ。こ、降伏する。全軍にも我が名で降伏するよう伝える」


「賢明な判断感謝する。我が国の一貴族としてではあるが、それなりの暮らしをしていける事を約束しよう」


 こうしてヴィレッツァ王国は歴史上から姿を消した。そして時を同じくしてモーヴァンはヴィレッツァ王国を吸収し、ルカーナ王国から独立したエスサミネ王国に従うか、それともルカーナ王国にとどまるかの選択を、周辺諸侯へ一斉に使者を出し、決断をせまった。その結果、元々エスサミネ辺境伯の影響下にあった貴族だけでなく、その周辺の貴族も従う事となった。

 こうして僅か10日余りの日数で、人口50万だったエスサミネ辺境伯領は、人口700万を超えるエスサミネ王国として独立したのである。それはまだ、エスサミネ辺境伯が領都に戻る途中で起きた出来事だった。

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